森 ええ、有名な酒所です。それとあれも大山かな、善宝寺がありますね。それに鶴岡が加わって、先ほど申しました最上川の南、河南が「世界」を形成しています。ですから、更に大きな「世界」をやるには、酒田を加えた河北をも展望しなくちゃいけない。
「『われ逝くもののごとく』まで〈インタビュー〉」対談者 石毛春人(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』、法蔵館、昭和63年8月、11頁)
ぼくはながく大山という町に住んでいた。ながい日本海の砂丘が終わって聳え立つ高館山や太平山を背にした広い庄内平野を限る月山を前に、鳥海山を遠く左手に眺めることができる。思わぬ歳月をここに過ごしたのはそのためだが、用を足すには鶴岡市まで出掛けねばならなかった。鶴岡市までは羽越本線でひと駅、湯野浜電鉄でも幾駅しかない。
「鶴岡への想い」(『森敦全集』第七巻、574頁)
あれはぼくが奈良市瑜伽山の山荘にいたのも遠いむかしの話になり、山形県のいまは鶴岡市になっている大山と呼ばれる町にいたころのことである。こうしてぼくは気のむくままに転々としてはいたものの温かい厚意を受け、はるばる訪れてくれる友もあったのだ。おそらく、夏もまだ終わらぬころであったであろう。町は高館山とその尾根のなす太平山を背にしながらも、目も遥かに青田の拡がる庄内平野を前にし、その果てるところの右には月山が晴れ渡った空に、悠揚として臥した牛の背のような稜線を連ね、左には秀麗な鳥海山が防風林の彼方の見えぬ海へと、富士に似た山裾を曳いていた。
「想いかそけく」(『森敦全集』第八巻、100頁)