街の中心に近づくにしたがって商家はまばらになり、明治を偲ばすような木造の洋館があったり、殿様のお屋敷らしい古い門構えがあったりする。そのあたりに致道博物館というのではなかったかと思うが、萱葺きの多層民家と呼ばれる民家が移築されてい、山の人々の暮らしや道具をひと目で見ることができるようになったりしていた。やがて、桜の散り敷く公園となり、これが城あとだと聞かされた。そういえば、お堀のようなものもあるものの、かくべつ石垣が高く聳えているのでもない。
「鶴岡への想い」(『森敦全集』第七巻、574頁)