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Subject: 農業問題の勉強・情報(古沢)1

21世紀の人口・食糧・農業 − 地球環境と日本人の食卓


古沢広祐(国学院大学経済学部)



*:農業問題は、<2>から。  但し<1>も大きく関連します。

<1>人口問題とは何か?

(1) 人口爆発の背後にひそむ矛盾

 ここでは現代文明の矛盾点を、とくに人口問題と食糧・農業そして地球環境 問題との関連で取り上げ、その矛盾にどういった視点から対応すべきかについ て考えてみよう。
 今日、地球環境問題とからんで大きくクローズアップされているのが人口問 題である。94年エジプトのカイロで開かれた国連人口開発会議や95年中国 の北京の世界女性会議でも議論を呼んだように、それは、たんなる人口の増加 という数量的な数の増加の問題ではなく、社会問題など複雑な構造的矛盾を内 に含んでいる。
 図1を見てわかるように、人口増加の中身として、先進工業国より以上に途 上国で顕著になってくるのが、農村部の人口の停滞・減少と裏腹に進む都市人 口の爆発的増大である。人口問題の矛盾は、まさに「都市爆発」現象として進 行しているのである。実際、21世紀の世界の巨大都市の大半を途上国の都市 が占めていくことが確実に予測されている(図2)。
 また、人口問題をみる視点としては、消費形態やライフスタイル、近代化政 策や都市・農村政策、産業構造や経済発展のあり方、女性の社会的地位や人権 の確立、社会保障や教育・福祉制度などと複雑に絡み合った複合的構造問題と して認識し、総合的・巨視的な解決策を展望することが求めれれている。ここ では、いくつかの基本的矛盾や問題点を指摘し整理しながら、とくに都市、農 村、開発問題という視点からこの議論を深めていくことにしたい。

 まず人口問題の全体像をより深く認識するために、基本的視点を簡潔に五点 ほど整理しておこう。
 第一の視点とは、人口問題を「量的な問題」としてとらえるのか、「質的な 問題」としてとらえるのか。

 人口問題をたんに人間の数が増える増加現象だけとらえて、対処方法を議論 しがちである。量的問題としてとらえることで、それは避妊など単なるテクニ カルな技術的解決方法に偏重しやすい。人数という量的な問題としてとらえて しまう視点ではなく、質的な視点こそが重要である。環境・資源への影響力と しては、「米国人一人はインド人五〇人分以上に相当する消費形態を営んでい る」と言われるように、私たちがどんなライフスタイルを選択し、どのような 発展を目指すのかによって人口問題の内容は大きく異なってくる。
 とりわけエネルギー問題・食糧問題に関わるかぎり、「具体的に一人一人が どれだけ消費しているのか」いわゆる消費スタイルの中身を分析することなし には、問題点や解決への糸口は見いだせない。具体的には後で食糧問題につい て詳しく検討していこう。
 世界には、非工業国(途上国)に見られる農村部を中心とする高い人口圧力 (出生率)下で生じている環境問題と、先進工業国に見られる低人口圧力下で の環境問題という、性格を異にする問題が共存していることに注目する必要が ある。相互の違いの認識とともに、基本的には後者の先進工業国の巨大な環境 圧力・破壊力自体の問い直しをぬきには人口問題の解決に迫ることはできな い。

(2) 人口問題への新視点

 以下の(二)から(五)の視点はより社会的な分析にかかわるものであり、 ここではとりあえずの参考として簡略に記述しておこう。

 第二の視点は、上からの統制ないし他者によるコントロールという「他者管 理」的視点に立つのか、生活者ないしは家庭・地域・コミュニティ・仕事・労 働を主体的に担う者の「自治・自律」的視点と行動を基本に置くのか。
 これまで人口問題は、国家政策それも産業政策や軍事的側面を色濃くもった 管理・統制者によって取り扱われることが多かった。あくまでも人権の確立を 前提に、男女差別や抑圧構造からの解放と基本的生存権ならびに社会的参加が 保証されるシステムのもとで、個人の主体的な選択を何よりも基本にすべきで ある。
 第三の論点は、”産ませる性”とりわけ男性的発想に立つのか、”産み育む 性”とりわけ女性の視点ないしは子供と共に育つ生活者の視点に立つのか。
 非工業国(途上国)に見られる高い出生率の下での人口圧力問題も、先進工 業国に見られる低人口下での人口減少問題も、その根っこには産ませる側の社 会的圧力や抑圧構造がある。基本的には安心して生活を営める条件整備ととも に、生活を男女が対等に築きあえる社会関係の実現が目指されねばならない。
 とくに古い農村社会の高い出生率は、高い乳幼児死亡率への安全弁や子孫維 持本能の側面もあるが、社会制度的には、土地所有と結び付いた家制度が社会 的勢力の拡大を図るために子供をたくさん産ませる圧力となっていた点を見落 としてはならない。
 第四の論点は、”工業重視・都市中心的な開発思想”に立つのか、”農村重 視・地域自立型の開発思想”に立つのか。
 トータルな経済的富の拡大を何はともあれ目指そうとする政策が、商品経済 重視ないしは工業偏重の産業政策を押し進めてきた。それを助長したのがIM F(国際通貨基金)や世界銀行であり、GATT(関税貿易一般協定)などの 国際機関による自由貿易拡大主義であった。それが換金作物・輸出優先を助長 して、かつては自給力を保持してきた地域社会の崩壊を促進させるとともに、 貧困や飢餓を増大させ、都市への人口流失、スラムの拡大、都市と農村の格差 から南北間の格差まで巨大な矛盾を増長してきた。富や資源の世界的・地域的 な再配分のシステムを模索することがいま早急に求められている。
 またそれと並行して、永続可能な農業と農村および地域社会の確立こそ第一 に優先すべき課題であり、それは人々の基本的生存権と環境とを両立・永続さ せるための開発政策の基本となるべきものである。
 第五の論点は、従来通りの経済発展が人口問題を解決できるとするか、”経 済至上主義”が生み出す「もう一つの人口問題」(経済難民の創出)を課題と するか。
 開発と発展の矛盾が人口問題に今後とも集約的に現れてくるだろう。それ は、たんなる人口増加問題ではなく、失業の増大、国内および国際間で増加す る出稼ぎ問題、さらには経済難民の発生などといった「もう一つの人口問題」 として現れてくるのである。地域間・国際間での経済格差の矛盾、さらに農 村・農業の軽視と衰退の反面で都市爆発が進行する事態に対して、経済政策以 上に優先すべき社会政策が人口問題解決において必要とされているといってよ い。

<2> 食糧・農業問題にひそむ矛盾

 (1) 世界の農業・食糧事情

 次に世界の食糧をめぐる状況を見ておこう。それは一言で表現すれば、飽食 と飢餓の同時的共存である。高タンパク・高脂肪の食事あるいは世界中からあ らゆる食糧を入手して「豊かな」食生活を享受している国がある一方で、絶対 的貧困下で必要栄養量さえ満たせない人々を多く抱える国が多数存在してい る。前者は、大量の穀物を家畜飼料に回す余裕をもち、多くの残飯が捨てら れ、やせるためのダイエット食や健康食をはやらせているが、人類全体のなか では約2割の人口を占めるにすぎない。多数の国々はそうした余裕をもてない ばかりか、年間にして約1500万人におよぶ人々が栄養不足で死んでいる状 況にある。両者は世界経済の網の目とくに貿易関係でつながり、直接的・間接 的にいろいろ複雑な構造が横たわっている。
 基礎的食糧として重視されている穀物の1990年代初頭の世界の穀物生産 量は約19億トン、脱穀・精白した目減り分を差し引いても一人一日当りにし て約700〜800グラム近くが生産された。直接食べる分としては食べ きれない量が生産されているわけだが、現在全体としては約4割の穀物は家畜 の餌として消費されているので帳尻(バランス)は合っている。
 戦後の世界の穀物生産の推移を見ると、人口の伸びより食糧生産の伸びが大 きく上回ってきた。だが最近の生産状況の推移を見ると、生産量自体が頭打ち 傾向をみせはじめており、とくに80年代後半から変動が大きくなっているこ とが注目される。すなわち食糧の不安定な動向として大きく問題化した88年 の北米大陸の大干ばつを筆頭に、世界的に異常気象(温暖化)が頻発し始めて いる。また1950年から続いてきた一人当りの穀物生産の伸びが、80年代 半ば以降は減少傾向に転じ、さらに全体の耕地面積は81年をピークにして減 少に転じた。それは人口増加のなかでは一人当りの耕地面積の一貫した減少傾 向として示されている(図1・2・3・4)。
 従来の生産の伸びは品種改良とともに化学肥料の投入の増大と潅がい設備の 拡大によっていた。それが開発のよる農地の減少(都市化等)や潅がい地の塩 害の問題などが深刻化しており、将来的に単位生産の伸びがあまり期待できな くなり始めている。そして気候の不安定化、土壌の侵食、砂漠化、水不足、さ らには農業用薬剤による汚染問題など、重要問題が次々と浮上しだしている (第2章参照)。
 とくに深刻な事態としては土壌侵食の問題に注目すべきだろう。世界の耕地 から、あらたに形成されてくる土壌よりも毎年およそ260億トンにも及ぶ表 土が失われており、それは私たち一人一人が年間消費する農産物の背後で毎年 5トンもの土壌を消失させていることを意味する(図5)。
 アジアの農業・食料事情については、慢性的食料不足にあえいでいたインド や中国そしてインドネシアなどが戦後、食糧増産を達成して全体としてかなり 改善した。インドでは65年から80年代前半まで「緑の革命」で小麦の収量 を3倍に伸ばし、中国でも米の生産を伸ばしたがとりわけハイブリッド・ライ ス(交雑種)の普及が食糧増産に貢献した。だが80年代後半になるといずれ の国もほぼ停滞傾向を示している。増産の時代はすぎ、いわばプラスの時代か らマイナスの時代に推移しつつあるともいえる。例えば、潅がいや化学肥料・ 農薬の普及が増産に大きく寄与したわけだが、潅がいに伴う弊害として塩分が たまる塩害現象や、化学肥料・農薬への依存が土壌の疲弊や環境破壊問題とい う形で徐々に進行しているのである。

 (2) 潜在的波乱を秘めるアジアの国々

 おそらく今後より深刻な問題となるのは、アジアの急速な経済発展により、 平野部の稲作に適した農地が次々と都市開発とくに工業用地や住宅地に転用さ れて農地そのものが減少していくことである。農業軽視や農村地域の衰退の傾 向が進み、大規模なモノカルチャーや過度の近代農法への依存が今後とも強ま るとすれば、結果として、限られた農地からより以上の食糧を生産するため に、土地に対する負荷はいっそう強まる。そして地域的自給のバランスが崩れ れば、食糧をアジア地域外からの輸入に頼らざるをえない事態も遠からず起こ る可能性が高い。
 アジアの人口は2年間毎に約1億人ずつ増え続けており、西暦2025年に は40億人に達すると見込まれている。今でもバングラディッシュなどの南ア ジアそして日本などが食糧輸入にたよっているが、巨大な人口を抱えている中 国やインドなどの自給体制が崩れて食糧輸入国になれば世界の需給バランスは 大きく崩れる。
 93年、日本が米の大凶作のために250万トン規模(世界貿易量の約2 割)の緊急大量輸入をして、世界の米市場を大きく混乱させた。米という作物 はもともと自給性が高く市場規模が小さいので、需給バランスは乱れやすい。 80年代初頭に200万トン規模の緊急輸入した韓国。88年まで約100万 トンも輸出した中国が、89年には不作と需要拡大で逆に120万トンも輸入 したり、その後93年の日本の不作時に100万トンを我が国に供給したの が、95年には一転して200万トン近くを輸入するなど、きわめて不安定な 状態なのである。
 ふりかえれば、93年の凶作時に、そもそも日本が輸入できたこと自体が不 幸中の幸いだった。当時、タイからやっとのことで輸入した米が、なんとごみ 箱に捨てられていた様子が報道されたが、”飽食日本人”の非常識な行動とし て世界の目には映ったことだろう。もし日本の凶作が数年ずれて、中国その他 の国の凶作とぶつかっていたならば、おそらく大変な事態になっていたはずで ある。
 とりわけ世界の米の生産・消費の3分の1以上を占める中国の場合、その ちょっとした変化が世界市場に多大な影響を与える。将来的には2025年の 時点で、世界の米需要は7億6500万トン、現状の1.7倍必要と予測され ており、少なくとも現状を見るかぎりはその需要を満たせる可能性は低い。後 でもふれるが、自給率をどんどんと低下させてきた日本は、これから将来的に 大きな不安要因をかかえていくことになりそうである。
 また一方で、穀物の需給で注意しておく必要があるのは、そのほとんどを直 接消費する途上国など貧しい国がある一方で、アメリカ合衆国の場合などをみ るように穀物の8〜9割を家畜飼料用に回している国もあることである。直接 消費する量としては現状をみるかぎり余裕はある。だが、消費の仕方で需給の バランスが大きく変わることに注意しなければならない。例えば、牛肉1キロ グラムを生産するためには、餌として穀物を約10倍近く消費する。肉食中心 の食生活スタイルの人は、大豆など植物性蛋白質を中心の食生活の人より数倍 規模の穀物消費をしている計算になるのである。
 実際、国別の1人当り平均穀物消費量を比較すると5〜6倍もの差がある。 現在の世界に共通する動きは、経済発展の過程で食生活が大きく変わり、直接 穀物を摂取する量が減って動物性たんぱく質の需要が増えていることである。 今後の動物性たんぱくの供給増は、フィードロットという穀物給餌による大量 生産型の畜産や魚などの養殖に期待されているが、これには大量の飼料穀物の 供給増が必要となる。将来的な牛肉・魚の需要増を維持していくためには、毎 年、1100万トンの飼料穀物の増加が必要となり、その量は最近の世界の穀 物生産増にほぼ匹敵する。すなわち食用になるはずの穀物が家畜の餌にどんど ん回されて、需給バランスがその点でも崩れる可能性が高い。
 そして現在、食生活が顕著に変化しているのが、東南アジア諸国や中国そし て日本である。これは一見すると、自国の米の消費量の停滞ないし減少として 現れるが、消費穀物の全体量そのものは大きく増加し、その多くを輸入穀物に 頼ることを意味する。世界全体の穀物の需給バランスを大きく崩す潜在的波乱 要因を実はアジアの国々が秘めているのである。

 (3) 貿易依存、国際分業化で不安定になる未来

 次に貿易状況を見みよう。1950年から60年代までは、地域的にある程 度の自給体制が続いていた。貿易上、出入りがない状態というゼロが散見されて る(表1)。その後、とくに1970年以降、アジア、アフリカ諸国の輸入量 が急速に増え、穀物に関しては世界の大半が輸入国となり、現在に至っている 。その特徴は、主要輸出国が北米大陸に極端に偏在してきたことで、一極集中 化を高めていく方向に推移してきたことである。80年代以降は、唯一欧州が 強力な農業保護政策によって自給レベルを越えて生産過剰から輸出国に転じた のだが、世界最大の穀物輸出国である米国との貿易摩擦を生じて、ガット (GATT:関税貿易一般協定)協議でつばぜり合いを生じたことは記憶に新ら い。
グローバルな食糧の安全保障の観点に立つならば、現在の状況にみる国際分 業によるこうした農業・食料システムの過度な偏りは、かなり危険な事態にあ るといってよいだろう。近年めだちはじめた異常気象や地球環境の悪化の中 で、生産量の変動の振れの増大がこうした事態に対して警鐘を鳴らしているよ うに思われる。危険分散のためには一極集中化をさけ、ある程度の地域的な自 給性を再度確立していくような方向に軌道修正することこそが求められている のではあるまいか。私たちは食糧生産システムの不安定化を回避するさまざま な手だての準備を今しなければならない時期に立っているのである。
 だが、現在のところ穀物貿易をめぐる状況は、米国やカナダ、オーストラリ アなど穀物輸出国の発言権が強く、ガット(GATT)協議やその後のWTO (世界貿易機関)の動向をみての通り、輸出国による市場拡大が大きな争点と なってきた。その流れに乗って、日本の食糧輸入額は、86年に208億ド ル、93年には倍近い401億6千万ドルと増加の一途をたどってきた。とく に米の緊急輸入をした93年度の日本の食糧自給率(カロリー自給率)は、前 年度の46%から一気に37%まで世界的にみて最低レベルまで落ちた。穀物 自給率は29%から22%まで減少したのである。貿易依存のこの傾向が今後 も続くとしたら、将来的には需給の逼迫がおとずれて大きな混乱に巻き込まれ る可能性が高いことに再度注意しておきたい。
 それは自国の食糧安全保障の問題にとどまらない。すなわち、日本が大量の 資源や食糧を輸入することによる他国の人々や環境への影響について、大きな 関心を払わねばならない時代を迎えているのである。すでに2割台となった日 本の穀物自給率だが、米の市場開放の進展状況によっては穀物輸入量はさらに 拡大して年間4000万トンの規模まで増加する可能性がつよい。現在の世界 の穀物貿易量は約2億トンほどだが、日本一国だけで全体の5分の1を占める ことになる。生産過剰の状況下では問題にならないが、もし需給が逼迫した場 合、飢えに苦しむ途上国の食糧を独り占めする結果となり国際的な非難を浴び ることになる。価格を高騰させて購買力のない貧しい国を結果的に排除してし まうからである。
 93年の大凶作下で250万トンもの大量の米輸入をわが国がした結果、米 の国際価格の急騰をまねき、ただでさえ栄養不足問題をかかえるバングラ ディッシュやアフリカなど米の輸入国の人々の生存基盤を脅かした。また米の 輸出国では、例えばタイ東北部や中国の一部の貧しい地域では米が過度に集荷 されて食糧不足を深刻化させたことも報じられた。輸入品目第1位に躍りでた エビ輸入による環境破壊の問題をはじめ、熱帯林木材の大量輸入問題など多く の個別品目においても同様の問題が生じているのだが、その点についてはまた 後でふれることにしたい。
 最近の食糧輸入の中身をみると、グルメ・ブームや消費の高級化を反映した 品目構成になり、86年を境に長年第1位を占めていたトウモロコシがエビに 置きかわるとともに、最近は牛肉と豚肉の増加が目立っている(3位、4 位)。世界中からやってくる食材を居ながらにして賞味できる日本の食卓は、 まさに世界一の”豊かさ”を誇っているかのようだ。しかしその”豊かさ”の 裏側には多くの矛盾が山積みされていることについて、次にもう少し詳しく述 べていきたい。

<3> 地球環境問題と食糧・農業

 (1) 農業・食糧における多様性の喪失

これまであまり関心が払われてこなかったもう一つの問題をここで指摘して おこう。人類の大繁栄を導いた食糧増産システムの裏側での注意すべきもう一 つの問題とは、すなわち、生産性の大きな向上・発展の影でごく限られた生物 種に食糧を急速に依存させてきたことである。生物種ほど厳密な区分けではな いが、一定の遺伝的特性をもった品種においても同様の傾向が著しく進んでい る。
 例えば、世界最大の食糧生産国アメリカで起きたことは、生産性の飛躍的向 上とともにその農産物の品種の単一化が急速に進行したことであり、遺伝的基 盤はきわめて狭められたものになってしまった。一番極端に進んできた品種の 画一化は、商業化が最も進んだアメリカのトウモロコシや小麦、ジャガイモな どにおいて顕著にみられる。これらは高い生産性を目指して改良品種が次々と 導入され、いわゆるスーパー品種の数種が全作付けの過半を占めるというモノ カルチャー(単一栽培)化が進んだのである。93年わが国の米作が戦後最大 の凶作にみまわれたが、注意しておきたいのは、美味しい米、高い値段の米へ の特化、すなわち病気や天候条件に左右されやすい銘柄米やブランド米へ品種 の集中化・画一化が被害の拡大に多少なりとも影響していたことである。
 こうした単純化の意味するものは、生産量や見た目の良さという外見上の華 やかさとは裏腹に、きわめて脆弱な不安定性を抱え込んでしまうということで ある。事実、世界最大の生産量と生産性を誇るアメリカのトウモロコシの場 合、第二次大戦前と比べて単位面積当りの収量は1980年代には5〜6倍に まで向上した。だが順調な生産拡大の道に大きな警鐘を鳴らす事件が1970 年に起こった。70%が近親交配系のトウモロコシ五品種となり、遺伝的均一 性が広大な地域にモノカルチャー化して広がっていたため、ごま葉枯れ病(カ ビ病)が一挙に蔓延したのである。結果的に、生産量は15%の減産に追い込 まれて価格の高騰を招いたのだった。
 こうした事態は歴史的に何度も繰り返されている。一番よく知られる例とし ては、1840年代にアイルランドとヨーロッパで起きた大々的な胴枯病の蔓 延によるジャガイモの大凶作である。その結果はきわめて悲惨なもので、推計 200万人にも及ぶ餓死者とほぼ同数の規模の移民(難民)が海外へと送り出 されたのであった。1946年には、ほとんどがビクトリア種で占められてい たアメリカのカラス麦の大部分が伝染性のカビのために壊滅的被害をうけてい る。深刻な社会問題とはならなかったが、例えばアメリカ栗はクリ胴枯病のた めに事実上消えてしまった。
 最近の調査では、1903年に当時の農業省に登録されていた商業作物のう ち96%がすでに絶滅しているという。当時食べられていた7000種以上の リンゴのうち86%が、2683種のナシの88%はもはや手にすることも口 にすることもできなくなった。
 現在、先進諸国ではバイオ関連企業や国の研究機関が種子銀行(遺伝子バン ク)を設置し大々的に遺伝子資源の保存につとめている。こうして種子会社や 先進諸国の研究機関に種子(遺伝子資源)が集積されつつある一方で、原産国 であり野生種を保持してきた途上国自体では原種や野生種はおろか伝統的に保 持・育成してきた在来品種さえ急速に失われようとしている。
 世界の動きは冷戦終結という要因も手伝ってとくに経済が重要な役割をはた す時代となっている。とりわけ貿易の自由化と市場経済の世界大への拡大・推 進が最大の関心事となっている。わが国の場合、自由化の促進がより安い食料 を世界各地から入手する道を開く豊かさへの導標であるかのような言われ方を するが、そこには大きな問題が隠れている。この場合の食卓の豊かさ、選択枝 の拡大の一方で起こることは、外見上の食卓の多様化とは正反対に世界大で国 際分業化とモノカルチャー(単一耕作)などの集中化・画一化が進み、深刻な 多様性の喪失が世界規模で進行していくのである。

 (2) 輸入超大国”日本”と環境破壊 

 貿易と環境問題との関わりは、農林漁業など一次産業や鉱物など資源の採取 において大きなテーマとなってきている。なかでも、近年の日本の熱帯木材の 大量輸入問題は典型的な事例である。すなわち、今日のような外材(約半分が 南洋材)に全面的に依存する(自由貿易)体制になってしまった結果が、アジ アの”森食い虫”と言われる日本を生んだのだった。その一方で、国内林業の 不振、わが国森林資源の荒廃(管理の手抜き)、山村の衰退が促進された。こ うした事態のそもそもの発端は、1960年代初頭に行われた木材市場開放に 起因している。
 木材の大量輸入国になった今日、国の外において熱帯林の破壊を引き起こす 一方で、国内では山村の過疎化を促進し、山林の手入れ不足から土砂崩れなど の問題が顕在化している。一部には村興しに成功している例もあるが、山間地 の大半の村では一次産業では生活の維持が難しく、過疎化が進み、最終的身売 りとも言うべき現象として産業廃棄物の捨て場になったり、”リゾート開発” (ゴルフ場問題など)による大規模自然破壊が起きてたりしているのである。
 熱帯林木材の輸入問題と同様に、世界市場に組み込まれることで似たような 問題が幾つかの農産物においても起きている。わが国の食糧輸入の中身が、ト ウモロコシからエビに置きかわり、グルメ・ブームや消費の高級化を反映した 品目構成になったことはすでにふれた。ここで輸入品目第1位に躍りでたエビ の問題を取り上げよう。日本人は年間1人当り約4キログラムのエビを食べて おりまさに世界一の消費量を誇っている。
 61年に輸入自由化されて以来、一貫して輸入は増え続け、すでに国内生産 量の5倍をこえた。輸入先はアジアがほとんどで、インドネシア、タイ、中 国、インド、フィリピン、台湾などである。60年代から70年代は天然のエ ビの方が多かったが、現在は漁獲量の減少と養殖技術の普及により養殖ものの 割合が多くなっている。天然のエビを取る場合、トロール魚法により海底を引 きずるため乱獲とともに漁場を荒しやすい。雑魚を含めすべてを一網打尽に し、エビ以外は捨ててしまうからである。東南アジア全域でエビ資源は枯渇し だし、各国の零細漁民の生活が脅かされはじめたことで、インドネシアは81 年にトロール漁法を全面的に禁止した。
 天然ものの漁獲量の不足を補うために養殖が盛んになったのだが、養殖池は 海岸線のマングローブ林を破壊して造られることが多く、新たな自然破壊が大 きな問題になっている。マングローブ林の沼地は栄養分に富んだ場所のために プランクトンが大量に発生し、餌の供給地としてまた外敵から身を守る安全な 場所としても、稚エビや稚魚のまたとない生育地であった。さらに自然の防潮 林の役目をはたしていたことから、マングローブ林がなくなることで水害が起 きやすくなるなどといった問題も出ている。エビの養殖が広がるなかで、魚の 生育環境としての海域と海岸線マングローブとの生態系の循環が分断され、大 きくは熱帯地域の漁業資源への悪影響も心配されている。
 さらに、早くからエビ養殖が拡大した台湾などでは、地下水の汲み上げすぎ による地盤沈下が深刻化したり、餌を大量に給与する高密度飼育による水の汚 染、病気が蔓延して大量の抗生物質が恒常的に使われるなど、弊害が目立ち始 めている。エビ問題は自由貿易がもたらした外部不経済の典型例である。
 こうした途上国から来る産品としてしばらく前に問題になったのがフィリピ ンのバナナ・プランテーションである。その主要産地であるミンダナオ島は、 かつてはヤシの林やトウモロコシや米が作られていた場所が、多国籍企業によ り日本市場に向けたバナナ生産基地に変えられた。60年代後半から外国資本 とフィリピン政府、地元の地主の力でで次々と広大なバナナ農園がつくりださ れたのであった。多くの小作人はそのバナナ農園の労働者として低賃金と劣悪 な労働条件のなかで働かされた。輸出向けの特別な品種が導入され、危険な農 薬が飛行機からも散布されて農民への被害や河川の汚染などが問題化したこと で、フィリピンの農園労働者と連帯する日本の市民運動が展開されたのだっ た。同じくパイナップルなどでも似たような問題が起きている。パイナップル の場合、連作することで土壌を疲弊しやすいこともあって耕地の不毛化を招き やすい。プランテーションを経営する企業としては、土地を捨てて次へと移る ことが可能だが、結果的に荒れ地が残されてしまうのである。
 また最近の例にショウガがある。漬物用には輸入ショウガが大きなシェアー をしめつつあるが、80年代初めまでは日本の漬物会社による開発輸入として 台湾産が主であった。とくに栽培地は、気温の低い高地の山の森林を拓いて作 られていたが、ショウガは連作しにくいので数年で放棄されることが多かっ た。結果的に山の自然破壊が問題化し、台湾政府が規制し始めたことやコスト 高も手伝って、現在はショウガの栽培地は東南アジア諸国、とくにタイ(現在 最大の供給地)の北部の山々にも栽培地がひろがっている。タイ北部は近年急 速に森林を消失しているところで、洪水問題などから森林保護の必要性が叫ば れているところである。
 また輸入品目で伸びが目立つのが豚肉であるが、その最大の輸入先は台湾で ある。日本向け輸出のために養豚が急拡大したが、その結果、日本のような糞 尿処理のきびしい基準がなかったことから深刻な水質汚染が引き起こされた。 こうした問題は幾つも出ているが、環境基準や規制が無かったり緩く設定され ていることで結果的に一種の公害輸出と似た問題が生じていると考えられる。
 日本向けにアジア各国から野菜や果実の輸入が急増しているが、東京都衛生 研究所のデータによれば毒性のきわめて強い有機塩素系農薬等が台湾産の枝豆 やブロッコリーなどから検出されている。海外でも最近、香港において中国か ら輸入された野菜を食べて中毒を起こした事件が報道されている(91年)。
 以上のような問題は日本に限らず世界各地で起きている。地球環境問題と結 びついて世界的に大きな注目を集めたトピックに、安い牛肉と熱帯林破壊との 関連がある。80年代後半にアメリカの環境保護団体が起こした「ハンバー ガーコネクション」と呼ばれる運動である。ファーストフード用の安い牛肉が 中南米から大量に米国に輸入されており、それは熱帯林地帯を焼き払ってつく られた放牧場の牛を原料にしたものだったことを告発したのであった。60年 代から20数年間に中米の熱帯林の約4分の1が牧草地にかわったが、そこで 生産される牛肉のほとんどがアメリカのハンバーガーチェーンに行っていたか らである。

 (3) 新たな地球的な食糧・農業保護政策を!

 今日の日本をみた場合、年間約7億トンに及ぶ物資が海外から輸送されてい る。それは世界の海運総輸送量の2割におよぶ量である(運輸白書)。例え ば、食料品輸入の第1位(金額)のエビそして木材、鉄鋼石、石炭などは世界 貿易量の約3分の1を、穀物や石油などは1.5〜2割が、日本一国にきてい る。面積としては全陸地のわずか0.3%、人口では2.3%にしかすぎない 日本にこれだけの物資が運びこまれていることは、地球環境に対しても多大な 責任を負っているといってよいだろう。
 バナナもコーヒーもエビも近年とても安く入手できる食品になったが、良く も悪くも安さの裏には多国籍企業や商社などの巨大な力が働いており、いわゆ る第三世界(途上国)の農民や労働者そして自然にもいろいろと大きな負担を かけている点を見落とすことはできない。例えば多くの一次産品の交易が、ご く一部の多国籍企業の手に集中している現実がある。今日では約20ほどの大 企業が世界の農産物取引の大部分を支配している状況にある。穀物からコー ヒー・紅茶・バナナ、そして鉱物資源に至るまで、その貿易の6割から8割が 3から5ほどの巨大多国籍企業によって支配されているのが実状である。地球 環境問題をみても、地域の在り方や生活の豊かさといった問題をみても、私た ちは大きな転換点にさしかかっているのではあるまいか。
 途上国においては、累積債務問題による輸出圧力という外圧が一方ではたら く中で、商品経済が徐々に人々の伝統的生活をおおい始めている。効率性の原 理と尺度だけで物事がすべて動かされていくことによって、それに合わないも のがどんどん切り捨てられていく。地域の”おくれた自給的農業”あるいは” 未開発・未利用の資源”としての価値尺度を押し付けられる自然、そして先住 民族の社会や文化などがそれである。
 最後に世界的視野にたって、農業問題という視点から世界的矛盾構造を簡単 に描き出すと次のようになる。すなわち、地域レベルでの商品経済の浸透や開 発政策のもとで、自給的農業や弱小農家が経済的に立ち行かなくなり淘汰・消 滅していく。競争に勝った大型農場(大地主や大資本あるいは多国籍アグリビ ジネス)が販売力をつけ、市場の拡大と制覇をすすめるなかで対外的には自由 貿易と国際的分業の拡大ヘと進み、それは一方では国境を越えた貿易摩擦問題 を生じつつ、結局はグローバルな国際分業体制への組み込みが形づくられてい く。そのプロセスのなかで各国とりわけ第三世界をはじめとする農山村(自給 経済)の衰退をひき起こしながら、環境破壊、人口の都市集中、スラム(貧 困)拡大などが、一連のものとして進行していくことになる。
 地域農業は、ある意味ではそれぞれの国の自然環境の破壊をひき起こす時に 突破される第一の砦とみることも可能であろう。おそらくいま進行している農 産物の全面自由化は、最終的には世界的に(国内、国外の両方で)農山村の生 活基盤やコミュニティーの崩壊を生むことで、きわめてバランスの欠いた国土 利用を加速化していく可能性がつよい。すなわち今私たちが目指すべき方向 は、一次産業を広い視野から世界レベルで支援していく体制を国際的政策とし て実現することが重要なのである。
 各国は、地域レベルで永続可能な農林漁業を保全していくことをまず最優先 させた上で貿易関係を築くことを基本とするべきであろう。それによって、地 域の自然や文化そしてコミュニティーの多様性は保たれ、それが地球環境の安 定性や多様性そのものを保障するという考え方(生態的安全保障)を世界的に 受け入れることが大事である。各国の狭いエゴイズムからではない、新しい地 球的な食糧・農業保護政策が求められているのである。

 これから求められてくる農業とは、比喩的に言えばかつての例えば江戸時代 と同様に、物質と生態系の循環という考え方が基本軸になり、いわゆる永続可 能な環境保全型農業と言う本来的姿があらためて復活してくるのではなかろう か。水や大気、土壌の生態的な循環から、食物、生活器具、衣類、家具、そし て住居に至るまで、生活を包み込むトータルな循環の姿がそこに浮かび上がっ てくる。つまり、生産(栽培・飼育・加工)ー流通(保存・運搬・販売)ー消 費(購買・調理)ー廃棄・還元(リサイクル・コンポスト処理)といった相互 連関性を重視するなかで、「地球と共に生きる生活者」の視点こそが求められ てくるのである。
 そしてそこから、生産・流通・消費・廃棄を有機的に結び付けた物流と、都 市と農山村との豊かな人的交流が花開くような社会システムとして描き出せる のではあるまいか。
 それはおそらく、環境保全型農林業を基礎とする地域社会の形成を重視した 高度リサイクル・循環型社会の創造といった総合的社会ビジョンにつながるも のだろう。農業を国土と自然と人間を活かす総合的な生命産業として国民が理 解し支援する体制づくりこそが今はとりわけ求められているのだと思われる。

コラム: < どうしよう? こうしてみよう!>

    (1)地球市民として出来ること

*地球という生命に満ちあふれた世界の成立ちをよく理解し、自然との共感を 深め敬い、世界の人々と自由・平等・友愛の心をもって広くつきあおう。

*いま自分がしていることの影響が、未来の世代へどのように引き継がれてい くかを思い浮かべ、苦しみではなく希望や楽しみや驚きの種が将来たくさん芽 吹くように行動しよう。

*未来を託す子供たちや広く教育の現場において、環境・自然教育、農業教 育、生活者教育、開発・国際理解教育などを積極的に導入していこう。

*せまい自分だけの利益や世界に閉じ込もらずに、広い世界に目を向けて、新 しい出会いと発見、未知の能力の開発の場ともなるボランティアやNGO活動 等に積極的に参加しよう。

*生産活動は、情報公開を原則にして、品物の生産地・原産国の表示や生産の プロセスをできるだけ詳しく明示しよう。

*生産の過程から流通・廃棄にいたるあらゆる段階で、環境への負荷を評価し (環境監査、環境アセスメント)、各段階で具体的な「環境負荷削減総合計 画」を推進しよう。

(2)生活者として出来ること

*生活における3つの「R」(頭文字が3つのR)を心がけよう。
@:リデュース 削減(過剰消費と廃棄、長距離運搬等をなくす)
A:リユース 再利用(修理、簡素、永続性を重視する)
B:リサイクル 回収利用(全体の循環)

*自分が消費する品物がどこでどのように作られているかを知り、できれば生 産現場を訪ねてみよう。とりわけ自然との関わりが強い農業をはじめとする第 1次産業の現場を訪ねて理解を深めよう。

*商品を選ぶ際には、その品物の品質や安全性や環境評価とともに、誰がどう 作ったものなのか、生産現場を思い浮かべ、生産プロセス全体の環境評価・社 会評価を重要な選択の基準としよう。

*納得のいく品物を手に入れるには、できれば産直や共同購入など顔と暮しが 互いに見える関係を大事にする流通に関わることが望ましい。交流と相互啓発 を大切にし、生産・流通・消費・廃棄を協同の力でよりよいものに変えていこ う。

*物を買うときの価格の公正さをよく吟味しよう。支払ったお金が、誰に、ど こに、どれだけ回っているのか、その内訳をチェックし、環境と社会的責任を 自覚する消費者になろう。
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