森 (前略)『われ逝くもののごとく』には、「上海」という名で出ていますけど、これも加茂の人で本当は秋野さんというんです。
石毛 そういう実在の人がいたんですか。
森 ええ。庄内には三つの大きな家がございます。一つは酒田の本間家、それから鶴岡の風間家、それと加茂の秋野家。この三つの家はかつては税金の納め方がずば抜けていたのです。そこまで行かなくても部屋数をえらくたくさん持っている家がある。だから「森さん、どこにでもいてくれ」っていわれたことがありますが、どこにでもいてくれといったって、そう部屋数がございますと、これは掃除するだけでも大変なんです。
「『われ逝くもののごとく』まで」対談者 石毛春人(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』法蔵館、昭和63年8月、6頁)
 
 
森 それは決して逆説的にいってるんじゃないんです。あれはあの時代の風景なので、今訪ねていけば必ずしもそうじゃない。もう本当に変わっていますからね。あの中で完全に生きている人といったら、上海。上海は愛読者なんです。
森 あの人は、自分がああいうふうに書かれることが愉快でたまらないんです。
小島 あの中の人物はみんなそう書かれています。それは善男善女という考え方が徹底しているからですよ。あんな書き方をしなければ、必ずしもそうならない。特に上海という人はそうかもしれない。サキのおっかさんなんか、必ずしも喜ばないかもしれないけれども……。
「小説の背後論理」対談者 小島信夫(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』法蔵館、昭和63年8月、103頁)