1284年6月26日にハーメルンで130人の子どもが失踪した。その原因については、ドイツの東方植民や少年十字軍に関連づけて研究されているが、不確かである。1565年頃の『チンメルン伯年代記』では、1538年に鼠の被害があり、放浪の冒険家によって駆逐されたこと、1557年にシュワーベンガウに同じような被害があったことが書かれ、この二つの話の間に「ハーメルンの笛吹き」が挿入されている。1565年以前は子どもの失踪事件という歴史的事実が記され、鼠のモチーフはみられていないため、『チンメルン伯年代記』で初めて鼠撮りの男とハーメルンの子どもの失踪が結びついているとされる。