靖国の絵巻

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清水登之

しみず とし
明治20(1887)-昭和20(1945)
 洋画家。現在の栃木県栃木市(当時・下都賀郡国府村)に生まれる。陸軍士官学校受験失敗後、画家を志して渡米。大正元年(1912)にシアトルでフォッコ・タダマに師事する。大正6年、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに入る。同年、アート・ステューデント・リーグに入って、ジョン・スローンのほか、ブリドマン、ケネス・ミラーらに師事する。大正8年、一時帰国。大正10年、アメリカン・ペインティング・アンド・スカラプチュア展で受賞される予定だったが、外国人であるために取消となる。しかし、このことが話題となり名前を広めたという。大正11年、ニューヨークで日本人画家による画彫会設立。大正13年、渡仏。サロン・ドートンヌ展、アンデバンダン展に出品。大正15年に帰国したのちは、二科展、中央美術展などに出品する。昭和4年(1929)、二科展で樗牛賞。昭和5年、二科賞。しかし同年、二科会を離れて、中山巍らと独立美術協会を設立。以後、独立展を中心に活躍。
 代表作としては「横浜夜景」(大正10(1921))、「地に憩ふ」(昭和5(1935) 第17回二科展二科賞)などがある。プリミティブな画風で都市の風景画や労働者の姿を多く描いた。

◇戦争画との関連

 昭和7年、従軍画家として上海に赴き、昭和13年には南京、武漢、昭和17年には北ボルネオ、マレーに赴くなど、計8回派遣されている。昭和14年設立の陸軍美術協会に参加している。昭和16年、大日本航空美術協会(会長:堀丈夫中将)の発起人に名を連ねている。
 戦争美術関係の展覧会では、昭和13年の第1回大日本陸軍従軍画家協会展、昭和17年の大東亜戦争従軍画展、昭和17年の陸軍省派遣南方従軍画展、昭和18年の陸軍美術展(第1回)、昭和19年の陸軍美術展(第2回)に出品しており、昭和14年の第1回聖戦美術展、昭和16年の第2回聖戦美術展、昭和17年の第1回大東亜戦争美術展、昭和18年の第2回大東亜戦争美術展に出品している。また、昭和18年の第7回海洋美術展、昭和16年の第1回航空美術展に出品している。昭和19年の戦時特別文展での陸軍省海軍省特別出品にも加わっている。

◇参考文献

「戦争画生れよと『陸軍美術協会』―首途に従軍報告展―」『朝日新聞』昭和14年4月16日夕刊2面(針生一郎ほか編 2007『戦争と美術 1937-1945』国書刊行会 所収)
河北倫明監修 1989『近代日本美術事典』講談社
和歌山県立近代美術館編 1997『アメリカの中の日本 石垣栄太郎と戦前の渡米画家たち』和歌山県立近代美術館
針生一郎ほか編 2007『戦争と美術 1937-1945』国書刊行会

◇美術館

栃木県立美術館(栃木県宇都宮市)

◇東京国立近代美術館所蔵 戦争記録画(アメリカ合衆国 無期限貸与)

「汪主席と中国参戦」(1944)
「工兵隊架橋作業」(1944頃)

『靖国の絵巻』作品リスト

「慰霊と追悼」 國學院大學 研究開発推進機構 研究開発推進センター