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森敦文学研究の世界
森敦文学研究の成果公開


 森敦の文学作品について研究成果を公開するサイトです。
 森敦文学は、「月山」や「われ逝くもののごとく」をはじめ、今日もなお深く愛読されています。その幽明界を思わせる物語の抒情性が、読む者にさまざまな思いを抱かせるからでしょう。
 その抒情性は、感覚的に表されたのではありません。「意味の変容」に代表される数学的な文学理論は、森敦文学の出発点から基底を成してきました。いわば、森敦文学は抒情+論理で成立していると言えるでしょう。
 本研究会は、この抒情+論理という点を重視し、森敦文学を総合的に捉え、可能性を探っていきます。
 具体的には、
  ①森敦の自筆原稿の調査
  ②作品舞台の現地調査
  ③作品読解のための註釈
 以上、3つのテーマで進めていきます。

①森敦の自筆原稿の調査

 ①のテーマは、森富子氏の全面的なご理解とご協力により、森敦の自筆原稿を調査させていただくことができたため、実現できるテーマです。森敦の作品の多くは改稿され、いくつかのヴァリエーションを有しています。また、草稿の段階で、すでに夥しい書き換えがおこなわれています。これらを精査し、翻刻することで、作品の生成過程を示すことができるでしょう。それは森敦の思考過程の一端を追うことであるとともに、森敦文学の表現史の一端を担うことにもなり得る可能性を有しているでしょう。さらにこの生成過程が、「意味の変容」にまとまる文学理論の成立過程にもなっていることを示すことができるでしょう。

②作品舞台の調査

 ②のテーマは、森敦作品が森敦自身の〈放浪〉と深く結びついていることに基づき、作品の舞台を実際に踏査します。作品舞台というリアリティと文学作品というフィクションは、「意味の変容」で示される内部+境界+外部=全体概念になぞらえることができます。実際に作品舞台を知らずとも、作品を読むことはできます。ですが、実地踏査の結果を踏まえて、はじめて作品がフィクションとして成立していることがわかるとすれば、リアルとフィクションは相補的な関係になります。逆に、作品舞台という実際に存在する地は、作品の舞台としてという言葉を付け、意味を帯びる地になっていきます。おおげさに聞こえるかもしれませんが、リアルをフィクションが書き換えることもあるのです。このテーマはそうした成果を示していきます。

③作品読解のための註釈

 ③のテーマは、単純に辞書的な意味の語釈にはじまり、現地調査によって判明した事柄などを註釈していきます。作品の〈読み〉にとっては、ときに邪魔になるかもしれない註釈ですが、森敦作品に記されている語句の意味がだんだんわからなくなってきていることは否定できません。とりわけ風習や地域文化に基づく語句は、急速に失われつつあるでしょう。そのため、註釈として取り上げ、作品を意味で満たすことを目指していきます。

作品の舞台地図

 ②③を合わせると、作品の舞台地図が描けるようになります。舞台地図を描くことは、もう一つのテーマになります。
 地図は、本来的に実地に対して記号的に説明するものだと言えるでしょう。したがって、意味であり、その点で註釈的とも言えます。また実際に現地に行って確認することによって確実性が増します。確実性とは、この場合、記号を実景で実感できるということです。つまり、作品の地図とは、物語を記号的に、図的に、実感するものとなります。単なる案内図ではないのです。言い換えれば、地図によってはじめて明らかになる〈読み〉を示すことができます。

研究成果報告

 具体的には、森敦の晩年の大作「われ逝くもののごとく」についての研究成果を発信していきます。
 このたびのサイト公開は、基盤研究(c)「自筆資料調査および実地踏査による森敦文学の総合的研究」(No:16K02417)の助成によっています。平成28(2016)年度から3ヵ年度にわたり、森敦の自筆原稿の調査を中心に据えながら、山形県庄内地方の現地調査も合わせて行いました。また、毎年度森敦研究会を開き、森敦文学、とりわけ「われ逝くもののごとく」と「意味の変容」について研究成果を報告しました。その際、研究成果の報告の可能性も合わせて追究し、プロジェクション・マッピングなどのデジタル表現も試みました。
 以上の研究を支えて下さった関係各位に厚く御礼申し上げます。
 最後に、本研究会への深い理解を賜り、自筆原稿の公開や森敦執筆時の貴重な〈秘話〉などをご教示下さった森富子様には、心より御礼申し上げます。

ご意見、ご感想など@a_wrksにお願いします。

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