打ち合わせ・視察のための韓国旅行


打ち合わせ・視察のための韓国旅行

 3月26日から開催する予定のセミナーの打ち合わせのために、横山実、古沢広祐及び菅井益郎が、12月20日から23日まで韓国を旅行してきました。その打ち合わせおよび視察の状況は、次の通りです。

12月20日

水原市の写真

 成田空港を午後1時30分に出発し、午後4時30分頃に仁川空港に到着しました。京畿大学が手配してくれたタクシーに乗って、水原市に向かいました。韓国の高速道路は、日本以上に整備されていますが、夕方の帰りにラッシュ時間帯となったので、渋滞に巻き込まれました。自動車の排気ガスによる環境の悪化が心配されました。水原駅の近くのDormy Innでチェックインして、明日の予定を打ち会わせしました。駅ビルで夕食をとり、駅の周辺の商店街を散策しました。駅周辺は、とてもにぎわっておりました。

12月21日

京畿大学国際交流センターとセミナーの写真

京畿大学国際交流センター訪問

 9時半に京畿大学に行きました。広いキャンパスの大学の風景を、ビデオやカメラで撮影しました。国際交流センターを訪れ、私達の日程を調整してくださったYooさんに礼を述べました。所長室を訪れ、Jung Hyu Nam所長、Hyun-Soo Kim副所長、環境工学科のSin-Jin Lee教授及び東洋語文学部のSun Sul Park教授と会い、3月のセミナー開催の協力をお願いしました。私達が作成したE-learning教材を保存したCD3枚を、センター所長、Lee 教授およびPark教授に手渡しました。

環境工学科の教員及び学生とのセミナー

 10時からは、京畿大学環境工学部とのセミナーに参加しました。京畿大学環境工学科側からは、Sin-Jin Lee教授の他に、Sang-Jin Kun教授、Sang Lee博士、大学院及び学部の学生約30名が参加しました。会議中は、Sun Sul Park教授が通訳をして下さいました。横山実が、まず、國學院大學環境教育プログラムの概要を英語で紹介しました。次いで、古沢広祐が、環境問題の深刻さと、その対策としてのエネルギー節約の生活について、英語のパワーポイントを用いて報告しました。Sin-Jin Lee教授は、英語で、水原市の川の水質検査の結果を報告して、浄化対策について提言されました。最後に、菅井が日本の足尾鉱害事件の歴史について報告しました。質疑応答は、Sun Sul Park教授が通訳して下さいました。セミナーの後で、Sin-Jin Lee教授、Sang Lee博士及びSun Sul Park教授と会食しながら、3月のセミナーについて打ち合わせをいたしました。

21日の午後及び夜の写真

京畿道保健環境研究院訪問

 午後には、Sin-Jin Lee教授の案内で、京畿道保健環境研究院を訪問しました。私達の視察を特別に許可して下さったJong-Chan Kim院長に礼を述べた後に、Hee Cheon Moon博士の案内で、水、土壌、ダイオキシンなど検査している部屋を見せていただきました。Hee Cheon Moon博士及びSun Sul Park教授が、日本語で説明して下さったので、よく理解することが出来ました。

水原市のゴミ焼却場訪問

 その後で、Sin-Jin Lee教授及びSun Sul Park教授の案内で、ゴミの焼却場を訪れました。この施設は、三星重工業が運営しており、Ho Kwang Yeom課長及び Ha Young Jung課長が案内してくれました。まずは、会議室に行き、モデルを使って説明してもらいました。Sun Sul Park教授が通訳して下さったので、理解をすることができました。その説明によると、日本の三菱重工業の設計で建設されたそうです。そのために、設備面では、日本のものとほぼ同じでした。建設に際して、近隣の住民からの反対があったので、住民に依頼して、彼らに、毎朝、トラックが入ってくる様子を監視してもらっているそうです。また、近隣に温水を提供していますが、施設の近くでは大幅な割引で提供しているとのことでした。このような説明を受けた後、ゴミ処理の司令室、ゴミの搬入道路などを案内していただきました。午後5時頃に視察を終えて、ホテルに戻りました。Sun Sul Park教授は、私達と打ち合わせをしてから、大学に戻られました。

華城視察

 午後6時前に、Sun Sul Park教授の教え子の鄭君が来てくれました。彼は、2007年の4月から1年間、國學院大學に留学する予定ですので、日本語が上手でした。鄭君の案内で、市場を歩きました。市場は、日本ではほとんど消滅しているので、懐かしく思いました。バスに乗って、世界文化遺産の華城の八達門を訪れました。華城は、1794年1月から1796年9月の間、Jeongjo王によって建設されたものです。その後、その建築物は破壊されましたが、41の建造物の内、7つの建造物を元の設計図の通りに復元して、世界遺産に登録されています。私達は、ライトアップされた八達門から、城壁に沿って丘を登り、そこから夜景を楽しみました。そのあと、水原市の名物のカルビ焼きの夕食をとしました。次いで、京畿大学の近くの貯水湖を見てから、ホテルに戻りました。

12月22日

ヨイド島と安重根記念館の写真

ソウルの安重根記念館視察

 Sun Sul Park教授に見送られて、9時半にホテルを出て、鄭君の案内でヨイドホテルに行きました。韓江の砂州のヨイド島には、韓国の国会があり、その周辺では、機動隊が警備に当たっていました。政治及び経済の中心部であるために、たくさんの高層ビルが立ち並んでいました。そこから地下鉄でソウルの旧市街に出て、タクシーで南山公園の中にある安重根記念館を訪れました。安重根は、1909年に伊藤博文を暗殺した人ですが、韓国では、日本帝国主義に抵抗した義士として崇められているのです。記念館の中の展示物を見てから、タクシーでロッテホテルの前に行き、Sun Sul Park教授の教え子の柳君と会いました。

ソウル清渓川とベルリンの壁の写真

ソウルの夜景の写真

ソウル清渓川の夜景の写真

ソウルの清渓川視察

 韓国の繁華街である明洞のレストランで昼食をとってから、清渓川を訪れました。ボランティアガイドの呉沼英さんが、清渓広場で私達を待っていてくれて、日本語で説明してくれました。昔の清渓川は、ソウルを西から東に貫通して東大門を過ぎて中浪川と合流して、漢江に流れ込んでいました。しかし、1978年までの数回にわたる工事で、清渓川は地中に埋められ、地上には、交通渋滞の対処するために、6車線の道路と4車線の高架道路が建設されたのです。ソウルの自然破壊を憂えたソウル市長が、多くの人々の反対を押し切って、2003年7月から2年3ヶ月の歳月をかけて清渓川復元を行ったのです。私達は、呉さんから説明を受けながら、撮影をしながら下流へと歩きました。姉妹都心のベルリンから移築されたベルリンの壁の史跡を見てから、喫茶店に入り、午後5時過ぎまで呉さんから詳しい説明を聞きました。夕暮れと共に、クリスマスのためのイルミネーションが始まりました。私達は、ソウル広場に作られたスケート場でのライトアップを見てから、午後6時過ぎに梨花女子大学講師のHyun Hee Lee博士と会いました。Hyun Hee Lee博士の案内で、ライトアップされた清渓川の夜景を楽しみ、仁寺洞で夕食をとりました。その後、鄭君の案内でタクシーでヨイドホテルに戻りました。

12月23日

仁川と韓国戦争記念館の写真

工業都市仁川視察

 Sun Sul Park教授の教え子だった黄君が、自動車で私達を訪ねてくれました。黄君は、2年前に國學院大學で1年間学んでいたので、日本語が上手でした。私達は、仁川市へと案内してもいました。チャイナタウンに到着してから、自由公園に登り、そこから工業都市の風景を視察しました。横山実は1985年にここを訪れておりましたが、その当時に比べて、煤煙や騒音などの公害の状況は著しく改善されていました。次いで、北埠頭から国際第2ターミナルへと、黄君に自動車を運転してもらいました。スーパーマーケットの中の食堂で昼食をとってから、韓国戦争記念館を訪れました。朝鮮戦争は、1950年6月に勃発しましたが、アメリカは国連軍を組織して、1950年9月15日に仁川上陸作戦を遂行したのです。その上陸作戦の海岸線を見下ろす丘の中腹に、博物館があるのです。博物館を見てから、午後3時半に黄君に仁川空港に送ってもらいました。私達は、5時10分発の飛行機で帰国しました。

前に戻るトップに戻る次に進む