わたしは思いだした。注連寺にはいる前、庄内平野の村々を転々としていた。たしかにもとはどの村にも講があり、さまざまな焼き印を烙した金剛杖を立て並べて、いつどこから勧進されてどのお山に何度登ったかなどと、老人たちが炉端の話柄にしていた。
「金剛杖」(『森敦全集』第八巻、228頁)

神聖なあの世に行くためには精進しなければならず、講中の代人はわかぜ(若者)小屋に籠って男女の交わりを絶ち、別火と称して肉類を料理した火を用いず、身を清め、隊伍を組んで先達と称する山伏に導かれて山にはいる。一方、あの世すなわち死の世界は、正者にとっては穢れた忌むべきものである。そこで、三山を巡り終わると精進落としと称して歌い騒ぎ、湯田川温泉、湯野浜温泉、鶴岡市等の遊廓などで遊んだという。
「遥かなる月山」(『森敦全集』第八巻、132頁)

夜半、夢うつつに驟雨の過ぎるような音を聞いた。あるいは木曾川のせせらぎかとも思いなおしてまた眠ったが、翌朝御岳講の人々と清滝に向かい、崖上に大小無数の霊神塔を見るころになると道は次第に白くなった。してみれば、夜半の音はやはり驟雨だったので、このあたりでは雪になっていたのだ。そればかりか、氷柱の下がった清滝へと、白衣に白鉢巻、白足袋の御岳講の人たちが「六根清浄」と杖をつき、赤いよだれかけをした小さな地蔵の間の石段を登りはじめたときは、雪に足音がザック、ザックと響くようになった。清滝または更に上の大滝に詣でることは、御岳に詣でるのとおなじ御利益があるというのである。
「かりそめの旅で」(『森敦全集』第七巻、584頁)