「エコミュージアムは住民が発想し、作り利用していくものである。エコミュージアムは住民が自分達の姿を映す鏡である。また、自分達の姿を知るための鏡である。また、エコミュージアムは住民が自分達の姿を訪れた人々に見せていく鏡である。」

ルネ・リバート []

 

 エコミュージアムは、従来の博物館と違い住民参加型の博物館である。ある一定の地域(行政区分された地域ではない)を1つの博物館として捕らえると言う特殊な博物館である。本論文ではこのエコミュージアムを使用する事によって過疎化が進む地方都市にどのような影響をもたらすかを検証するものである。更に、実際エコミュージアムを取り入れた町作りをしている地域を訪れる事により、机上の論文で終ることなく実際の理想と現実を示していく。

 第一章では今年の夏訪れた朝日町のエコミュージアムの成立にいたるまでを紹介する。そこでどのような経緯がエコミュージアム導入、成立までにあったのか軌跡をたどっていく。

 第二章においては、このエコミュージアムの内容や成立条件、特徴を示す事により、エコミュージアムの理解を深める。その上で、エコミュージアムの持つ有用性と自然・文化・住民への影響を検証する。また、従来型の博物館との違いを明らかにする事により、エコミュージアムでしか出来ない画期的な住民参加型の町作りを示し、解説していく。

 更に第三章では、山形県朝日町を例に取り上げる。ここは在学中に何度か訪れた大朝日連峰の麓の町である。この朝日町は事実上日本で初めてエコミュージアムを導入した町なのである。その町を今年の夏実際訪れた。本文ではそこでの現地調査を報告し、様々な研究本だけでは到底解らない実体験を通してエコミュージアムを使ったある1つの町の理想と現実、利点と問題点、今後の課題を検証、模索していきたいと思う。

そして、本論文の結論としては本当に大切なのは地域全体を博物館として見るユニークさではなく、エコミュージアムの持ついくつかの特徴が、今までできるだけ都会の町へ近づけようとしてきた地方自治体の町作りを脱却させ、その地域独自の特色を出した新しい町作りのための共通のキーワードである点の方が大切である事を特に強調し、結びとしている。

以上が本稿の要旨である。

 

【注】

[]朝日町エコミュージアム研究会『国際エコミュージアムシンポジウム報告書』国際エコミュージアムシンポジウム実行委員会、1992年12月、25頁。

 

第一章  朝日町エコミュージアムへの道

 

 19926月世界を挙げて環境問題にどう取り組むかというような、いわゆる世界サミットがブラジルのリオデジャネイロで開かれた。これと時を同じくして、山形県西村山郡朝日町において「国際エコミュージアムシンポジウム」が開かれていた。

 

 朝日町は、山形県の中央部に位置し、磐梯朝日国立公園朝日連邦が町の西部にどっかりと控え、町の中心部を最上川がゆったりと流れる面積200ku弱、人口9800人弱(平成104月現在)[] の中山間地域である。この町では、以前から町にある自然を生かし、共存しようと観光地作りをめざし、町営朝日山麓家族旅行村「朝日自然観」を作り、自然と空気に感謝した「空気神社」を建立、清流を取り戻す運動、合併処理浄化槽の普及と、次々と自然と共存しようという試みが行われてきた。これらの流れは、1990年の「地球にやさしい宣言」、1991年の「空気の日」制定へ続き、環境を生かした町作りの顔が形成された。これらの動きは1989年“地域の自然や文化の良さを見直し、住んでいる人の生活環境を大切にした町作り”エコミュージアムの町を目指した「朝日町エコミュージアム研究会」が民間人や公務員の有志で発足したことに端を発している。

 この研究会では、地域の自然や文化を調査するとともに、エコミュージアムの文献や資料を集めたり、第一者の新井重三先生と共に勉強会を続ける事によって、エコミュージアムの実現が朝日町の将来計画にふさわしいものであると確信したそうである。その後、研究会では町や民間団体の企画した「エコミュージアムシンポジウム」に協力すると共に朝日町の次の顔としてエコミュージアムの推進を提言してきた。このような状況を踏まえ、町の「第3時総合開発基本構想」の主題にエコミュージアムの理念の普及が取り上げられ「わが町の文化や自然、生活に誇りを持ち、生かしながら、楽しく生き生き暮らせる生活スタイルの確立を目指す楽しい生活環境観エコミュージアムの町」の実現を図っていくことになったそうだ。これと同時に1990年町では研究会のメンバーを中心に「朝日町エコミュージアム基本構想調査報告書」を作成し朝日町でのエコミュージアムの具体化についてのマスタープランを作成した。さらに朝日町では、1991年人材養成事業の一環として、エコミュージアムの発祥地フランスのグランドランド、バスセーヌのエコミュージアムの視察を全国に先駆けて行った。(バスとは河口の意 セーヌとはパリ市内を流れイギリス海峡に注ぐフランスの大河セーヌ川の事)この視察の中、バスセーヌエコミュージアムで地域の自然や文化産業を利用した小さな博物館の存在と素朴な案内人の態度に、朝日町の目指すべきエコミュージアムの姿を見つけ非常に意を強くしたそうだ。そして19926月山形県西村山郡朝日町において「国際エコミュージアムシンポジウム」を開催するに至った。この催しにおいて同じ試みをしようとしている日本各地の方々や専門家の先生からお互いに活発な意見の交換を行い朝日町が目指すエコミュージアムの具体像に迫っていきたいという考えがあった。そしてこのシンポジウムこそが朝日町のエコミュージアムの記念すべき第一歩だった。

 

【注】

[] 朝日町企画課『朝日町のまちづくり』(平

成11年度版)1999年5月、13頁。

 

 

 

 

 

 

 

第二章 エコミュージアムについて

 

1.エコミュージアムとは

 エコミュージアムとは、ある1つの地域をコアミュージアム・サテライトミュージアム・ディスカバリートレイルの3つによって形成している巨大な博物館である。(図1参照)要するにある地域が丸々博物館となるのである。ここではその中枢を担う3つの柱を説明していきたいと思う。

 まずはコアミュージアム:核博物館である。コアミュージアムには色々な役割があり、エコミュージアムの中心的な役割を担っている。当然サテライトの中心になるので、サテライトの説明、展示などもここで行っているのである。言い換えればこれは、サテライトとサテライトとを結ぶ情報の発信場所である。また、遺産、文化を研究する所であり、それを教える教室である。これがコアミュージアムだ。

 次に、サテライトミュージアムの説明である。これは、地域の点在する独立した資産を指している。大きく分けて自然遺産(山岳・河川・森林・動物など)文化遺産(町並み・考古遺産・史跡・風俗・伝説など)産業遺産(農業・漁業・工業など)の3種類がある。これらが地域の色々な所に現地保存と言う形式で点在している。これらは、国の指定文化財でなくても登録は行う事が可能である。またその登録窓口は役場などではなくコアミュージアムが担うのが理想的とされる。

 最後にディスカバリートレイルである。これはせっかく与えられた自然、せっかく与えられたたくさんの文化遺産財、それを車などを使わずに、みんなで歩いて観察しようと言うための道である。であるから、車の通る車道よりも、俗に言う自然観察路、文化観察路。こういったものが地域中のサテライトとサテライト、またコアを結んでいるのが理想的である。ここを通る事によって、必ず何か発見出来る。と言うような、心の中に何か儲けがあるような気分が出来る散策路、これがディスカバリートレイルなのである。以上この3つの柱によってエコミュージアムは形成されているのである。

図1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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.エコミュージアムの概要

 さてここでは、エコミュージアムの語源と根底の考えについて説明していきたいと思う。エコミュージアムとは1971年にジョルジュ・アンリー・リビィール(仏)によって提唱された新語である。英語では“ecomuseum”と書く。これは、“ecology(生態学)と“museum(博物館)をあわせた単語である。なぜ生態学と言う意味の“ecology”を使用するのだろうか。実は、この“ecology”という単語は、古代ギリシャの“oikos(家、家族、家計)という意味の言葉が語源になっているのである。だから“ecology”という単語には、生態学という意味以外にも“人間の生活にも深く関わっている”という意味も含まれているのである。そしてこの両者を掛け合わせてた言葉が“ecomuseum”なのである。これを日本エコミュージアム研究会長、新井重三先生が、より良い人間生活を築く博物館「生活・環境博物館」と言う日本語に訳された。[] このようにエコミュージアムと言う言葉の根底には、生活と環境を守り育てていく博物館、ある一定の地域の人々が自らの地域社会を探求し、未来を想像していくための総合的な博物館としての概念が存在するのである。

 ではそのエコミュージアムの目的を示してみよう。エコミュージアムの目的は以下の3つによって定義されると言っても良い。

 まずは、「環境の中における人間の博物館」を目指すと言う事である。もう少し簡単に言うと、その地域の中において、自分達の姿を理解する事のための博物館なのである。来訪者だけでなく地元住民も利用し、自分達の住んでいる地域を、また自分達を理解するための博物館なのである。

 2つ目は、その地域における自然や文化と言った財産・遺産を守っていくと言う事。もちろんこれは、重要文化財だけでなく、その地域独自に育んできた伝統や伝説、習慣など広い意味が含まれている。このれらを守っていくためにエコミュージアムは存在すると言う事。これが2つ目の目的である。

 それから3つ目は、住民自身にその地域の独自性オリジナリティーを気付かせていくと言う事。住民がまだ知らない自分達の地域の文化や遺産を気付かせてやる事。これによって住民が自分たちの住んでいる町を十分に理解することになる。確かに私たちも一体どれくらい自分たちの町を知っているだろうか。これが、エコミュージアムの3つ目の目的とされている所である。

 次に、エコミュージアムの特徴を簡単にまとめる。すると次の5つの言葉で言える。地域、遺産、住民、そして教育と民主的な活動の5点である。それではこの5つの言葉を順に説明していこう。

 まず地域から説明しよう。後で書くが、従来型の博物館が遺産也資料を建物の中心に閉じ込めているのに対して、エコミュージアムでは、遺産を元あった場所に残す事を前提としている。現地保存が大前提になっているのだ。これが地域全体を博物館として定義する所以であろう。

 次に遺産である。この遺産と言う言葉も、従来型博物館では芸術史、技術史など伝統的なものを広く包括した言葉である。だが、エコミュージアムでは、従来型博物館では見捨てられてきた、工業遺産、農業遺産、物語、伝説、ノウハウ、習慣、動植物にいたるまで非常に広い物を指している。今まで口伝えでしか伝わらなかった俗に言う“おばあちゃんの知恵袋”が、エコミュージアムによって実態化し、後世まで正確に残るのである。これは非常に大切なことである。

 そして住民である。住民はただ単に見学したりするだけでなく、エコミュージアムの運動の計画や研究の決定に参加し、経営や管理などに関わってくるものである。これが住民参加型博物館としてのエコミュージアムでは一番大切になってくる。以下の4番目、5番目の特徴もこの住民参加から派生した特徴であると言ってもよい。そして彼らが自分達の遺産を再認識し、その世話を引き受け、未来に責任を持って受け渡す役目を持つようになるのである。

 4番目は教育である。これはエコミュージアムの発展に重要なことである。ただ訪問者や住民に対して展示をするのではなく、色々な学問の分野から地域の発展のため何が重要なのか選択が可能になるように、住民に教育を行わなければならないのである。そして住民は学習した中から本当に重要なものを地域の発展のために使っていく。

 最後は民主的な運営である。本家フランスでは、利用者委員会、経営者委員会、学術委員会のお互い協力し合う3つの委員会により成り立つ理事会により運営されている。この理事会により、エコミュージアムがうまく運営されるのである。エコミュージアムは住民の直接参加無しには成立しないので、住民も入った「運営委員会」で運営活動をすることが必要なのである。この事は言い換えれば、行政との協力関係が必要であることも表している。この行政との協力関係については、4.エコミュージアムの条件 で詳しく説明していく。以上の5つがエコミュージアムにとって非常に重要な柱である。これを大切にしなければエコミュージアムはうまくいかないであろう。

 

3.従来型博物館との比較

 それでは具体的に従来型の博物館といったい何が違うのかをフィールド・姿勢・機能の3つの面で比較、検証する事によってエコミュージアムならではの住民参加型博物館の特色を示していきたいと思う。

 まずフィールドである。従来型の博物館というのは、色々な地域から様々な品を収集して1つの建物の中で見学者に展示している。それに対して、新しいタイプの博物館、エコミュージアムでは地域の中で、その文化的・自然的な遺産があったら出来るだけ移動せずに現地でそのまま保存するようにしている。それは、できるだけありのままを、自然のままを見せることを目的としたエコミュージアムならではの展示方法である。そして従来型は見に来る人を見学者として位置づけているのに対し、エコミュージアムでは見に来た人を気軽に出入り出来、気軽に触れ合う事の出来る訪問者として位置づけている。これだけ見てもエコミュージアムの方が、人と人の触れ合いをいかに大事にしているかが伺える。

 次に姿勢であるが、従来の博物館は文化・学術・教育に寄与する事を目的としてはいるが、地域に奉仕すると言う事の考え方は少ないようである。例えば近くの博物館を考えてみよう。その地域とは何の関係も無い国際的な煌びやかな作品ばかりがガラス張りのショーケースの中に陳列されている。(もちろんこれを悪いと言う訳ではない)それに対して、エコミュージアムではその地域の発展に寄与すると言う大変前向きな姿勢で取り組んでいるため、その地域の文化・遺産を重点的に紹介保存している。このように従来型の博物館よりは非常に地域性の強い、地域社会の発展を目的としている姿勢で取り組んでいるのである。

 最後に機能であるが、大きく分けて3つの機能に分類出来る。研究・保存・学習である。この研究・保存・学習という機能は従来型の博物館にも存在する機能である。それでは機能面では従来型の博物館とエコミュージアムは一緒なのであろうか。いいや違う。単語は同じかもしれないが、中に含まれる意味がまったく異なっているのである。まず「研究」だ。この研究というのは従来型博物館の特定分野での細分的な研究ではなく、お解りのように様々な分野を統合的に見た研究なのである。だから分野別の専門博物館とは大きく違う。

次に「保存」だ。これは対象物を発見場所から収集して一ヶ所に集めて保存する従来型博物館と違い、前文の特徴で示した通り、その対象物をその現地でそのありのままを保存する方法のことである。

そして「学習」である。従来型博物館は知的な知識の収集を目的とした学習であると定義出来る。しかしエコミュージアムの学習とは、地域の特性を学び地域に役立つ人材を育成しようとする学習なのだ。また、エコミュージアムの世界では「生涯学習」と言う言葉が度々出てくる。簡単に言うと、自分を高める事。育自学と言ったらいいだろうか。その自己啓発と、生きがいのある町づくりを進める事が生涯学習の基本なのである。従来型の与えられる博物館ではなく、利用者の自由な意志で、自分の好きな方法で自分の責任で、選んで学べる博物館、それがエコミュージアムの生涯学習なのである。

 さてこの事によって、エコミュージアムがどれだけ住民参加型の博物館であり、町にどれだけ貢献しているかが解っていただけたと思う。そこで、次の段落ではエコミュージアムの成立するにあたって何が重要なポイントなのかを説明していきたいと思う。

 

.エコミュージアムの条件

 まず第1条件に、俗にいうテリトリーというものが大前提になる。テリトリーとは日本語に訳せば、コミュニティーとか、地域の一定区域のことである。その地域の設定が第一条件になるのだ。さてこのテリトリー、どこで線を引くのかが次の問題となってくる。日本での多くは、市とか町とかあるいは村とかいう行政の区画、例えば朝日町という行政区画が1つの単位になっていく傾向がある。ところがエコミュージアムの元祖フランスでは、行政などの垣根を超えたエコミュージアムを形成しているのだ。例えば、フランスセーヌ川河口のバスセーヌエコミュージアムの場合、55の市町村が入って1つの広大なエコミュージアムを形成しているのである。このようにフランスでは、行政区画が核となるのではなく、1つの文化圏を核としてエコミュージアムを形成しているのだ。これが理想的なのである。なぜであろう。それは、同じ文化圏の中で各々の町が競争して博物館を作っても、どこの博物館も似たり寄ったりしたものでしかなくなってしまう。結局意味がないのである。結果最も理想的なテリトリーの形成としては、1つの文化圏を核に隣の町や村と仲良く手を結び連合体のテリトリーを形成するのが理想的だとされている。ただ、理屈で言うほど簡単ではないと私は考えている。そこには収入や、設備負担など、色々な問題が山積みになるのは解りきった事であろう。市町村がその問題をどのようにに乗り切っていくかが、エコミュージアムの成立では重要な問題になるであろう。

 第2条件は、その地域の遺産を掘り起こすことである。持っている遺産や資源を地域の中から発掘すること、それははっきりとしているものもあるけれども、十分に見えていない資源や遺産、記憶もたくさんあるはずなのである。それらを掘り起こしていこうとする事が第2の仕事なのである。その掘り起こす内容は、自然の遺産、文化の遺産、産業の遺産などといったものである。いわゆる文芸復興をもう一度やろうと、文芸復興をもう一度やって、地域ごとに自分たちの村や町や市の何か財産、何か遺産、何か資源、そういう物を掘り起こしていく、そういう掘り起こし運動をやろうという事なのである。例えば、非常に古いお寺、藁葺きの屋根が残っている家屋、どれを取ってもサテライトになるのである。

 そうこれが3番目の条件なのである。サテライトととは、前文で説明した通り、その地域で掘り起こしたものをあっちこっち持っていくのではなく、現地で保存して現地で公開しようというものある。そのサテライトは、前記の通りなんでもいいのだ。反社会的なものでなければなんでもいいのである。社会的なもの大いに結構。社会的に貢献するもの大いに結構。産業遺産非常に結構なのである。しかしこれらのサテライト、例えば非常に多くの場合公共施設もある。個人的な家もある。個人的なお店、鍛冶屋さんなどもある。これらは決してサテライトの所有権はあっても町の所有権になるわけではないのである。従って住民の参加は否応無しに前提にならないと成立しないのである。所有権が町の公共的な所有権でないものも住民参加が成立すればサテライトとして入ってくる。しかしサテライトへの登録場所がかわからないのでは困る。従って真ん中にコアというものを作る。このコア=核、大体は行政が中心にならなくてはならないのである。

 これが4つ目の条件である。行政との協力関係。お互いの力を合わせた二重入力方式こそが大切なのである。ディスカバリートレイルを作るとか、サテライトの案内標識を作るとかコアミュージアムを作るとかいうのは、個人の力ではできない。当然行政の力を借りていかなければならない。従って行政と住民がどうしても一緒になる、仲良くなる。行政と住民が反目していたのでは、エコミュージアムは絶対できないのである。理想的なエコミュージアムとは、行政と住民が協力し合って初めて実現するものなのである。本当に重要なのはこの事かもしれない。

 

5.エコミュージアムの限界

 今まで挙げて来た事を踏まえてエコミュージアムの利点を言うとすれば、それは地域の人々に自分達の遺産を保存し、発展させる事の責任を認めさせる事にあるといえるだろう。更に、エコミュージアムは交際の無い人を結び付けるのである。大学人、地域の研究者、住民など地域を活性化するために集まる人々が出会う場になるのである。また地域が限られているために奥の深い活動が出来る事も事実である。そして最後に従来の古典的な博物館には、興味を示さず来なかった人々にも、身近で親しみやすいため、見に来てもらい、参加してもらう事も出来る事ができる。これらが利点と考えられるであろう。

 しかし、実際には限界もある。現在のエコミュージアムには完成した物はないのである。大多数のエコミュージアムは「時の博物館」すなわち資料、研究センターになっており、一番大切な住民の参加がなされていない。住民の参加を実践するのは本当に難しいものだ。また、エコミュージアムが誘発する経済活動が成功している所も少ないようだ。最後にエコミュージアムは、普遍的な万能薬ではないと言う事を付け加えておきたい。まだまだ、色々な試みが行われなければならないようだ。しかしエコミュージアムには色々な無限の可能性があり、日本でも試される日が来る事であろう。例え効果がすぐに出なくても、それでエコミュージアムが失敗すると言う事には必ずしもつながらないのである。なぜなら、まだエコミュージアムは生まれて間も無い赤子同然の博物館なのである。そして何よりも、住民参加型なのだから、我々住民が育てていかなければならない博物館だと言う事を忘れてはいけないのではないだろうか。

 

【注】

[] 朝日町エコミュージアム研究会『国際エコミュージアムシンポジウム報告書』国際エコミュージアムシンポジウム実行委員会、1992年12月、3頁。

[] 『特別講演 エコミュージアム〜生活・環境博物館〜講師 新井 重三』放送大学

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章朝日町エコミュージアム

 

 今年の91618日にかけて日本で事実上初めてとなるエコミュージアム、山形県朝日町を訪れた。以下はその時の体験レポートである。

 

1.朝日町との出会い

 そもそも私と朝日町エコミュージアムとの出会いは、3年前の大学1年生までさかのぼる。私は大学でローバースカウト隊と言うボーイスカウトの部活に所属している。その部活で1年生の夏、先輩に誘われ大朝日連峰に縦走(数日かけて山から山へと登山をする事)をしに訪れた。大朝日連峰は新潟県と山形県にまたがる東北随一の長大な縦走路を持つ連峰である。それは平均縦走日数34日が示す通りである。しかし、標高は2000メートルにも満たない山が連なり、山並みは限りなく穏やかで、最も東方らしい魅力を秘めていると言ってもいいであろう。[] 朝日連峰は深田久弥の日本百名山には以下の様に書かれている。「山形県庄内平野で日本海に面しているだけで、あとの陸地は、鳥海、船形、蔵王、吾妻、飯豊、朝日等の山で囲まれている。その中で朝日が一番原始的な面影を残している。」また、「山形の生んだ歌人結城哀草果氏は、年60になって大朝日岳に登り、以下のような規模闊達な歌を残している。

 

奥羽山脈に接して太平洋に出づる日の荘厳をわが生涯のおごりとぞする

太平洋に日は昇りつつ朝日岳の大きな影日本海のうへにさだまる

 

私は実際を見ているから、これらの歌に特に共感出来るのである。」[]

 私もその夏、山頂でこの感動的な日の出を見てこの歌を共感する事となったのである。この感動の結果、私は2年生、3年生となっても後輩を連れ夏になると朝日連峰へ縦走をするようになったのだった。しかし、残念ながらその後2年間は天候に恵まれず一度も日の出を見る事は出来なかった。

 さて話がずれてしまったので本題に戻そう。結果的に朝日町エコミュージアムの存在を知ったのは、その大朝日連峰縦走の終点、朝日鉱泉ナチュラリストの家であった。毎年そこで鉱泉に入って帰るのが習慣なのだ。そこの食堂の一角には朝日連峰の色々な資料が展示されたり、販売されたりしていた。そして、その中にエコミュージアムと書かれた本があるのを目にしたのだった。そもそも朝日連峰の自然や文化を研究しようとしていた私だ。しかし、あと一歩踏み込んだ研究はないものかと思い悩んでいた時期であった。そんな時期にその本に出会ったのだった。その本には、このナチュラリストの家や、大朝日連峰がサテライトミュージアムと位置づけられ、朝日町を中心とした地域全部が、博物館として定義されているエコミュージアムを説明した本だった。この偶然手にした本によって知ったのが朝日町との初めての出会いだったのだ。

 

2.朝日町の印象

 今回の23日での現地調査ではAsahi自然観の中にあるキャンプ場にテントを張り、そこを拠点に調査する事にした。916日、車で喜多方市から国道287号を最上川沿いに北上して来た私の気分はあまりいいものではなかった。雲は低く垂れこめ、時々小雨が降る。前日まで前線が直上にあった事もあり最上川は濁流と化していた。清流と言う言葉はいったい何処へ行ったのだろうと思ったほどだった。まさに現地調査をするには最悪のコンディションだったのだ。しかし、滞在した3日間で大雨に降られる事は無く無事調査を終える事が出来た。

 朝日町は最上川が町の中心あたりを流れ、町が東西に分かてれ広がっている小さな町だ。川の東側が役場などがある市街地となり、西側の山間部にAsahi自然観、ナチュラリストの家、朝日岳などの自然が広がっていると言う感じである。そう、何処にでもありそうな片田舎の町。これが私の第一印象であった。

 

3.色々なサテライトミュージアム

・空気神社

 空気神社はAsahi自然観の敷地内にある。この空気神社はブナの林の中にありそこまで行くには林道を通り抜けなくてはならない。そしてその林道には、宇宙を創る5元素と言われる、木(成長・発展)火(上昇)土(収穫)金(申請)水(潤下)を表しているモニュメントが、ある一定距離毎にそれぞれの特徴を表しながら建っていた。長い林道を彩るその5本の柱はそれぞれが5元素の特徴を表していて訪れる人を飽きさせなかった。(写真1参照)そして、その林道を抜けた先に空気神社があるのだ。しかし、そこにあったのは5メートル四方のステンレスの板だけであった。(写真2参照)他に、神社らしき境内もなくただブナの林が広がっているだけだった。ただ、逆にそのステンレスの板にブナの林が映しされ何とも言えない神秘的な空間が広がっていた。後日、神道学部の生徒にその事を言ったところ、そもそも神社と言うものは人間の目に見えてはいけない物らしいので、そういった意味ではこのステンレスの神社は理にかなっているそうだ。このような神社は世界でも類を見ない形式だそうだ。ただ、実はこのステンレスの下に本殿があり、毎年65日の「空気の日」だけ一般公開されるそうである。

写真1             写真2

 

 

 

 

 

・りんご温泉・りんご資料館

 町の東側にあるのがりんご温泉とりんご資料館である。この2つは同じ敷地内にあり、温泉に入った後に気軽に資料館に立ち寄れるような形になっている。この温泉11月から4月までは湯船にりんごが浮ぶと言う珍しい温泉で、露天風呂も併設していた。また、りんご資料館には世界各国のりんごの模型が飾ってあり丁寧に解説されていた。ただ、昼間であったが照明がついていなかったので薄暗くあまり頻繁に人が立ち寄っていない様だった。更に、りんごを売りにしている町だけあって食事もユニークでりんごの成分を麺に閉じ込めた、りんごラーメンなどもあり実に見て楽しい食べて楽しいところであった。

・大沼の浮島

 大沼は680年に山岳修行者によって発見され、大正14年に国の名勝地に指定されている。大沼には大小60余りの島々が浮遊し神秘的な光景を見せてくれるそうだが、私が行った時には例の低気圧の影響で、島と言う島のほとんどが岸沿いにあり、浮いているのか、くっ付いているのか見分けがつかなかった。また一部は工事中で浮島ごと陸にあげられるなど、神秘には程遠い風景であった。ただ、神社の人によると、朝方や、夕刻には浮遊する島々が神秘的な姿を見せるそうである。

・佐竹家住宅

 ここは住民の方が本当に親切で「エコミュージアムの調査で東京から来た」と言ったら、わざわざ住宅の中まで案内してくださったすばらしいサテライトミュージアムだった。

 この住宅は1740年(元文5年)に建てられた江戸時代、ここ一帯を治めていた大庄屋の屋敷で国の重要文化財に指定されている。国の重要文化財に指定されていて、人が住んでいるのは山形県内ではこの佐竹家だけだそうだ。屋根は実に見事な茅葺で、茅を換えたばかりらしく半分だけが新しかった。(写真3・4参照)なぜ半分だけしか茅を換えないかと質問すると、一度に全部を換えるほど茅が無いそうだ(ちなみに茅は青森産)。また職人の人が一人で半月かかって行うので半分が限界なのだそうだ。そして、住居の中はまるで江戸時代にタイムスリップしたような作りで、炊事場、床の間、仏間などどれを取っても職人芸が見え隠れするすばらしい住居であった。また先祖も有名人が多く、江戸時代の庄屋から始まり伊藤博文が内閣総理大臣の時の衆議院議員だった先祖まで実に著名な人が多いそうだ。そして、この佐竹家の家、実は2代目なのだそうだ。初代の家は1739年(元文4年)、火災で焼けてしまい、再建したのが今まで残っている家なのだそうだ。なぜ今日まで残っているのかと言うと、実は庄屋の後は貧乏で、家が建直すお金がなかったそうだ。その後も建て直す機会はなく、国の重要文化財に指定され結果的に、更に建直しが出来なくなってしまったそうだ。「“貧乏が功を奏する”とはこの事だ」などと言っていました。ここ一体の歴史から、住居の話、先祖の話など、ここで過ごした時間は本当にあっという間だった。そして、こうして気軽に地元住民と触れ合うことができるのがエコミュージアムの特徴なのだなと肌で感じる時だった。そう今回のサテライトミュージアムで一番サテライトらしかったところだったように思える。

写真3              写真4

 

 

 

 

 

・若宮寺鐘楼堂

1843年(天保14年)から7年の歳月をかけて完成された江戸時代の代表的な寺院の建造物である。この鐘楼堂は素人の私が見ても立派な彫刻が掘られていた。しかし、その鐘楼堂の説明などが書かれた看板や、若宮寺の看板がないなど少々サテライトとしては不合格だったように思える。朝6時には、雨の日も雪の日もこの鐘楼堂の鐘で時を知らせてくれるそうだが、朝日町にいた3日間の間一度も私には聞こえなかった。

 

以下の2つは、大学時代3年間訪れ続けたサテライトミュージアムである。

・ナチュラリストの家

大朝日だけの東麓にあり、新潟県からの朝日連峰縦走の終着点、朝日鉱泉にある閑静な山の湯である。建物は、木造2階建ての自然の中での調和を意識したログハウスだ。登山以外にも、カモシカ・ブナ原生林の観察、渓流釣りの基地、夏場の避暑地にもなっている。オーナーの方も気さくで、気軽に訪れる事の出来る家だった。ここの鉱泉の風呂場は1つしかなく時間により男湯女湯に分かれるお風呂だった。お湯は鉱泉のせいか茶色く濁ったあまり奇麗な色のお湯ではなかった。しかし、登山の疲れを休めるには絶好の温泉であった。

・朝日連峰

登山の素晴らしさを教えてくれたのがこの山だった。山頂での雲と太陽と風が織り成す風景は絶対に平地では見れない感動だと思う。ただ、この朝日連峰にも深刻な問題があるのだ。山小屋の方から聞かされたのだが、近年の登山ブームにより、マナーを心得ない一部の人が山小屋のあちらこちらに、乱暴にテントを張るものだから、草木が枯れて山肌が露出してしまってる部分が増えいるそうなのだ。そのため、近年では朝日連峰全域で、指定場所以外幕営禁止になってしまったそうだ。実際山小屋の周りには、不自然な山肌の露出があり、無秩序な幕営が起こす自然破壊を如実に物語っていた。結果いくつかの山小屋では、緊急時以外は山小屋に強制的に泊まら無くてはいけない処置を取るようになっている。また、去年からはその山小屋管理費(一泊分の宿泊代と考えてもらいたい)も500円増加の1500円になってしまったのだ。これも山を維持する為だそうだ。登山者一人一人がちょっと気を付ければ済むマナーの問題なのにいつまで経っても直らない。こういったマナーを学習するのにもエコミュージアムは役に立たないものであろうか。

・総括

この様にいくつかのサテライトを見てきたが、やはりエコミュージアムで重要とされている文化や、遺産、芸術などを非常に大切にしていると感じた。もし朝日町がエコミュージアムを行っていなければ、こんなに多くの名所は存在していなかったはずであるし、また、気軽に住民と触れ合う事もなかったはずである。少なくとも私には“現地に埋もれている文化や遺産を掘り起こす”と言う命題は果たせていると感じた。しかし、後で書くが、サテライトとしての標識が少なく何も表示していないサテライトなどもあり、未だにサテライトとして十分に機能していない面もあからさまにしたような感じがした。

 

4.コアミュージアムと

           ディスカバリートレイル

 さてこの段落ではコアミュージアムとディスカバリートレイルについて述べたいと思う。まずコアミュージアムであるが、前述の通り、サテライトとサテライトをつなぐエコミュージアムの中でも核とされている施設である。しかし、朝日観光マップの中には何一つそれらしき施設がない。疑問に思って町役場の観光課に直接お邪魔して詳細を聞く事となった。結果、お話によると、役場の隣に現在建設中の建物がコアミュージアムとして機能する建物だそうだ。確かに隣の建設現場を訪れると、「朝日町エコミュージアムコアセンター建設工事」と言う看板が立てられていた。(写真5・6参照)ちなみに、完成予定は来年平成126月を予定しているようだ。このコアセンターは、コアミュージアムが入る以外に、図書館、文化資料館など、朝日町の情報発信基地としての役割を担う予定である。土地としてもかなり広大な土地を確保しているので完成が楽しみだ。

写真5             写真6

 

 

 

 

 次にディスカバリートレイルだが、実は、あまりそれらしき道を見なかったと言うのが事実である。空気神社までの林道、りんご温泉、大沼の浮島。この3つが一般道としてではなく散策道として存在していた程度だったと思われる。ほかの道は何ら変わらない県道、林道などだった。しかし、今挙げた3つのディスカバリートレイルに関してはなかなか評価できる。前期のように空気神社は林道に5つのオブジェを作り長い林道を飽きさせることなく彩っていたし、りんご温泉とりんご資料館、露天風呂を結ぶ道は世界各国のりんごの木が植えられより一層りんごの町を強調していた。そして、大沼の浮島は散策道にエコミュージアムのしるしが入った標識がいくつか立てられていて、ここがエコミュージアムの一部だということを強調していた。(写真7参照)だが、本当にこの3つしかディスカバリートレイルと認識できなかった。この問題は、あとの問題点の段落で取り上げたいと思う。

写真7

 

 

 

 

 

5.問題点

 まず何と言っても観光地との区別を図るべきだと、もっとエコミュージアムとしての町に力を入れるべきだと感じた。確かに、町役場には「楽しい生活環境観 エコミュージアムのまち  朝日町」と言う大々的な看板があッたのは事実だ。しかし、約10年前から、エコミュージアムの計画が発動しているのにも関わらず一番重要なコアミュージアムもまだ建設中。更に、サテライトミュージアムの場所を示す看板もほとんど見当たらなかった。実際、サテライトミュージアムの看板を確認できたのは、大沼の浮島と佐竹家住宅の2つだけだった。(写真8・9参照)これでは何がサテライトミュージアムなのか解らない。更に、Asahi自然観でもらった観光案内には、エコミュージアムと言う言葉すら載っていなかった。サテライトミュージアムも単なる観光スポットのように書かれていてこれらがサテライトミュージアムであることなどエコミュージアムを知っている人しか理解できないと思われた。いくらインターネットでエコミュージアムの町と大々的に宣伝しても、現地に置いてある観光案内や、道路標識にそれらの情報が載っていなければしょうがないのではないだろうか。これで本当にエコミュージアムの町と言えるのだろうか。現に以下の統計が如実に物語っている。(表1、表2参照)朝日町は日本で始めてのエコミュージアムの町。私はこんな町では納得が出来ないのである。もっとしっかりとエコミュージアムを前面に押し出した町、生活環境博物館の町としての誇りを持つべきだと思うのである。

写真7              写真8

 

 

 

 

 

表1 人口の推移

 

 

 

 

 

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表2 産業別就業人口

 

 

 

 

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 次に心構えである。私が町の観光課でエコミュージアムについていろいろ聞こうとしたところ(確かにアポ無しの訪問であったが・・・)いくつか資料を渡して、「後はインターネットに書いてある事ですので・・・。」とあまり質問が深くならないうちに帰らせようとする態度だった。[] エコミュージアムについてあまり知らないのではないかと疑問を抱かせるような態度だったのだ。本当に町を挙げてエコミュージアムをやっていくならば、せめて役場の人はどんな質問にも答えられるくらいの知識はほしいものだ。役場の人がこうでは、行政と住民の2重入力の関係もうまく行かないのではないだろうか。

 これが次の問題で、行政の積極参加である。それは、前記したいくつかの問題にも現れたことだ。まずは、ディスカバリートレイルである。本来サテライトとサテライトを結び、人々に何か発見出来る道としての機能を果たさなければならない重要な役目。なのに、前記の通り、それらしき道は、2つだけだったのだ。しかし、この時ある矛盾に気が付いたのだ。そもそもエコミュージアムと言うのはある地域が1つの博物館になるのだが、そうなれば当然1つのエコミュージアムは広大な土地になる。当然、人の足で歩くには限界がある。しかし、エコミュージアムの概念では車を使って移動する事はあまりよしとされていない。ならば一体どうするべきなのだろうか。私はやはり自転車を使うべきだと考えている。車よりもゆっくりと景色が楽しめ、好きな時に好きなところで停まれる。そして、歩くより速く疲れない。これが理想的だと思うのだ。しかし、朝日町の場合はこれが適用出来ない事も分かっている。それは、来訪者が寝泊まりするところが、ほぼAsahi自然観になってしまうからだ。「自然と人間の共存」をテーマにしたこの家族旅行村は、町の一番西側にあると言っていいばかりか、朝日連峰東部山麓に位置していて、いろは坂のようなヘアピンカーブが連続した急坂を登らなくてはならない。とても自転車で登れる坂ではないのだ。そうベースキャンプの立地が悪すぎるのだ。そこで次ぎに考えたのが、来年完成するコアセンターまで車で来てもらい、そこから自転車で移動してもらうなど色々な方策が取れると思うのだ。そうすれば、ディスカバリートレイルも作り易くなると思う。車優先の道から人を優先とした道が作れると考えられる。

 次にサテライトミュージアムの標識である。これも行政の協力無しには成立しない。これは、ちゃんと表示した方がいいと思う。一体どれがサテライトかわからず、どのようにしてそこへ着けるのか道に表示もない。おかげで、私に関して言えば、サテライトの1つのりんご園は発見出来ず訪れることができなかった。また町の観光案内や、パンフレットも、コアセンターが完成すると同時にエコミュージアムを前面に押し出したものにすれば格段に違うと思う。こういった基礎的な事もまだ出来ていないのはやはり行政がもっと積極的に関与すれば直る事だと思う。朝日町エコミュージアムに行政が積極参加すれば、おのずと住民もそれに答えてくれるでしょう。今後朝日町のエコミュージアムが大きく発展する鍵は行政が握っているのかもしれない。

 

6.評価すべき点

やはり何と言っても、住民が参加していると言う事だろうか。特に前述の通り、佐竹家での有意義なひとときは今でも記憶に残っている。一般住民がまだ住んでいる民家を突然の訪問者に紹介する。これは住民がエコミュージアムに参加していなければ絶対に為し得ない事だろう。確かに、まだ住民全員がこのエコミュージアムに理解し、参加しているとは言い切れない。しかし、徐々にではあるが、その芽が開いてきているのではないかと確信をしている。また、確かにサテライトとして面白いところがたくさんあったと思う。まだ可能性を秘めたサテライトがたくさんあると感じた。これは重要なことで、まだ埋もれた可能性が朝日町にはたくさん眠っていることを示している。そういった意味では、朝日町のエコミュージアムはまだまだ大きくなりそうな気がした。また前記の通りエコミュージアムの目的である埋もれた文化や遺産が着実に掘り起こされアピールされている所は実に評価して良いところだと思った。これらの事は、観光客の人数にも徐々に反映されている。(表3参照)

 

 

 

表3 観光客の入れ込み数の推移

 

 

 

 

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 あとコアセンターが出来る事が一番評価すべき事だと思われる。コアミュージアムはいわゆるエコミュージアムの核となるところである。それが、これから出来ると言う事はやっと朝日町のエコミュージアムが本格的に始動すると言う事なのである。これをきっかけに、まだ掘り起こされていない伝統面、例えば、方言や、伝統芸、郷土料理、朝日町出身の著名な人物などがコアミュージアムに紹介、展示出来る。更に、コアミュージアムの完成後は町の案内をエコミュージアムを中心に載せ、ディスカバリートレイルを増設し、サテライトミュージアムの案内、表示を徹底していけば、本当にいいエコミュージアムになると思われる。確かに今のままでは決して十分なエコミュージアムとは言えない。だが、今までの朝日町の取り組みはまだ準備期間にすぎないのだ。朝日町のエコミュージアムはこれからが本当のスターとなるのだ。エコミュージアムが完成する平成12年からは、第4時総合開発が発足する予定で、引き続きエコミュージアムの計画は続行されるだ。確かに、朝日町は色々な問題を抱えているかもしれないが、日本で初のエコミュージアムの町、朝日町がこれらの問題をどのように解決し21世紀どのように発展するのか楽しみである。

 

 

【注】

[] 川崎吉光『日本百名山・登山ガイド--』山と渓谷社、1992年9月、50頁。

[] 深田久弥『日本百名山』新潮文庫、1978年1月、82頁。

 

[][][] 朝日町企画課『朝日町のまちづくり』(平成11年度版)1999年5月

[] 朝日町ホームページ

http://www.etos.co.jp/˜asahimati/eco.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第四章 

 今回約1年半近くエコミュージアムを研究・調査して多くの事を勉強し、考えさせられた。そこから出た結論は、エコミュージアムは、未来の町作りとしての可能性が非常に高いと言う事である。今の地方都市はちょっと前まで、都会により近づけようと豪華な建物や煌びやかな電飾の道路などに努力を注いでいた。しかし、それでは何処の町に行っても都会と同じような風景、雰囲気しか作り出さないつまらない町になってしまう事に皆が気付きだしている。そうこれからの町づくりとは、いかにその土地独自の個性を出す町作りが出来るかが鍵となっていると考えられる。

 その1つの方法が、エコミュージアムではないだろうか。自分達の先祖が築き上げてきた多くの遺産は決して他の地域では真似の出来ないたくさんのオリジナリティーを含んでいる。それを十二分に表現出来る町作りは、エコミュージアムを置いて他にないであろう。

 しかし、そこには行政との二人三脚、住民参加の重要性など今まででの町作りでは考えられない違う面が出て来るのも事実。もう行政だけに頼ってはいけない。他人に任せっきりでは出来ない町づくり、住民1人1人が町作りの参加者とならなければ為し得ない町。それは非常に大変な事なのである。現に朝日町でも町づくりに協力している住民は半分いっているかいっていないかであろう。それほど住民参加型の町づくりは難しいのである。しかし、今まで我々住民は自分達の町作りにあまりにも無関心すぎたのかもしれない。何もしなくても行政が勝手にやってくれる。そして行政も自分達がもっと近代的な町を作るのだと躍起になっていたのかもしれない。だが、そんな時代ももう終わりである。自分達の町は自分達の手で作る。住民一人一人がこの事に気付き参加する。そう、この住民参加が上手くいけば必ず良いエコミュージアムが出来ると私は確信している。

 最後に、このエコミュージアムを通じて感じた事を述べたいと思う。そもそも、このエコミュージアムはまだ生まれて間もない小さな赤子である。そして、認知度も決して高いとは思えない。だが、このエコミュージアムの中には未来の町づくりの中で共通するキーワードがいくつか含まれていると感じた。それは、住民参加・伝統、文化の掘り起こし・行政区画を越えた協力・自然との共存の4つである。

 この4つの言葉は決して珍しい言葉ではないだろう。しかし、この4つの言葉を大切にした町作りは一体どれくらい出来ているのであろう。エコミュージアムも町全体を博物館としてみると言う画期的なアイディアを含んでいるかも知れない。しかも、従来型の博物館の対象物を死んだものとして、過去の産物として受け継ぐのではない。むしろ、今も息づいている生きたものとして発展させながら受け継ぐことのできる画期的な博物館である。

 しかし、一番重要なのはこの4つのキーワードだと言う事を忘れてはいけないのではないだろうか。これはエコミュージアムの中において潜在的な力となっている。実際エコミュージアムをおこなっている地域を見てみればそう感じるはずである。決して都会に近づく為の町づくりをしているのではない。むしろ、自分達の育んできた文化を、伝統を誇りとしている。それを前面に押し出した町づくりをしている。そしてそれらの文化や伝統を引き継ぐだけでなく他の地域との交流を通じ可能性を見つけ出し未来へ結び付けていく。これは言うまでもなく町を愛し、町を守っていこうとする住民が積極的に参加しているからこそ可能なのであろう。そして、それに行政が答えている。二重入力が成立している。だからこんなにも素晴らしい町ができるのである。

 私は思う、これから新しい世紀を迎える私達。20世紀までの都会に追いつけ追い越せの町づくりはもう終わりなのである。来世紀は今までその土地が育んできた多くの遺産を住民と一緒に掘り起こした町。そしてそれらの生きた文化、伝統を引き継ぐだけでなく可能性を発見し、そこから未来へ結びつけていく町。これこそが町づくりに大切なのではないだろうか。そう自分達が育んだものすべてが未来への遺産となるエコミュージアム。ここにこそ未来への町作りのヒントが隠されていると私は感じている。

 

 

参考文献

・朝日町エコミュージアム研究会『国際エコ

 ミュージアムシンポジウム報告書』国際エ

 コミュージアムシンポジウム実行委員会、

 1992年、12月31日

・牧野出版『エコミュージアム理念と活動』

 日本エコミュージアム研究会、1997年、

 6月30日

・朝日町企画課『朝日町のまちづくり』(平

 成10年度版)1998年、5月4日

・朝日町企画課『朝日町のまちづくり』(平

 成11年度版)1999年、5月12日

・朝日町企画課『視察説明資料 まちづくりの

 経緯』1996年

・朝日町企画課『広報あさひまち』(1990

 年、4月号、1991年、4月号、5月号、

 12月号、1992年、8月号)

・川崎吉光『日本百名山・登山ガイド--』山

 と渓谷社、1992年、9月10日

・深田久弥『日本百名山』新潮文庫、197

 8年、1月27日

・『エコミュージアム〜生活・環境博物館〜

 講師 新井 重三』放送大学

 

・参考ホームページ

 朝日町ホームページ

http://www.etos.co.jp/˜asahimati/eco.html