國學院の学問の過去、現在、そして未来-三矢重松の意気-
校史・学術資産研究センター長 阪本 是丸
明治15年に創立された皇典講究所以来、國學院大學は建学の理念・精神を「神道」に、その学問の基礎を「国学」に求めて現在に至っている。そのことは、学校法人國學院大學の寄附行為に「この法人は……古典を講じ神道を究め汎く人文に関する諸学の理論及び応用を研究教授し、以て有用な人材を育成し文化の進展に寄与する」(第3条)とあり、また國學院大學学則にも「本学は神道精神に基づき人格を陶冶し、諸学の理論ならびに応用を攻究教授し、有用な人材を育成することを目的とする」(第1条)とあることからも知られよう。即ち、校名に冠する「国学」とは、「古典を講じ神道を究め汎く人文に関する諸学の理論及び応用を研究教授」する学問の謂いに他ならず、この学問の道統を近代に継承し、現代に発展させている唯一の大学が國學院大學なのである。
「古典」を講じ、「神道」を究め、併せて広く「人文諸学」を研究・教授するための研究・教育機関が皇典講究所・國學院の使命であることを、國學院の第一期生であり、多くの有為な後進を育成し、本学初の文学博士となった三矢重松は「神道とは、かく広らかに云へば、とりとむべき点も無き絶大の者ながら、又、狭めて云へば、我が固有の大道即本教といふ者ともなるべし。先王は、惟神の道を体し給ひて、儒仏はた種々の外国の物事を採用しものから我が国体を峙立せしめむには、代の進むままに、愈深く此の本教を発揮せざるべからず。古にはともありなむ。異邦の事物のかく盛に採用せらるる今の時に当りて、本教々理の光を顕さず、古典の晦蔵するは、全く学者の罪なり」と明快に喝破している(「古事記を読みて思へるひとつふたつ」、『國學院雑誌』第4巻第11、明治31年9月)。即ち、三矢は古典(古事記、源氏物語等)の講究によって神道(本教)の精神を「言挙」することの必要性を力説しているのであり、神道の「眼目」を「正直」「物のあはれ」に求め、「今この世界一品の旗幟の鮮明なるあり。之を押し立てて猛進せんに何ぞ躊躇すべき。斯の道にして明なるに至らば滔々たる三千年来の虚偽も希はくは掃蕩するを得むか。(宣長翁の物のあはれの説は実に千古の卓説なり。翁を祖述する者すべからく之を継ぎて本教の美を済すべきなり)」と述べている(「神道の眼目」、『國學院雑誌』第5巻第3、明治32年1月)。
この三矢重松に代表される国学的研究による神道精神の闡明・宣揚こそが、今日に至るまでの國學院の学問を貫く不易の学風である。近代的分化としての「神道」学だけに神道精神の講究・闡明・宣揚を任せ、あるいは任されたとする立場の否定にこそ、國學院の学問、即ち国学の真価は存するのである。
「国史・国文」の國學院、神官・神職、教職の國學院。創立以来、長く戦後に至るまで國學院は、このような一定の(いい意味でも、半ば嘲りでも)社会的評価を受けていた。或るときは「国粋主義」の権化として、また或るときは「リベラル」を殊更に吹聴した時期もあった。確かに、その双方が存在したことは事実であろう。しかし、時代の趨勢に押し流されつつも、ふと己を省み、「国の基」の何たるかを自問自答して創立以来の学問的営みを営々として続けてきたのが國學院ではなかったのか。かの折口信夫が大嘗祭の秘儀を説き、靖國神社の臨時大祭にしみじみと戦死者とその遺族の民族的思いを綴り、はたまた「神道の宗教化・神道の脱皇室・天子非即神論」を唱えようと、「代の進むままに、愈深く此の本教を発揮せざるべからず」との、前記三矢重松の言がすべてを物語っているのではないか。本居宣長らの理想とした太古純朴の神道の時代から、「神仏習合」の時代、そして「神仏分離」以降の時代、さらには現代にも、いつも「神道」は存在した。それを、あらゆる人文諸学の分野から明らかにしようとしたのが國學院の学問であった。宮地直一は皇典講究所の神職養成部門でその「神祇史」の体系化を与えられ。伊東忠太は「神社建築」を本格的に講義することを得た。折口信夫は「神道の神々」から独自の国文学・民俗学を開拓し、武田祐吉は記紀・万葉等の「古典研究の要点」は「昔を明らかにすることである。昔を明らかにすることは今日を明らかにすることである。即ち古人建国の意思を体得することである。人によつて古事記の見方も多少異なるが此の根本精神を逸してはならぬ」と説き、河野省三は「嗜み」に生きることの重要性を武田と同じ講演会で力説した。大場磐雄は文献的「神祇史」から「比較的雲過眼視」されていた「原始神道」を振興の学問である「考古学」によって明らかにしようとした。
無論、これらの学者以外にも数多の「国学・人文学」の講究に貢献・寄与した者がいる。そして、それらの多くは「神道」に直接関与した学者ではないだろう。しかしながら井野辺茂雄が果敢に幕末志士の非道を「国史」の立場から明らかにし、高橋龍雄が「通俗」とされる文学や芸道に「日本文化」の真髄を明らめんとしたように、國學院の学問は勃興時の国学のように、常に清新で革新的、そして反骨の気風に漲っていたのである。これら國學院の学問をそれぞれの個性で担った先人たちが残した「資産」をどのように有意義に継承し、使用すればよいのか。かつて、皇典講究所・國學院は「出版」という形で多くの「学術的価値」に富んだ「資産」を世に提供した。今日の國學院には、この120年余に亘る「人文資産」を「学術的」のみならず、社会的、そして国際的に「価値」あるものとして「発信」していくことが必要とされている。文部科学省21世紀COEプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」の継承・発展、そして文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「モノと心に学ぶ伝統の知恵と実践」の鋭意遂行を中核とする「國學院の学問」の真価が今こそ問われているのである。
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