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吉 田  敏 弘

國學院大学文学部教授(史学科歴史地理学コース)

2002年4月〜2003年3月 國學院大学海外派遣研究員として
ドイツ・ボン大学地理学研究所歴史地理学)に滞在しました。
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【学 位】 文学修士(京都大学)
【生 年】 昭和30(1955)年
【出身地】 兵庫県神戸市
【学 歴】 1977年3月 京都大学文学部史学科(人文地理学専攻)卒業
1980年3月 京都大学大学院文学研究科(地理学専攻)修士課程修了
1981年3月 京都大学大学院文学研究科(地理学専攻)博士後期課程中途退学
【職 歴】 1981年4月 京都大学文学部助手(地理学教室)
1986年4月 大阪学院大学教養部助教授(地理学担当)
1992年4月 國學院大学文学部助教授
1994年4月 國學院大学文学部教授(現在にいたる)
2002年4月 ドイツ・ボン大学地理学研究所客員教授(〜2003年3月)

 

【研究業績】

学術論文

01 「惣村」の展開と土地利用ーー近江国得珍保今堀郷の歴史地理学的モノグラフとして 『史林』61巻1号 pp.122〜149 1978/1/1
02 史学地理学講座における近代人文地理学導入の系譜 京都大学文学部地理学教室編『地理の思想』 pp.192〜205 地人書房、1982/11/13
03 中世村落の構造とその変容過程ーー「小村=散居型村落」論の歴史地理学的再検討 『史林』66巻3号 pp.80〜146 1983/5/1
04 中世後期における市庭網と農村商人 京都大学文学部地理学教室編『空間・景観・イメージ』 pp.97〜121 地人書房、1983/9/26
05 中世絵図のランガージュ研究にむけてーーその空間表現を中心に 水津一朗先生退官記念事業会編『人文地理学の視圏』 pp.233〜244 大明堂、1986/4/14
06   中世絵図読解の視角、、 小山靖憲・佐藤和彦編『絵図に見る荘園の世界』 pp.149〜172 東京大学出版会、1987/6/25
07

  葛川絵図(下坂守・長谷川孝治と共著)、、

葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジー』上巻 pp.48-109 地人書房、1988/3/15
08 四至B示絵図考 『歴史地理学』144号 pp.21〜43 1989/3/10
09 骨寺村絵図の地域像、地人書房 葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジー』下巻 pp.26〜53 1989/7/20
10 菅浦絵図と官使注進絵図 『國學院雑誌』95巻4号 pp.1〜21 1994/4/15
11 荘園絵図の空間表現とその諸類型、新人物往来社 国立歴史民俗博物館編『描かれた荘園の世界』 pp.49〜77 1995/3/24
12 基礎地域論の意義と課題 『國學院雑誌』98巻3号 pp.6〜19 1997/3/15
13 称名寺絵図と結界記ーーその史料批判の試み(松原誠司と共著) 『金沢文庫研究』298号 pp.3〜24 1997/3/20
14 『中世荘園絵図大成』(小山靖憲・下坂守と共編著) 河出書房新社 1997/5/10
15 荘園絵図にみる東国中世村落の成立過程と古代寺院(論文・単著) 地方史研究協議会編『地方史・研究と方法の最前線』 pp.29〜56 雄山閣出版、1997/10/3
16 中世地図史料と絵図(論文・単著) 石井正敏ほか編『今日の古文書学 第3巻中世』 pp.288〜309 雄山閣出版、2000/1/20
17 田図と条里プランに関する試論(論文・単著) 八日市郷土文化研究会『蒲生野』32号 pp.4〜14 2000/12/31
18 災害絵図研究の視角と課題(論文・単著) 『歴史地理学』202号 pp.82〜85 2001/1/31
19 『歴史地理調査ハンドブック』(有薗正一郎・遠藤匡俊・小野寺淳・古田悦造・溝口常俊と共編著) 古今書院 2001/5/10
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22 田図と条里呼称法

(要旨12) 戦後日本の人文地理学学説史上ユニークな位置を占める、水津一朗の基礎地域論についてその研究史上の意義を概観し、基礎地域論の今日的課題を論じた。基礎地域論は地域実体説の立場から、農村社会学における基礎社会論のアナロジーとして提起された概念であり、「ムラとその領域」を最小の地域単元として措定するものであったが、その内部構造については生態学的な調和を、そして外的重層構造についてはクリスタラーの中心地理論を背景としているところに水津の独創性があった。基礎地域論は今後もコミュニティとそのテリトリーを考察するときの一つの視角として有効性をもつものと考えられる。

(要旨13 論文・共著、担当部分は区別不可能=内容の全般が両者の討議による) 神奈川県立金沢文庫蔵「称名寺絵図並結界記」の原本調査の成果を要約して示し、併せて、この絵図の作成時期及び作成目的に関して、基礎的な検討を行った。現在2軸に装丁されている絵図と結界記とは、元来表裏に描かれたもので、しかも天地を逆にして記載されていたことを明らかにした。これは、両者が同時に作成されたのでない可能性を示唆するが、結界記と絵図の内容を比較すると、両者には少なからぬ齟齬が認められた。関連史料の分析により、結界記の記載と、絵図中の朱線=結界の境界線の加筆とは、南北朝時代以後、称名寺が境内地安堵を要求するプロセスにおいてなされた可能性が考えられること、したがって、元来の称名寺絵図は結界記とは無関係に、金沢顕時の時代に一応の完成をみた称名寺境内を美麗に描出した境内絵図であったことなどを推定した。

(要旨14)
   (担当部分は以下の通り)
  第1部中世荘園絵図の世界
    概説・中世荘園絵図の世界、pp.39〜50
    第2章 相論と絵図
     近江国葛川下立山絵図・近江国葛川絵図、pp.106〜114
     近江国菅浦絵図、pp.115〜120
    第3章 荘園支配と絵図
     尾張国富田荘絵図、pp.157〜161
     讃岐国善通寺一円保差図、pp.162〜171
  第2部中世荘園絵図の周辺
    田図・条里図、pp.31〜48
   (概要)
 中世荘園絵図に関する既往の研究成果を概括し、その到達点と今後の研究課題を概観した(第1部概説)。
 4つの中世荘園絵図について、そこに表現された情報を詳細に分析し、その読解の可能性を追及した(第1部第2章・第3章)。
 中世荘園絵図の源流をなす古代の田図・荘図、およびその系譜を引く中世条里図について、その表現の特質とそこに見出される空間認識について考察した(第2部)。

(要旨15) 東国の中世村落景観を描出した二つの事例、武蔵国鶴見寺尾絵図、および陸奥国骨寺村絵図から、それぞれの絵図の景観表現の特質と中世村落の開発過程を明らかにし、それらがいずれも古代寺院の成立と不可分の関わりをもっていたと推定した。鶴見寺尾絵図の場合、絵図中央に描かれた「寺」は、絵図所蔵の鎌倉正統庵の関連施設ではなく、絵図作成当時おそらく退転していた古代寺院であり、その創建当初には熊野信仰の勢力が関与していた可能性が高い。そして、そうした古代寺院の成立以後、周辺の台地上の開発が進行したことを推定した。骨寺村絵図は鎌倉時代の作成になるが、その村落の開発の契機は11世紀頃この地に創建された古代寺院=骨寺の成立であり、これ以後天台修験勢力による開発が進行したと推定できる。

(要旨16) 中世における地図史料・絵図史料に関する既往の研究成果を概括し、その分析手法を解説すると共に、これらの史料の今後の研究可能性について論じた。中世絵図に関する既往の分類は、相論系絵図/支配系絵図、という2分類が中心であったが、この論文では、これに加え、新たに証験絵図/故実絵図という2分類を提起し、とりわけ後者の類型に属する荘園絵図・寺社境内絵図の特質を概観し、これらに共通する故実表現の意義について論及した。

(要旨17) 古代における条里プランの一類型を、近江を典型とする田図型条里プランに求めた。これは、常に右上を基点とする田図の表現様式に合致した地番法を採用し、条ごとに起点が異なる里番号を設定している点に特質を求めることが出来る。こうした条里プランの類型が存在することは、田図作成以後に条里地番法が実施された可能性を示唆するものであり、それゆえ、条里地番法が田図作成に先行する、と見る金田章裕説よりも、田図が条里プランに先行すると見る岸俊男説に蓋然性が認められることを論じた。

(要旨18) 地震・火山噴火などの大規模かつ突発的な災害を描いた絵図は、近世後期においても頻繁に作成されており、今日まで多くの遺品を伝えている。小論ではこうした災害絵図を如何に分析し、今後の防災に貢献できるのかを考察した。近世後期に作成された災害絵図では、従来藩や幕府によるオーソライズされた絵図のみに注目が与えられてきたが、個人的関心によるパーソナルな絵図も多数作成されており、これらは災害のそれぞれの局面による個人的災害認識を強く反映していることに注目される。小論では寛政島原大変絵図を事例として、こうした個人的災害認識の所在を示し、早く寛政4年3月段階で周辺地域に非常事態認識とパニック状態が存在したことを明らかにした。


(要旨19 担当部分は以下の通り)
   第1章          歴史地理学の方法と課題(pp.1〜16)
   第5章1-1 中世検注帳(pp.152〜156)
 第1章では、歴史地理学という分野の本質と今後の研究課題に関する私見を総括して示し、歴史地理学的変化論の重要性と、史資料分析の課題について広く論及した。5章の担当項目では、中世における検注帳類資料の分析法を、備中国新見荘の事例に即して概括し、今後の研究課題を総括した。

共編著書・啓蒙書・その他

01『八日市市史第2巻中世』1983/12/25
   「4章 荘園村落の展開、1節 蒲生野の開発と荘園」pp.252-276、
   「4章 荘園村落の展開、4節 荘園村落の景観」pp.312-334、
   「5章 保内商業の展開、1節 八日市庭の成立と保内商業」pp.336-375、

02  絵図をどう読むか(小林致広と共著)『地理』29巻1号、1984/1

03 葛川絵図、『月刊百科』257号、1984/2(小松和彦ほかと共著『絵画の発見』平凡社イメージリーディングシリーズ、1986、.に再録)

04『昭和59年度科学研究費総合研究成果報告書・荘園絵図の史料学・読解に関する総合的研究(研究代表者:滋賀大学高橋昌明)』滋賀大学教育学部、1985/3、
   善通寺近傍絵図現地調査報告(高橋昌明と共著)、pp.42〜53
    荘園絵図トレース図版、pp.73〜90

05『八日市の地名と景観』(足利健亮・井戸庄三と共著)、1986/3、p.153(pp.146-150を除く)

06ルネサンス・都市・鳥瞰図ーー地図と絵画のあいだ、久武哲也・長谷川孝治編『地図と文化』、地人書房、1989/4/28、pp.128〜131

07『美山町かやぶき山村集落 北・南・下平屋地区 伝統的建造物群保存対策調査報告書』京都府北桑田郡美山町・美山町教育委員会、1990/3、
  第2章 美山の地理的背景と対象集落の現況、pp.16〜31

08『五個荘町史』古代中世編、1992/3/31
  「序章 五個荘の中世」pp.7-16
  「古代の五個荘、3章 開発と条里地割」pp.217-274
  「中世の五個荘、2章荘園の世界、4 小幡郷の展開」pp.489-498
  「中世の五個荘、5章、小幡商業の展開過程(藤田裕嗣と共著)」pp.597-652、

09『五個荘町史』中世史料編(監修)

10  元禄伊勢国絵図の作成過程(一)、『四日市市史研究』5号、1992/3、pp.79〜103

11  荘園絵図の分類をめぐって、国立歴史民俗博物館企画展示図録『荘園絵図とその世界』1993/3/16、pp.105〜111

12『五個荘町史』資料編(3)地名と景観(単著)、1993/3/31、p.191+15

13『四日市市史』第六巻 史料編 絵図(解説)、1992/3/31
  「一、国絵図」pp.3〜51(pp.28〜35を除く)

14元禄伊勢国絵図の作成過程(二)、『四日市市史研究』6号、1993/3、pp.17〜71

15得珍保、『講座日本荘園史』、吉川弘文館、

16『四日市市史』古代中世編

17小野寺淳報告「絵図に描かれた自然環境」によせて、『歴史地理学』172号、1995/1/31、