森 こんな人たちはその町をカスミ場のようにしていて、その町から出ないものですが、大山から加茂に現れて船主のががをたずねて来、なにか嬉しそうに話していたというのです。船主のががは大山のあねま(遊女)屋にいたことがあって、そのときお松はよくしてもらったのだろうとのことでしたが、船主のががはその後、間もなく農薬を飲んで死にました。その農薬はあのときお松が親方のががに頼まれて持って来たんだろうという噂が立ったのです。そうとでも思わなければ理解が出来ませんからね。
 ところが、お松はそれから鶴岡で姿を見かけるようになったのです。聞けば、お松は親方のががが会いに来てくれるから、待っていると言ったそうです。お松にとって船主のががはもはや仏さまです。しかも、農薬を持って行ってやったものがお松だとすれば、お松は仏さまを殺したのです。仏さまを殺すことによって、お松は仏さまになったのか。仏さまがおのれを殺さすことによって、お松を仏さまにしたのか。いずれにしても、そうだとすればお松はただのやっこではない。一本の箒を以て家先を掃いて歩いていたが、ほんとうはわたしたちの心にあるものを掃いてくれていたのではないか。
「マンダラの恍惚――仏教と日本文学――」対談者 瀬戸内晴美(『一即一切、一切即一―『われ逝くもののごとく』をめぐって/森敦対談集―』法蔵館、昭和63年8月、43頁)
 
森 『われ逝くもののごとく』では登場人物がほとんど次々と死んで行く。死んで行くのはほれ、やっこのお松に農薬をもらって仏になった親方のががと、仏のごときあねま屋のあねまのお玉、それからみずから仏たらんとして立川流まがいのことを口にする、ミイラ願望を持つ善念大日様を除いては、死を望んで死んで行くものはありませんが、そういう話を伺っていると、『われ逝くもののごとく』を書く前にお会いできとったらという気がしますね。それぞれの死に様がまた変わって来たかも知れない。
「マンダラの恍惚――仏教と日本文学――」対談者 瀬戸内晴美(『一即一切、一切即一―『われ逝くもののごとく』をめぐって/森敦対談集―』法蔵館、昭和63年8月、50頁)