【TOP】
調整せまられるグローバリゼーション
ー今後の世界貿易体制をどうするかー

古沢広祐(国学院大学経済学部)

<「市民が変えた世界貿易機関ー問い直される市場万能主義」『週間金曜日』(29 7号)1999年12月24日掲載の草稿原稿>


(1)地球市民革命の到来の年

 2000年期(ミレニアム)に向けて、世界貿易の新たな枠組みを話し合うはず だったWTO(世界貿易機関)閣僚会議が決裂した(1999年12月)。開催地の シアトルには、何万人ものNGO・市民が結集し、「環境、労働、人権、女性、消費 者、子供、先住民、動物愛護、文化・・・・」さまざまなスローガンを飛び交せた。
 1999年そして2000年という年は、後世に書きつづられる歴史において、おそ らく”地球市民革命の到来の年”として記載されることになるのではなかろうか。1 999年6月のケルン・サミットでも、何万人ものNGO・市民が人間の鎖で会場を 取り囲み、かねてからNGOが提起してきた重債務国の債務帳消しの決定が下され た。
 1990年代は、92年の地球サミットを皮切りに、NGOが国際舞台の一翼を担 う存在として大きく頭角を現した時代である。それは、ノーベル平和賞をNGOが9 7年、99年と隔年で受賞したことにも現れている。今や国連の会議をはじめとし て、重要な国際会議は、フォーマル、インフォーマルを含めてNGOの存在をぬきに しては語れないほどとなった。
 こうしたNGOの活動の背景には、政治、経済、環境、平和、どれをとっても国レ ベルを超えた問題が次々と浮上し、国単位の政策以上に国際的な取り組みの重要性が 生まれてきていること、それに対し、政策決定を担う機関や場が一般市民からは遠く 見えにくい存在であることがあげられる。さらに、諸問題が、国家利害や官僚・有力 者の利害だけの調整では治まりきれない、いわば国際世論の高まりを無視しては成り 立ちにくい事態となってきていることがある。

(2) 経済グローバリゼーションの象徴としてのWTO

 シアトルでのWTOは、経済のグローバリゼーションの象徴として批判の矢面に立 たされた。貿易の枠組みを決める会議が、一般の人々の関心事にこれほど強く深く結 びつき、批判の対象にさらされたことはなかった。今回の会議に関連するインター ネット、特にNGO関連サイトを見るかぎり、WTOに投影された人々の批判・批評 の声は驚くほどの広がりをみせていた。会議に合わせて全米の各地で、またロンドン やパリでもWTO批判の集会が催されていた ( http://www.wtowatch.org/ )
 世界がグローバルに一体化して、グローバリゼーションは日々の生活と切り離せな い存在であることの自覚が深まってきているのだ。一方で、ゆとりと安らぎの喪失、 競争と失業、教育や福祉の切り捨て、暴力や不安の蔓延、遺伝子組み換え食品の浸透 といった生活レベルの問題から熱帯林・野生生物の絶滅など地球環境問題に至るま で、深刻化する矛盾の震源地としてグローバリゼーション・WTOが浮かび上がった と言ってよかろう。
 豊かさを約束するかにみえたグローバリゼーションの発祥地であり体現者は、アメ リカである。20世紀の大繁栄を謳歌しているアメリカで、そのグローバリゼーショ ンに反旗の旗がひるがえったことはきわめて象徴的である。すなわち、グローバリ ゼーションの負の側面が吹き出たわけである。第1次クリントン政権の労働長官を務 めたロバート・ライシュ教授(ブランダイス大学)によれば、過去15年間に米国の 富は3割拡大したが、所得ランク中低位者(所得が下位3分の1から半分の人々)は その恩恵を受けられず、「持てる層」と「持たざる層」の階層分化がかつてないほど 深刻化しているという。富の93%は上位5分の1の層に集中し、最も裕福な上位1 %が米国家計の39%を握っていると警告している。
 その状況は、世界規模でもまさしく同様である。国連開発計画(UNDP)の年次報告 (1999)によれば、世界全体で所得の多い上位20%の人々と所得の少ない下位20 %の人々の所得格差は、60年には30対1であったのが、90年には60対1、そ して97年には74対1へと拡大し、所得と生活水準の格差はグロテスクなまでに なったと結論づけている。
 これまでの経済活動は、市場経済と自由貿易制度のもとで生産および利益の拡大を 自己目的化しながら、ついに地球規模で資源や労働力をより経済的に<他より有利 に>利用するグローバル・エコノミーをつくりあげてきた。大量の資源消費と廃棄物 や環境破壊を増大させながら、驚くべき富と財を産みだしてきたわけだが、このよう な発展パターンの永続性<持続的成長>は明らかに限界にきているばかりか、不均衡 と格差の拡大というジレンマに陥っている。自由貿易体制それ自体が今や大きな揺ら ぎの中に漂い始め、時代状況は自由貿易を手放しで信奉する時代を過去のものにし始 めたかにみえる。

(3) WTOをめぐる攻防=誰が世界を制するのか

 20世紀最後のとくに80年代後半から90年代の世界の枠組みの変化は、まさに 世紀末が激動の時代にさしかかっていることを予告するような出来事が続いた。それ は国際レベルでは2つの大きな潮流として動いている。すなわち一つは、政治や経済 ・社会の構造上の変化であり、他方は地球環境問題に象徴される人類の基本的な生存 基盤をめぐる変化である。
 とくに国際的な政治・経済上の枠組みの変化に関しては、政治レベルでは東西対立 の解消と東欧・旧ソ連の社会主義体制の崩壊とともに、闇(アングラ)経済が台頭 し、民族対立や内戦さえも招きだしている。経済レベルでは自由貿易と市場経済のグ ローバル化の進展のもとで、国家経済の相対的低下とともに多国籍企業の台頭や巨大 マネーの徘徊がおき、貿易の不均衡や為替の不安定性を招くとともに、南北間の格差 がいっそう拡大している。こうした矛盾を放置したままグローバリゼーションがこの まま進行すれば、21世紀社会は深刻な危機に直面せざるをえない。
 戦後体制の枠組みの諸制度や力関係がゆらぎだすなかで、世界はマクロからミクロ まで重層的変化をもたらしつつある。マクロ的には、米国主導の枠組みが経済面でも 政治面でも徐々にだが崩れだしている点があげられる。グローバリゼーションのコン トロールセンターになるはずのWTOの行く末が波乱含みになったことは象徴的であ る。内部的には、WTOの前身のガット(GATT:貿易関税一般協定)が当初20数カ 国の加盟でしかなかったのが、今や135カ国と世界の大半にまで広がり、途上国の 発言力を無視できなくなりつつある。今後の動きは、途上国の利害をどう組み込んで いくかが一つの焦点になる。
 他方、大局的にはグローバリゼーションの歪みの是正や富の配分調整が、政策的な 課題としてどう組み込まれるかが新たな争点になる可能性が生まれている。それは、 先進各国での社会民主的勢力の台頭とも呼応しており(国内的な調整局面)、米国の 次期政権の政策動向が大きな影響力をもつだろう。表面的には地域主義の台頭として 現れるが、国際的な調整局面としては、WTOへ向けられたの調整圧力が、今後さま ざまな国際機関や国連機関、国際政策(条約・協定、援助政策など)に波及し、新た な枠組みが模索され出していくと思われる。
 すなわち、かつて国内レベルで、私たちは市場化と自由競争の調整機能として、租 税や社会保障制度、労働基準や安全性・環境基準など、さまざまな調整機能や政策を 編み出してきた。グローバルな市場化においても、似たような調整が求められてお り、何らかの政策的な仕組みを考え出す必要が生じているのである。

(4)WTO・企業中心社会を超えて

 通商・貿易関連の調整機関としてのWTOの今後の動向については、世界経済の中 軸となりつつある投資・金融その他のサービス分野や、各種の技術力すなわち電子ソ フトから遺伝子特許まで知的所有権の枠組みをめぐる攻防が、今後も続いていくこと になる。農林水産分野などの従来の課題は、政治的な駆け引き材料となる一方、通商 分野の範囲を超えた消費者の権利や環境保全などの新たな価値軸が加わることで交渉 は多元的に進むことになるだろう。
 そして今後より大きくクローズアップされてくるのは、経済事業体<企業>のあり 方への問いかけであろう。個別の事業体の経済行為を、地域レベルから貿易関係のあ り方に至るまで根源的に見直す動きである。これから起こる時代変化は、NGO・N POなど草の根市民の「グローカルな活動」が新たな軸に加わって展開されると思わ れる。具体的には、マクロの新たな枠ぐみづくりとして、例えば<多国籍企業・貿易 ・投資システムのコントロール>の提起、他方ミクロでは、地域通貨(エコマネー) の再発見に象徴されるような<地域コミュニティの再構築>が、二極展開的に進むの ではないかと思われる。
 社会主義体制の崩壊、近年のバブル経済の崩壊と成長経済の破綻、それを支えてき た金融体制のいきづまりなどといった20世紀末の一連の地殻変動に、NGO・NP O・市民の側の調整機能が今後どこまで力を発揮していけるか。文明的転換へ向けて 本格的な揺らぎの時代が始まろうとしている。

【TOP】