研究の目的と意義

 

荷田春満画像

 荷田春満(1669〜1736)は、近世前期、山城国伏見稲荷社の御殿預り羽倉信詮の二男として生まれ、和漢の書を好んで古典・国史を研究し、詠歌を古道の復活として位置づけ、復古を唱えた。元禄13年(1700)江戸に出て稲荷神道の喧伝につとめ、家名を興そうと幕府に近づき、また養子の在満を通じて国学校の創建を幕府に出願したと伝えられる。一方、賀茂真淵 (1697〜1769)をはじめ、多くの門人を取り立て、後の国学の発展に大きな影響を与えており、近世の和学・国学さらに学問・思想における位置づけを考える上で無視できない人物である。

東丸神社

 本研究の最も中心となる史料は、京都東丸神社に所蔵される荷田春満関係史料であるが、 戦前主要著作の目録が作成された後、未公開であり、史料は故三宅清氏他少数の人が実見したにすぎなかった。また、荷田春満の著作は、昭和3年〜昭和7年に、稲荷神社編『荷田全集』 全7巻(吉川弘文館刊)としてまとめられたが、著作のすべてを網羅したものではなかった。昭和19年、再び稲荷神社によって『荷田春満全集』 全10巻(六合書院刊)が企画されたが、うち第4〜6巻・10巻の4巻分を出版したまま、当時の時代状況の影響を受け、刊行が中止されてしまった。

荷田春満旧宅

  上記のように、荷田春満の研究は戦前の段階のまま止まっているといえる。しかしながら、その後、春満の高弟で遠江 国浜松の神職杉浦国頭(1678〜1740)の研究がすすめられる中で、新しい関係資料が発見され(『静岡県史』14 資料編6)、各地で新たな展開があった。また春満が研究の対象とした『日本書紀』『万葉集』などの研究も、戦後大きく進展している。

荷田春満墓

 今回の研究は、その成果を取り入れながら、近世における国学の展開について検証を進めていくものである。

  特筆すべきは、東丸神社の御理解により、本研究関係者が、かつて公開されることのなかった東丸神社所蔵の荷田春満自筆文献を閲覧することが可能となり、自筆本による研究への道が開けたことである。

  現在国学は、自国文化学として、広く世界の中での日本文化の価値を考える上で、重要な方法論として見直されている。その近世国学の展開を跡づけるために、荷田春満の著作を網羅して綿密な調査・研究 をおこない、その成果を公開していくことは、これからの国学研究の基盤を築くうえで重要なことであり、その萌芽の経緯を見極める材料として広く研究者に供するものとなろう。

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研究計画の概要

 荷田春満の史料は、明治初期に作成された可亭良信撰『荷田東丸遺稿目録』(國學院大學図書館収蔵、羽倉敬尚旧蔵書)に、自筆本や甥の信章の筆記など35部、136冊ほか多数の春満書入本の記述があり、蔵書か否か不明な書物などがあるとされているが、目録には文書・記録や、短冊・懐紙などは含まれておらず、他にも自筆の書入本が膨大にある。
 それら荷田春満関係史料の整理・目録化を進めるとともに、春満の自筆本の調査を行う。また特に東丸神社において新たに確認された書簡史料の解読及び注釈作業を研究会活動として実施する。これらの活動を足掛かりに近世国学の展開と荷田春満史料との関係に対する全般的な検討・考察をおこない、その成果を公開する。

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