第31回・平成14(2002)年7月17日(水)

     鶴田 「ね」

「今日はね、学校にね、行ってね、ベンチに座ってね、飯を食ってたらね、向こうからね、友達がね、来てね、・・・。」

最近になって変な癖がついてしまったものだ。なぜかほぼ文節ごとに、「ね」をつけて話してしまう。私の最近の悩みの種だ。友人からもよく指摘される。耳障り、だそうだ。

中学校の文法の授業時に国語の先生から、「文節の切れ目を見つける時には、『ね』を使いなさい。例えば、『赤い花を買った』だったら、『赤いね』『花をね』『買ったね』とするんです。『ね』をつけて意味が通る最小の切れ目が文節の切れ目ですよ。」と教わったのだが、まさか今になって当時の国語の文法のテストよろしく、こんな話し方をするようになるとは思ってもいなかった。

四国出身の私は、東京の男性が語尾に「ね」をつけて話すこと自体に違和感をずっと感じていた。男性なのに、何かなよなよした印象を受けたからだ。

この違和感は、多分育ってきた環境によるものだろう。私の生まれ育った土地の男性は、「ね」をほとんど使用していなかったように思う。代わりに「な」を使用していた。

「ね」はやさしさを多分に含んだ女性の言葉である、私はそう認識してきた。「ね」に対して柔和な、そんな感じを持っている。

ここで一つ疑問に思ったのは、「ね」を使うのは別に東京の人に限ったことではないし、関西の男性がそれを使うのを何度も耳にしたことがある。だが、どうしたことか東京の男性の「ね」だけを受け付けないのである。私にとっては聞きなれない東京式のアクセントと相まってそう思ったのか。

「ね」に対して私が覚えてきた違和感、そして今現在なぜ「ね」を多用するようになったのか、実のところはっきりとは分からない。

まあ、理屈でどうこう言うより、耳障りならば直さねば。会話でのコミュニケーションに支障を来す、だから止めよう、そう決意した。とにかく、回数を減らす努力をしよう。

「わかったから!わかったからね、もうね、言わないね。・・・わざとじゃないよ・・・。」(実話)

 

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