日本海沿いに走る羽越本線が庄内平野にはいったとき、女房の母が「あれが月山、向こうに見えるのが鳥海山よ」と言った。なるほど、出羽富士と呼ばれる遥かな鳥海山に対峙して、月山は悠揚として牛の背にも似た稜線を彼方の空へと引いていた。むろん、そのときは月山が死者の行く、あの世の山とされる霊山であることを知りもしなければ、やがてはぼくが庄内平野を転々とし、月山の山ふところの七五三掛にはいって、破れ寺といっていい注連寺で冬を過ごそうなどとは思ってもいなかった。しかし、そうしたのもそう言ったあのときの母の声が心の底に残ってい、招かれでもしたように行かずにいられなくなったのかもしれない。
「死者は「月山」にあり」(『森敦全集』第七巻、464~465頁)
 
 
羽越本線が新潟を過ぎ、月山、鳥海山を望む庄内平野にはいると、なんとなく女の子の顔立ちが変わり、秋田にはいるとそれが更に変わる。いや、おなじ山形県でも新庄から最上川を下ると、やはりそうである。新潟には新潟美人の名があり、秋田には秋田美人の名があるぐらいで、ひとり庄内平野だけに美人がいるわけではないが、ハンコタンナで顔をおおった農村の女の子にも、いかにも庄内平野の豊かさを感じさせる美人がいたのだ。
「庄内美人」(『森敦全集』第七巻、475頁)  
 
 ぼくはその海沿いの景観が素晴らしいので、鶴岡市あるいは酒田市に至るため、羽越本線を利用する。鶴岡市からは羽黒山へも、湯殿山へもバスが出ている。
「出羽三山」(『森敦全集』第八巻、397頁)  
 
 羽越本線が海を離れて庄内平野にはいると、右手に牛の背に似た悠揚たる稜線を空に引く月山、左手に目も遥かな防風林、そして正面には出羽富士と呼ばれる秀麗な鳥海山が聳えている。平野には鎮守の森を思わす集落が点在し、わたしはひと目でここに魅せられ、あるいは農家の離れ、寺院の庫裡に宿を借りて、転々として十年を過ごした。
「羽黒の天狗」(『森敦全集』第八巻、404頁)