わたしが湯殿山に詣でるようになったのは、この十年来のことである。すでに述べたように、かつては注連寺にも羽越本線で鶴岡市からバスで行ったが、いまは空路で神町の山形空港から月山の左を迂回して、寒河江川沿いに六十里越街道を自動車で走る。あの注連寺への山路が湯殿山を過ぎ、ここまで来て山形市に至っているのだが、六十里越街道はむろん古い姿をとどめてはいない。新しい道のためには古い道は亡びなければならぬ。すでに六十里越街道も月山花笠ラインと改称された。しかし、わたしはこれをすこしも嘆いてはいない。古い言葉は聞かれなくなっても、そこにはまた新しい言葉が生まれて来るからである。こうしてたやすく湯殿山に着く。近年は湯殿山ホテルもホテルらしい景観を呈すようになった。
「出羽三山」(『森敦全集』第八巻、386頁)