【TOP】
20世紀文明の大転換 ― 新しい文明の扉を開こう ―

古沢広祐(「国学院大学紀要」第37巻、1999年3月、 図表は省略)


(1)20世紀文明とは何だったか ー その特徴的パターン

 人類史の長い時の流れをみるとき、産業革命を境にして人類の活動は、人口増加、 エネルギー消費量、情報量、交通量などどれを取り上げても飛躍的な成長をとげてき た。なかでも20世紀後半の数十年間の成長ぶりはめざましく、人類史上再び起こる ことのないような急激な成長(大量生産・消費)の時代を私たちは生きている。今世 紀の百年ほどの間に化石燃料使用量は十数倍、工業生産量は20数倍に膨れ上がり、 しかもその5分の4は1950年代以降に達成されたという幾何級数的成長の道を歩 んでいる(図1)。この傾向が今後も続けば、21世紀中には現状の数倍規模に拡大 し、環境問題の深刻化、生物多様性の崩壊(種の絶滅)、資源枯渇などどの面をとっ ても破局的な状況に直面せざるをえない。まさに20世紀文明の急拡大が重大な岐路 に立っているのである(図2)。
 また(図3)をみてのとおり、産業革命をへた高度産業社会(技術人)は、太古の 人類の約百倍規模のエネルギーを消費することで豊かな文明社会を謳歌していること がわかる。エネルギーを表す言葉に馬力という言葉があるが、奴隷労働をイメージす る人力という表現を仮に使うならば、つまり現代文明社会では各人が約百人力のエネ ルギーによってその豊かさを支えているわけである。その大半が遠い過去に蓄積され た化石燃料によってまかなわれており、まさに化石燃料消費が文明の推進力となって きたのであった。
 こうしたエネルギー消費によって放出されるのが二酸化炭素(CO2)であり、昨年 12月の京都会議(COP3)では、地球温暖化を促進するCO2を主要因とする温暖化ガ ス放出を2010年前後までに平均して約5%削減することに決まった。しかし、現 状レベルでCO2濃度を安定化(濃度増加ストップ)させるためには、今のCO2放出量を 半減どころか7割程度の削減が必要であり、増加速度(スピード)にどの程度ブレー キがかけられるか予断を許さない。

 ここで状況を巨視的にとらえ、20世紀型文明の発展パターンの特徴をあげると次 のようになる。第1の特徴は、図1、図2、図3にみられるように2倍、4倍、8倍 と幾何級数的な成長・拡大傾向をもって展開してきた点である。第2の特徴は、そう した成長・拡大が人類社会に平等にいきわたって進んだのではなく、局所的な偏在傾 向をもって進行してきた点をあげることができる。それは、(図4)の富の偏在の分 布図に典型的に示されている。現状をみるかぎり、世界人口のわずか4.5%にすぎ ない米国人が世界のCO2排出量の23%を放出し、人口比で2割ほどの主要先進諸国 (OECD:経済開発協力機構、旧ソ連、東欧を含む)が6〜7割近い量を放出すると いったように、一握りの国が大量の資源消費と廃棄を行っているのが実態である。世 界人口の7〜8割近くを占める途上国のCO2排出量は34%、そのうち中国をのぞけ ば22%でしかない。
 つまり、20世紀の発展パターンの特徴は、世界人口の2割にすぎない先進工業国 が、全体の資源・エネルギーの8割近くを独占的に消費する偏った消費パターンに象 徴されるように、経済的豊かさが地球規模で一種の階級的社会を形成してきたことで ある。その様子は国別一人当たりのCO2排出量の格差においても端的に示されてい る(図5)。そしてこの図5を見てわかるのは、その形が先に示した図3の形によく 似ていることである。つまり先進諸国が達成した「技術人」(高度産業社会)は今の ところ人類全体のうち4分の1ほどにすぎない。そして、今後この発展形態(レベ ル)を人類すべてに拡大するような将来展望はありえないこと、大量消費・廃棄型の 先進工業国社会は物質・エネルギー量的にはその縮小によって均衡をはかることが求 められているのである。CO2削減問題は、このことを人類社会に明確に提示したもの で、全世界が一丸となって方向転換をはかろうとする文明史的な転換を意味してい る。

(2)サステイナビリティ(持続可能性)をめぐって

 以上みたように、私たちの文明が持続不可能な発展パターンに陥っている現状に対 し、いわゆる「持続可能な発展」(サステイナブル・デベロップメント)が提起され てきた。その理念と内容をめぐって、世界中であらゆる分野の人々を巻き込んで数多 くの議論が行われてきたが、世界共通の普遍的なビジョンや実践へのシナリオが明確 に提示されるには至っていない。
 この概念をめぐって、さまざまなアプローチが模索されているが、大きく整理する と2つの流れがあるようにみうけられる。すなわち、<1>永続的な資源・環境利用 を模索する流れ(どちらかというと自然科学の領域を中心)、<2>広義の公正の概 念を適用する流れ(倫理学を含む社会科学の領域を中心)である。
 <1>の流れは、具体的な物質量を持続可能性として設定しようとすることから比 較的わかりやすい。なかでも基本となる概念整理としては、3つの基本的条件すなわ ち、[ 再生可能資源:消費量を再生量の範囲内におさめる ] [ 枯渇性資源 :消 費を再生可能資源で代替する ] [環境汚染物質:排出量を分解・吸収・再生の範囲 内に最小化、排出量<吸収・無害化] (ハーマン・デーリー)などがある。実際に は、何を重視するか重点の置き方が違ったり、さらに扱う問題や技術的可能性の評価 などをめぐって、持続可能性にはさまざまな試みがあるが、大半はほぼ上記の基本的 条件をふまえたものに集約されると見てよかろう。例えば、一例として環境容量(エ コスペース)などの考え方も、物理的利用条件としてはほぼ同じ基本条件を考慮した ものと考えられる。
 <2>の公正概念を適用する流れについては、ブルントラント・レポート『われら 共有の未来』(Our Common Futuur:1987年、邦訳『地球の未来を守るために』)で 表現された概念、「将来の世代がその欲求を満たす能力を損うことなく現在の世代の 欲求を満たす開発」という表現内容がよく引用される。表現的には世代間の公正に重 きを置いた記述になっているが、全体的な記述をふまえるならば、基本的には二つの 要素、すなわち現存世代の公正(南北問題:世界的貧困問題、資源・財・環境への不 平等なアクセス)と、将来世代との世代間の公正問題(将来世代の資源・環境の収 奪)という二つの座標軸からなる配分をめぐる調整問題であるとしてとらえることが できる。私流に言い換えれば、現存世代内での共生的関係をどう形成するか、および 将来世代との共生的関係をどう形成するかということになる。
 配分・公正をめぐる調整問題として追求していく場合、この概念の内容については 次の点をもう一つ考慮し明確化しておく必要がある。つまり、現代世界の動向として 人間中心主義に対する批判や生物多様性条約などの成果をふまえるならば、基本的な 座標軸としてはもう一つ、生物・自然との共生的関係の軸を設定しておく必要があ る。すなわち、上記の公正な配分問題は狭く解釈すれば、人間の世界の中だけでの調 整にすぎない。我々が直面している課題をより明確に表現すれば、人間と他の諸生物 あるいは自然環境自体との相互バランスをどのように調整するかという課題につい て、いわば第3の座標軸が考慮されるべきである。
 つまり、公正さの概念ないし配分の調整問題について、@人間と自然とのバランス 調整、A現存世代内でのバランス調整、B将来世代との間のバランス調整、という3 つの座標軸の中での相互調整が具体的な戦略課題となってきているのである。こうし た動きは現在、主に環境倫理学などの分野を中心に概念レベルの検討が進められてい る。
 以上、2つの流れのうち、前者はいわゆる環境コストをどう内部化するかという問 題として、後者は社会的コストをどう内部化するかという問題として、社会経済学的 に言い換えて議論することができる。ここでは、とくに環境コストをどう内部化する かという問題(環境調和型社会の実現)について述べることにしたい。

(3)文明エンジンの構造転換


 今こそ我々の文明発展パターンの重大(危機的)な欠陥を真剣に受けとめ、軌道修 正と構造変革を速やかに実行していく青写真を早急につくる必要がある。しかも、そ の青写真は過去の延長による部分的な改良では追いつかない、文明エンジンの構造転 換を伴わざるをえない性格を持つ。おそらく人類のこれまでの知識と知恵と文化を総 動員し、かつ過去の延長戦的な発想を超えた新しい枠組み(パラダイム)を構築して いく必要があると思われる。こうした文明史的な挑戦という事態を真剣に受けとめ て、どこまで構造転換に果敢に取り組めるかが21世紀社会への適応力をきめること になるだろう。
 これまでの20世紀文明の発展形態は、大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴され るように、社会システムの入り口(INPUT)と出口(OUTPUT)をどんどん拡大する形 で経済発展をとげてきた(図6)。つまり、入口(資源採取)と出口(廃棄・汚染) をどんどん広げて社会経済システムの拡大膨張を続けてきたわけだが、資源と環境の 限界性にぶつかって入口と出口を縮小しながら社会経済システムを維持・発展させる というパラダイム転換(環境調和型社会の実現)を求められているのである。
 これまでの発展パターン、とくに20世紀に花開いた文明エンジンの推進力(化石 燃料消費)が、まさに180度逆の方向転換を迫られているのである。とりわけ今世 紀に急加速度展開した動きが、21世紀には大修正どころか正反対の展開を求められ ている。比喩的な表現を使えば、そこでは「20世紀文明」と来るべき「21世紀文 明」との相克とも言うべき事態が起きているのである。
 環境調和型社会をどう実現するか、経済学的には環境コストをどう内部化させるか という実践的な取り組みが様々なアプローチとして始まっている。個別の動きの全体 像をわかりやすく整理すると、社会経済システムの入口の所からコントロールする方 法、出口の所からコントロールしようとする方法、それに関連して生産システム改善 ないしはトータルな生産・流通・消費・廃棄システムの改善を目指す方法などとして とらえると理解しやすい。
 例えば入口の所からの一例としては、環境容量(エコスペース、エコロジカル・ リュックサックないしフットプリント)を算定して、それに基づく社会・生活システ ムの構築を目指すアプローチがある(表1参照)。出口の所からのアプローチとして は、例えばゼロ・エミッション(廃棄物ゼロ)システムの構築を目指す動きなどがあ る。 また、個別に生産・流通・消費・廃棄システムの改善を目指す方法としては、 環境管理、環境監査、LCA(ライフサイクル・アセスメント)、環境調和型製品の開 発などの動きがある。今のところ、それぞれの領域で開発研究が進められつつある。

(4)環境効率革命と市場のコントロール

 他方、環境調和型社会への転換をはかるための政策手法という観点からみた場合、 大きくは4つほどのカテゴリーに類型化できる(表2)。経済学的には経済の外部性 (環境コスト、社会コスト等)をどう内部化するかという問題だが、@ 技術的解決 方法の他に、A 法的・規制的方法(強制的な管理統制)、B 経済的方法(課徴金、 助成金、環境税、排出権取引、エコラベル、等)、およびC 社会・文化による内部 化(慣習、倫理、教育、ライフスタイル、等)がある。

┌<表2>──────────────────────────────────┐

│@技術的解決方法・・・・公害防止・環境保全技術、LCA、環境管理・監査

│A 法的(規制的)手段・・・・環境規制(禁止・罰則・制限)、許認可・利用規制

│B 経済的手法 ・・・・課徴金、助成金、環境税、排出権(市場)取引、エコラベル

│C社会・文化による内部化・・・・習慣、慣習、倫理、教育、生活文化、規範
└──────────────────────────────────────┘

 比較的わかりやすく受け入れやすいのが@の技術的解決方法である。ただ しそれが単独で自然に解決・展開するわけではなく、とくにBの経済的方法(手法) の活用やAの制度的な枠組みをどうつくるかが重要な鍵をにぎっている。@ABが相 互に関係し合ってはじめて実効性あるものになるのである。すなわち文明転換に向け ての第一段階は、環境効率革命および環境市場革命を連鎖的に推進していく枠組みを どう作り出すかである。
 こうした動きを社会経済的に定着させるためには、従来の貨幣経済的なコスト・ベ ネフィット(損益)評価に環境関連の評価指標を組み込む必要がある。例えば製品の 分析評価について、エコ基準とかLCA分析などの各種評価手法が試みられており、い わゆるエコラベルの導入などに適用されつつある。世界的にも欧州を中心にISO(国 際標準化機構)14000の中でそうした評価が具体化されつつある。各国レベルで もドイツの循環経済法のように、リサイクルと廃棄物ゼロに向けた制度変革も進行し 始めている。
 だがこうした動きは、20世紀文明の旧来型体制にとっては大きな足かせ(貿易と 投資の新たな規制)と見なされるので抵抗も大きい。とくにグローバル化した市場経 済の拡大圧力は、自由貿易(WTO:世界貿易機関)体制下でいっそうの規制緩和を求 めており、環境に名を借りた保護主義の台頭として警戒されている。しかし環境関連 の規制枠組みや評価指標がきちんと市場システムに組み込まれない限り、環境効率革 命は進展しないのである。その意味でも国際的な条約で、CO2削減の枠組みづくりな どを形成することが、文明転換の第一段階にとってきわめて重要である。
 そして、おそらくこうした環境産業革命を徹底して追及していくと、その行き着く 先は、私たちの社会システムや生活様式をトータルに変革していく方向に進んでいく だろう。一例をあげれば、より少ない資源消費や環境負荷で、十分な満足が得られる ような生活の豊かさ意識(価値観)・文化の形成、一種の生活美意識を作り上げてい くことが求められている。産業も、造って売ってしまえば終わりといった製造・販売 に重点を置いた現在のモノ販売中心の市場システムから、修理・回収・再生が十分に 機能する製品レンタル制度の普及やサービスの質(中身)を提供することに主眼をお いた社会へと究極的には変わっていく社会展望が描けるように思われる。

(5)生態系重視の文明形成
 ー食・農・環境教育の視点から

 次に持続可能な発展について、具体例として食料・農業生産を例にして考えてみよ う。人口増加にともなう食糧危機に対して、増産など新たな技術開発と生産性向上が 期待されている。他方、無理な生産性向上を追求した近代農業技術への反省から、と くに環境との調和をめざした有機農業や持続可能な農業の必要性が叫ばれている。し かし、一般的にこうした農業は生産性が抑えられる傾向があり、増大する世界の需要 を賄いきれないのではないかといった批判が出されている。
 つまり、「有機農業で世界は養えるのか」という問いかけだが、これについての解 答は、生産のあり方のみならず消費のあり方にこそ解決の重要な糸口が隠されてい る。言い換えれば、生産のあり方は、消費・生活のあり方によって大きく左右される ということである。その糸口を示唆する興味深い動きが、地球環境問題とも関連し て、食と農を通じてのライフスタイルの変革運動としていろいろと出始めている。
 例えば最近、全国各地で「エコクッキング」のガイドブックづくりが行われてお り、旬の野菜、地場の野菜を利用し(エネルギー節約)、捨てるものがないよう上手 に料理してゴミを少なくする実践などが、環境への負荷を減らすエコロジー運動の一 環として行われている。また、「地球にダイエット」キャンペーンでは、食べ方(食 メニュー)の中身を環境との関わりで見直す取り組みが行われている。食メニュー を、たんに栄養評価からではなく、どれだけの面積やエネルギーを要して生産される かまで評価して、エコロジカルなメニュー(エコダイエット)として見直していこう というものである(図6)。
 肉食過多や風土(季節)に反した不自然な食生活は、自分の健康ばかりでなく、地 球の農耕地や資源・環境にも過大な負荷をかけてしまう。例えば現状ベースの世界の 農耕地の生産で、米国などに代表される大量の残飯や廃棄を前提にした飽食と肉食 (動物性蛋白)過多の食事(西欧型食生活)を世界中の人間がとった場合、世界人口 は現状の半分も養うことはできない。他方、穀菜食を主としたインド的な食生活なら ば、世界人口は現状の倍になっても養えるというわけである。地球との共生をめざす エコダイエットやエコクッキングといった消費のあり方こそ、有機農業で世界が養え るか否かを決める鍵となる問題提起なのである。

 そもそも私たち人間が生きてるということは、周囲と切り離されて自分だけ孤立的 に存在してわけではない。周りの世界とのつながり、空気、水はもちろんのこと、食べ物 で言えば、水田との繋がりと、家畜との繋がり、あるいは地域の山々や樹木ともつな がている。栄養源の供給から見ても、漁業や田んぼや畑は元来は林や森林があること で、それらがうまく共存し合う関係(共生的関係)で成り立っていた。そしてそこに 永続可能な社会の基盤が築かれていたのである。
 産業社会以前の多くの農業社会では、自然の物質循環系と似たようなサイクルを社 会の基礎に発展させてきたかにみえる。例えば日本の場合、江戸時代には都市内の人 糞尿が回収されて農地へと戻されるような循環サイクルが形成されていた。これ は、”食”の延長線上に”農”的環境が循環サイクルとして整えられてきたとみるこ とができる。なかでも興味深いのが、食・住・衣すべてに関係をもつワラ利用の展開 であった。ワラ屋根、わらじ、蓑、縄、俵、雪沓、鍋つかみ、壁土の補強材、玩具、 そして精神的宗教的世界の領域のシンボルである神社のしめ縄に至るまで、多種多彩 なワラ工芸品が生活文化用具として利用された。もちろん最終廃棄物は田んぼや畑へ 還元されたことはいうまでもない。(図7,8)
 そして今日、水系全体のつながりを回復させようとするユニークな運動が、日本の 各地で沿岸・養殖漁民による山に植林をする運動として広がり始めている。海を守る 運動が、山の森を守る運動と繋がりだしているのだ。海の民が山の水源地の人々と手 を結んで植林をしたり、途中の農家の人達が、合成洗剤を使わないようにするなど水 系全体の生態系をよみがえらせようという運動である。そうした動きに対して、都市 住民の支援や協力も生まれだしている。さらに、都会の子供達に農業・農山村体験を させ、そこで伝統的な食文化を学んだり、生産現場(農村・山村)との繋がり(交 流)を取り戻そうといった動きも広がりはじめている。
 つまり、これからは食料を単なる栄養素や商品とだけみるのではない視点が求めら れているのではなかろうか。食料をもっと私たちの生活の文化だとか環境だとか、暮 らし方全体に繋がっている根元的なものとして認識することが、日本の中でも、また 国際的にも再評価すべき時代になりつつあると思われる。とくに「食」というものは 文化の宝庫であり、「農業」はいわばエコロジーの元祖ともいえる。それらは、たん に高い安いだけではかる商品の世界に押し込めてしまうにはもったいないほどの意味 と価値を潜在的に持っている。例えば伝統文化に目を向け、四季おりおりの季節の恵 みと料理の知恵などを見直すことで、食と農の存在をより強く実感できるはずであ る。
 さらに今日では、農業に対し、環境保全や景観、精神的充足や教育面などのさまざ ま効用ないし多面的機能を見直そうとする動きがでてきている。生産者と消費者が直 接提携(産直)して支えている有機農業のなかでも、互いに相互啓発しながら上記の ようなさまざまな価値を実現していくプロセスが生まれている。消費をめぐる世界で も、「より安い物を自由に幾らでも選べる」従来の消費マインドからの脱却が、たと えばグリーン・コンシューマーなどをみるように消費の意味を環境面、社会面から問 い直す動きとして始まっている。地球環境問題、あるいは農業の衰退、地域の在り 方、生活の豊かさといった問題をみても、たんに量的拡大の発想から質的な内容を吟 味して環境調和的に再構築するという文明・文化的な転換期にさしかかっているので はなかろうか。

(6) 社会経済システムのビジョン
   ー 文明社会の構造転換

 今後の展開としてもう一つ重要なのは、生活様式や広い意味の社会・文化をどのよ うに構築していくかである。つまり、全体的な生活様式や社会・文化的状況について 環境・社会への影響評価を行いながら、あるべき方向についてトータルな仕組みをつ くっていく、それはすでにふれた、類型Cの社会・文化的内部化という大きな領域を 認識し、拡大・発展させることである。
 長期的・巨視的にみると、新たな社会経済システムの再編が資源・環境の制約下 で、私(企業)、公(行政)、共(市民)の3つのセクターのバランス形成の中で進 行していくものと思われる。つまり、社会・経済システムとしては、旧来の資本主義 ・対・社会主義といった二項対立ではなく、3つの社会経済システムの混合的・相互 浸透的な発展形態として考えることが有効だということである。3つのシステムの相 互関係は図10に示したとおりである。とくに第1の市場メカニズム(自由・競争) を基にした「私」的セクターや、第2の計画メカニズム(統制・管理)を基にした 「公」的セクターに対して、第3のシステムを特徴づける協同的メカニズム(自治・ 参加)を基にした「共」的セクターの展開こそが鍵をにぎると思われる。
 つまり脱成長型社会が安定的に実現するためには、利潤動機に基づく市場経済や政 治権力的な統制だけでは十分に展開せず、市民参加型の自治的な協同社会の形成こそ 必要となる。それは、地域のレベルから世界レベルに至るまで、事例をあげれば共有 財産(公共財)の管理運営(都市計画・地域計画を含む)、廃棄物処理に関わる問 題、あるいは平和問題などへの解決や対応策を考えればわかるだろう。こうした問題 の解決のためには、上からの管理統制や市場経済の環境コストの内部化のみならず、 市民参加、人々の自発的・協同的な活動が多面的に展開されてこそ、コスト面でもよ けいな負担がかからずにその実行性がより効果的に発揮されると思われる。つまり、 企業活動の社会的・環境的責任が定着し、市民一人一人が持続可能なライフスタイル を確立していくために(社会・文化的な内部化)、「共」的セクターの展開が必須不 可欠だと思われる。
 これからの教育とりわけ環境教育の今後の発展方向が、以上のような文明ビジョン のもとで展開していくことで21世紀文明の形成を促す土台になることを期待した い。

{注}
*本稿は、第3回日中環境教育シンポジウム北京会議(1998年 5月4日)における講 演「地球環境ビジョン」のために準備した草稿を修正・加筆したものである。
【TOP】