ドクニンジンと「よき死」
木原志乃



 

 

 
牢獄で毒杯を仰ぐソクラテスは、弟子たちに囲まれてその最後の時を迎える。当時のアテナイの刑法からすると毒杯の中身は「ドクニンジン」。プラトン『パイドン』で描かれている印象深い最後の場面である。


ディオスコリデス『薬物誌』IV79[ウィーン写本]より
 

…とうとう毒(パルマコン)を手渡す役目の者がやってきて、「飲んでから足が重くなるまで歩き回るように」と言うと、ソクラテスは落ち着いて杯を受け取り飲み干す。毒を手渡した者に足の先を強く押されて、「感じがあるか」とたずねられると、ソクラテスは「ない」と答える。徐々に体が冷たく堅くなり、…旧友クリトンが言葉をかけたとき、ソクラテスはもはや答えることがなかった。最後に動かなくなったソクラテスの目と口をクリトンが閉じてあげた。……
問題の「ドクニンジン(conium maculatum)」は、ギリシア語でコーネイオン(ko^neion) 、ラテン語でキクタ(cicuta)と呼ばれるセリ科の植物で、夏にきれいな白い小花をつける。ディオスコリデス(後1世紀)によると、花の種子を採取し、その絞り汁を濃縮させて毒を作る。この毒の作用は一般に苦痛なく死にいたらせるものであると信じられていて、 英語名の「ヘムロック」(古英語hymlic,hemlicに由来)にちなんで、アメリカの安楽死協会が「ヘムロック協会」と命名されていることもよく知られている。ソクラテスは理性的に死を選び、最後まで意識を持ちながら死に至ったのであり、そのドクニンジンが、後世尊厳をもった安楽な死(euthanasia=euよい+thanatos死)を迎えるための象徴とされたのである。

ただし、ドクニンジンの作用が本当に「安楽」だったかどうかは、最近でも研究者たちの論争の的になっている。というのも、その中毒症状として1時間以内に「嘔吐感、神経麻痺、呼吸困難」が起こり、これまでその苦痛についてしばしば報告されてきたし、特に『解毒剤』の著者ニカンドロス(前2世紀)によると「頭も締め付けられるし、五臓六腑は切り裂かれ、七転八倒の苦しみに見舞われる」と記述されているからである。
このような壮絶な死に方は「よき死」(euthanasia)とは程遠く、ソクラテスがどれほど苦しんだかとつい想像してしまう。『パイドン』でのやすらかな死の描写は著者であるプラトンのフィクションだと考えたほうがよいのか。確かにプラトンは自分のことに言及し、「プラトンは病気でした」と登場人物に語らせて、あえてソクラテスの臨終に居合わせていないように描いているけれども、かといって重要な場面を彼が勝手な推測で描いていたわけはない。


ダヴィッド「ソクラテスの死」1787


ある研究者(E.Bloch)は、ヘムロックの種類をめぐって、古代から現代に至るまでひどい混同がみられてきたことを指摘する。これまでドクニンジン(poison hemlock)がドクゼリ(water hemlock)として理解されてきたことが問題だというのである。重要なのはドクニンジンがセリ科の様々なヘムロックの中でも唯一アルカロイドの毒性で末梢神経に麻痺を引き起こすもので、いくつかの報告資料に見られるような痙攣発作の苦しみがおそってくるわけではない可能性が強いということである。またニカンドロスによる報告は「トリカブト」の毒と取り間違えてしまっている疑いが強いらしい。さらにテオプラストスの『植物誌』に証言されているように、当時すでに調合された「安楽死」の薬が作られていたとすれば(IX,16)、毒杯の中には、特に苦痛を和らげるケシも含まれていた可能性が考えられる。古代に立ち返ってこれらを科学的なデータに基づいて実証するのは困難であるし、紙幅に限りがあるゆえ十分に論証できないが、プラトンの描写が正確であることを裏付ける根拠も提示されてきたのである。

poison hemlock
ヘムロック協会のマーク
water hemlock

もちろんソクラテスにとって「よき死」は快苦に終始する話ではなく、たとえ苦痛を前にしても疑いなく死が選ばれたであろう。ソクラテスは馬を刺す一匹の「あぶ」のようにアテナイ市民を目覚めさせようとしたのであって、裁判において国外追放の刑を申し出ることもできたし、牢獄から逃亡することもできたにもかかわらずそれらを選ぶことなく自らの信じる正義を貫いたのだからである。そして死刑判決を得たソクラテスは、「よく生きる」ことへの問いかけをやめないまま、残された人たちに次のように語りかけて裁判を後にする。それはすなわちわれわれ自身への語りかけである。

「もはや立ち去るべき時である。私は死ぬために、あなたたちは生きるために。だが、われわれのどちらがよりよいほうへと向かっているのかは神よりほかに誰にもわからない。」(『ソクラテスの弁明』42A)
『パイドン』では、「ドクニンジン」という言葉は表記されておらず、毒(パルマコン)とだけ言われている。このパルマコンというギリシア語には、薬と毒という二つの意味が含意されている。人を救い癒すものが、人を殺すものとなる。古代ギリシア人にとって薬=毒は希望と恐怖の混ざった危険で魅惑的な存在であったのである。それは哲学の危険性と同じかもしれない。

 

 

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