わたしは注連寺にひと冬を過ごして去り、『月山』を書いたので、そのときはまだ羽黒山も知らなければ、湯殿山も知らず、况や月山の頂きに立ったこともなかった。いまは月山にも八合目までバスで行ける。しかし、たまたま行ったときは立っていられぬほど風が吹き、頂上をきわめることなど思いも及ばなかったが、羽黒山、湯殿山には行くたび参拝する。
 月山もむろんそうであろうが、羽黒山も湯殿山も神官の支配するところ、すなわち神社になっていた。殊に羽黒山の三山神社は壮大だが、問題なのはその開基とされる蜂子の皇子(能除太子)の像である。その顔はきわめて醜怪で、天狗ではないが天狗を想起させる。わたしはこれがほんとに開基の神ではないかと思った。
「羽黒の天狗」(『森敦全集』第八巻、406頁)