森 ええ、有名な酒所です。それとあれも大山かな、善宝寺がありますね。それに鶴岡が加わって、先ほど申しました最上川の南、河南が「世界」を形成しています。ですから、更に大きな「世界」をやるには、酒田を加えた河北をも展望しなくちゃいけない。
「『われ逝くもののごとく』まで〈インタビュー〉」対談者 石毛春人(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』、法蔵館、昭和63年8月、11頁)
 
 
森 あのころ、善宝寺にやんぞというのがおりました。(中略)この人間がね、善宝寺のあの高い石段を薪を運んで登り降りしている。寺が頼んでいるんじゃないんですよ。寺の下に小屋みたいなものがありまして、そこに住ませてもらっていた。善宝寺は五重塔もあり、お坊さんだけでも六十人ぐらいいる大寺院ですから残り物はたくさんある。その残り物をくれるんです。
「『われ逝くもののごとく』まで〈インタビュー〉」聞き手 石毛春人(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』、法蔵館、昭和63年8月、14~15頁)  
 
鶴岡市から砂丘の向こうの湯野浜へと行く、電車に乗れば僅かひと駅だが急ぐこともない。高館山の裾ぞいの稲穂の道を歩くうちに、山にかけてある善宝寺の下の五重ノ塔が見え、近づくにしたがってそれが高くなって来たばかりではない。いつ出て来たのか砂丘を越えて流れて来る雲をも、その九輪が掠めているかにみえる。といっても、雲が低かったのかもしれぬ。砂丘にかかってその九輪も低くなり、やがて山蔭に五重ノ塔も見えなくなったころには、目当ての月山もその頂を隠し、暗々としてその山裾も、それらを結んで連なりながら、砂丘とともに取り囲んで庄内平野をつくっている山々も消えてしまった。
「浄土」(『森敦全集』第七巻、67頁)