庄内平野は富士に似た秀麗な山裾を、遥かに延びる防風林の彼方の見えぬ日本海へと落とす鳥海山を北に、右手に金峰山を控えた臥した牛の背のような稜線を悠揚と空に曳く月山を東にし、それらを結んで連亙する山々に囲まれた大穀倉地帯である。
「遥かなる月山」(『森敦全集』第八巻、131~132頁)
 
 
これが更に近づいて大山町のあたりに到ると、月山は平野の彼方に沈んだように、菜の花の上に低く遠くなる。そればかりではない。うらうらと晴れて雲もないとき、僅かに金峰山や前山ばかりになって、月山はなきがごとく姿を見せぬ。かと思えば、金峰山も搔き消すような吹雪のさ中に月山は物凄い姿を現して、あッと声を呑ませるような景観を呈するのである。
「義母の声」(『森敦全集』第七巻、406~407頁)
 
 
写真家の中山彰さんがスチールを撮るというので、わたしたちは駅前に立ったが、果たして雨模様になっていて、月山はおろか、その左手に侍るようにして立つ美しい金峰山すら朦朧としている。
「月山再訪」(『森敦全集』第八巻、71頁)
 
 
月山はあたかもその右に侍らすがごとく、その尾根を庄内平野に伸ばし来たって金峰山となる。まことに月山にふさわしい美しい容姿の山である。金峰山はさらにその尾根を伸ばし来たって、一端は庄内平野に没するとみえながら、ふたたび隆起して清水の森の山になる。標高僅か一二一メートルながら、古来庄内平野でその生涯を終えた者は、まずこの森の山に来るといわれた。ここで浄化されれば金峰山に行くといわれ、さらに浄化されれば月山に行くといわれた。これを以て月山を死の山と呼ぶのである。
「慈覚大師の母の声」(『森敦全集』第八巻、528頁)
 
 
地元の人たちは、人は死ぬとまず三山の麓の清水の森へ行くと信じています。次に金峰山へ行き、そこで死者の魂は浄化され、ついには月山へ行く。月山へ行った魂はさらに浄化され、そこで祖霊となり、春になると田の神さまとして里に下り、その年の耕作を助けてくれるというのです。
「死の山、月山」(『森敦全集』第八巻、589頁)