第2回「近世の祭祀と儀礼」研究会


1 開催目的
 昨年度開催したシンポジウム「近世日光の祭祀と儀礼」(2005年5月22日、於國學院大學)において、東照宮をめぐる祭祀と儀礼を検討した。このシンポジウムは、社会理念・常識についての新しいイメージ生成の追究を目的とし、国家祭祀としての東照宮祭礼の成立過程や山王一実神道の継承・変容過程、日光社参の諸問題について議論され、東照宮の問題についての具体像が提示された。しかし一方では、徳川家康の神格化が近世に全国で見出せる武士の神格化と如何にかかわるのか、各地に勧請された東照宮がどのように地域に定着し変容していったのか、さらに東照宮をめぐる儀礼全体における個別の儀礼の位置づけや政治との関係、近世の朝廷をも含めた祭祀体制のなかでの位置づけ、といった課題が残されたままになった。これらの課題に接近するためには、さらなる問題提起・検討を重ね、東照宮の具体像を抽出していくことが必要となろう。
 そこで、本研究会は武家の神格化の問題、各地の東照宮祭礼の実態、当時の政治状況のなかで東照宮がもつ国家的・社会的機能、朝廷の伝統的な祭祀・儀礼と東照宮との位相関係についての検討を通じ、東照宮についてのより具体的なイメージを描くことを目的として開催された。
 なお、本研究会は2006年6月24日(土)開催予定の研究集会「近世の政治と祭祀・儀礼」の準備研究会として実施したものである。

2 開催日
2006年5月27日(土) 16:00〜20:00

3 開催場所
國學院大學常磐松1号館第1演習室

4 発表者・発表題目・司会(敬称略)
 発表者
高野信治(九州大学大学院教授)
「武士神格化について」
根岸茂夫(事業推進担当者)
「寛文三年徳川家綱日光社参の政治的意義」
松本久史(國學院大學日本文化研究所講師)
「近世の朝廷祭祀と東照宮」
 レジュメ参加
福原敏男(日本女子大学教授)
司会
吉岡孝(國學院大學講師)
 *2006年6月24日開催予定の研究集会においてコメンテーターをつとめる椙山林継氏(事業推進担当者)・岩橋清美氏(國學院大學非常勤講師)にも出席していただき、適宜コメントを頂戴した。
 *参加者は16名であった。

5、研究会の詳細
5-1 発表概要
5-1-1  研究集会の問題提起
吉岡孝氏により研究集会趣意書(案)が読み上げられた。

5-1-2 研究発表
高野信治「武士神格化について」
 武士神格化の契機、地域性、民俗性について、『民俗神や民族神との関係分析を通した近世武家権力神の基礎的研究』(平成13〜16年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)、研究代表者高野信治)の成果に基づき、近世の武士神格化の実像を明示した。地域領主の先祖祭祀や旧主祭祀の事例から、地域社会のなかで武士が神格化される意味、政治意識などを検証した。また、現世利益への期待、統治者の善政への期待といった民俗神としての性格を帯びる側面も明らかにした。これらの検討を通じ、家康(東照宮)信仰についても、国家信仰だけではなく、地域的・民俗的信仰の観点から見直す必要があると指摘した。

根岸茂夫「寛文三年徳川家綱日光社参の政治的意義」
 従来の研究史をまとめ、寛文3年(1663)家綱の日光社参が、その後の諸政策に大きな影響を与えていると評価し、家綱による直属軍団の掌握と軍役動員の諸相という視点からも検討した。同時に、初期の日光社参は年忌に際して行われており、神事としての祭祀よりも法会に目的があったことを指摘した。そのうえで、従来の研究史では画期を明確にしていなかったことを指摘し、宗教政策と政治的背景を示しながら、日光社参の画期を元禄期の社参中止に求め、仏事のための参詣から、神格化された祖神を礼拝する神事としての社参に変化していくことを論じた。

松本久史「近世の朝廷祭祀と東照宮」
 近世における朝廷の祭祀体制につき、二十二社の上七社を中心とした神社祭祀の概要と諸形態について説明を加えた。そのなかで、代表的な祭祀・奉幣に対して、日常的なかたちとしての祈祷に注目し、祈祷を中心とする近世朝廷の祭祀体制および神社の主体的な祭祀のあり方を提示した。一方で、幕府が上七社へ依頼した祈祷の事例を具体的に示し、上七社をめぐる朝廷と幕府との関係についても論じた。さらに、近代までの祈祷体制の変容を見通した。

福原敏男(代読:吉岡孝)
 名古屋・水戸・和歌山・岡山・広島・鳥取・仙台の7都市における東照宮祭礼について、研究史をふまえつつ、その特徴を示した。なかでも和歌浦を舞台とし、藩主が民衆とともに楽しむ場を演出するなど、民衆が積極的に参加した紀州東照宮祭礼の特殊性を指摘した。また、各東照宮祭礼の練り物の原形について検討した。

5-2 成果と課題
 討論では、高野氏に対して各地の東照宮の勧請をめぐる問題に、質問が多く出された。18世紀から関東・中部では、家康の鷹狩の由緒などに基づき、地域の有力者が勧請する例が多いこと、西国では大名が政治的な理由から勧請する事例があるとの回答があった。根岸氏には、初期の日光社参でも法要と無関係なものが多いとの質問があったが、それらは上洛の報告など政治的なものであると回答があった。また、仏教的な法要から神道祭祀としての社参への転換という指摘に対して、祖先祭祀の仏と神仏混交の仏を厳格に区別し、観念と儀礼の相違点を整理して概念規定を明確にするようにとの注文がつけられた。松本氏に対しては、日常の祈祷と臨時の祈祷との差について、また七寺の祈祷との関係について質問があり、祈祷体制についてさらに明確にしたいと回答があった。
 討論のなかで高野氏の提示した武士神格化の問題や、福原氏の示した民衆との結びつきのなかで東照宮を位置づけていく見方から、地域性や民俗性といった側面が指摘された。その一方で、根岸氏が検証したような政治・軍役としての日光社参や、背景となる社会状況および宗教政策と東照宮との関わり、或いは松本氏が検討した朝廷祭祀や祈祷と東照宮との関わりといった、国家的・社会的側面も存在することは明確であり、東照宮の実像に迫る二面性が浮き彫りとなった。そこで地域的・民俗的側面を重視して、武士神格化や祭礼の民衆参加などのなかで東照宮をより明確に位置づけること、他方で幕府政治および朝廷祭祀体制のなかでの意義づけが求められることなどの課題が明らかとなった。本研究会の発表・討論をふまえて、来月の研究集会において、さらなる東照宮の実像についての検討がなされるものと期待したい。
文責:谷川愛(東京大学総合研究博物館リサーチフェロー・資料整理協力者)




日時:  2006/12/1
セクション: グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
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