おはらいの文化史 9 『春日権現験記絵』かすがごんげんげんきえ巻八


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『春日権現験記絵』巻八


解説

 原画は高階隆兼たかしなのたかかね(生没年不詳)により、延慶2(1309)年までに作られた。巻八には、病の祈禱きとうを行う法師陰陽師ほっしおんみょうじの姿が描かれている[1]。平安時代成立の『紫式部集』むらさきしきぶしゅう[2]『今昔物語集』こんじゃくものがたりしゅう[3]からは、はらえを行う法師陰陽師が当時の庶民に受け入れられていた一面や、貴族階層が彼らに不審の目を向けていたことが分かる。

  1.  病人のいる家の外に石(神の座か)が置かれ、その右に祭壇を置いたあとがある。その左に、子供にひかれ、紙で冠を作った僧がいる。おそらく、病気治しのための祈禱を行っていたものと見られ、また祓も行われていた可能性がある。ただし、詞書ことばがきには、病にかかった事実のみが記されているにとどまる。
  2. 弥生やよい朔日ついたち、河原にいでたるに、かたはららなる車に、法師の紙をこうぶりにて博士はかせだちをるを憎みて
    祓戸はらへどの 神の飾りの幣帛みてぐらに うたてまがふ 耳はさみかな
    (語釈)三月の一日、河原に出て、傍らの車で、法師が紙の冠をつけ物知りぶっているのを嫌って…祓をつかさどる祓戸の神に供える幣帛の中に、こまったことに耳はさみが紛れている(紙冠を頭に固定するためには、冠の下端を耳に挟む。「耳はさみ」とは、上端が直立し、林立した幣帛に紛れた紙冠そのもの、若しくは、場にふさわしからざる法師その人を指す)
  3. 巻十九本朝付仏法・内記ないき慶滋よししげ保胤やすたね出家せること

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