森 兵隊なんかも行きたかったですよ。ぼくは主戦論者でも反戦論者でもありませんけど、みんなが兵隊に行くものを、おれだけ行かぬことは。すると、どういうわけですか、身体検査で「ああ、いい体だな、全く理想的だ。いい兵隊になるぞ」と、ぽんぽん背中をたたかれて、次々と回されて、結局兵役にとられなかった。
「『われ逝くもののごとく』まで」対談者 石毛春人(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』法蔵館、昭和63年8月、27頁)
 
 
 徴兵検査の当日も晴れた日で、検査場は中学校だったか小学校だったかの講堂のようなところで、裸の壮丁たちがひしめいていた。それらが次々に背丈を測ったり、体重を量ったり、聴診器で胸を調べられたりしていたが、ぼくは至るところでほめられた。背丈も体重も理想的なら胸にもなんの曇りもなく健康そのものだったのである。当然甲種合格だと思っていたら、なんとそれで落とされたのである。クジのがれというのかもしれない。
 ぼくは進んでとってくれと願い出た。すると、権威の象徴のような徴兵官はみなを整列させて講話をはじめたとき、みなが徴兵を忌避しようとしているのに、こんな感心なやつがいると僕を名ざしで、明治天皇の御製まで上げて「戦さの庭に立つも立たずも」なぞとたたえてくれ、ぼくはいや穴にでもはいりたい気持ちになった。
「わたしの二十歳――成人の日に寄せて」(『森敦全集』第八巻、279頁)