森 東大寺と瑜伽山で足かけ十年奈良にいて、その間にぼくは雪の樺太まで行きましたし、日魯漁業のご厄介になって、あれがカムチャツカだという所まで行ったんです。
「『われ逝くもののごとく』まで」対談者 石毛春人(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』法蔵館、昭和63年8月、20頁)  
 
瑜伽山におること十年、その間日魯漁業の船に乗せてもらって、カムチャツカまでは行かなかったが、あれがカムチャツカだというところまで行った。大洋漁業の船に乗せてもらって、南極大陸までは行かなかったが、あれが南極大陸だというところまで行った。あるいは伊東の漁船に乗せてもらって、黒潮を往来した。
「母の言葉」(『森敦全集』第八巻、582頁)