それに、ぼくは東北の日本海沿いの町や村を転々し、月山の荒れ果てた真言宗の山寺で生活したりしているうちに、なんとなく次のような事実を肌で感じるようになっていた。こうした山寺はほとんどもと山岳宗教―これがすでに神仏混淆を意味していると思われるが―の本家ともいうべき真言宗であったのだが、次第に天台宗の侵すところとなったということ。そして、真言宗が貴族仏教として諸大名の庇護を受け、加持祈祷で栄えている間はよかったものの、それに甘えて檀家らしいものをつくらなかったため、いつとなく来をさぐると、糖蜜といわれる真言宗や台密といわれた天台宗と、おなじジャンル密教に属するとされているから、密教的にもその必然がないとは言えないのである。
「遠く推古へ」(『森敦全集』第七巻、108頁)


ただ戒壇院の離れに松原恭譲という先生がおられました。妙好人のような方なのでときどき遊びに行かせてもらっていたのですが、この方が山折さんと同じように浄土真宗の方なんです。浄土真宗のお坊さんというのはだいたい世襲でございますから、檀家がみんな学校にやってくれます。まあ山折さんはそうじゃないんだと思いますが、普通そうだと思うんです。浄土真宗というのは経典の教えなんて否定せんばかりの念仏の人たちであるのに、学者になって出てくるのは不思議に浄土真宗の人が多い。
「わが放浪、わが宗教遍歴」対談者 山折哲雄(『一即一切、一切即一─『われ逝くものごとく』をめぐって/森敦対談集─』、法蔵館、昭和63年8月、155頁)


それに、ぼくは東北の日本海沿いの町や村を転々し、月山の荒れ果てた真言宗の山寺で生活したりしているうちに、なんとなく次のような事実を肌で感じるようになっていた。こうした山寺はほとんどもともと山岳宗教――これがすでに神仏混滑を意味していると思われるが――の本家ともいうべき真言宗であったのだが、次第に天台宗の侵すところとなったということ。そして、真言宗が貴族仏教として諸大名の庇護を受け、加持祈禱で栄えている間はよかったものの、それに甘えて檀家らしいものをつくらなかったため、いつとなく禅宗に買収されて禅寺に変わって行ったらしいということ。もっとも、大きな目で見れば禅もその成立の由来をさぐると、東密といわれる真言宗や台密といわれた天台宗と、おなじジャンル密教に属するとされているから、宗教的にもその必然がないとは言えないのである。
「遠く推古へ」(『森敦全集』第七巻、108頁)


次いで、林広院に自動車を走らせた。いかにも静濫な心地よい禅寺だが、もとはやはり天台宗か真言宗の寺だったという。ケースには檀家から寄進されたというお札まがいの薄っぺらの仏像がいくつかあったが、善女龍王や薬師如来坐像はいかにも充実した立派なものに思えた。ことに善女龍王はどっしりとかまえて、一家を宰領する御大家の婦人をモデルにでもしたようで、ぼくにはあのなまめかしささえ感じさせた清峯寺の聖観音とまったく対照的に思え、それだけになんとも言えず面白かった。
「遠く推古へ」(『森敦全集』第七巻、117頁)