豊島教授のメッセージ

エッセイヘ

いまに伝えられた物語

    少年の春は惜しめどもとどまらぬものなりければ、
     三月や  よひ二十日あまりにもなりぬ。  
 平安の後期、いまから約950年ほど前に、ひとりの女房によって描かれた『狭衣物語』の冒頭文。「少年の春」とは、〔少年期の春〕であり、〔少年期のようなはかない春〕でもある。
  春は一月〜三月。まもなく終わろうとしている春。その春を惜しむ情景を写すことで、語り始めようとしている。
 物語を評論した『無名むみょう草子ぞうし』が、800年ほど前の鎌倉初期に出現した。そして、『源氏物語』に最大の讃辞を送ったのちに、次のように記している。
   それより後の物語は、思へばいとやすかりぬべきものなり。かれ
      を 才覚にて作らむに、『源氏』にまさりたらむことを作りいだす人
     ありなむ。 
「『源氏物語』の後は、物語を作るのは容易なはずである。『源氏』を見習えば、それを越える作品も作れよう。」というのだが、それが容易でなかったことは、物語の歴史が示している。  
 その中で、『狭衣』は、その当時の外国文学である『白氏文集』の詩句などを、物語の冒頭から積極的に活用することで、固定的な従来の記述を脱却して、斬新な表現に成功している。
  『狭衣』とほぼ同じ時代に、恋に悩みながら成長する女性を描いた『夜の寝覚』、舞台を大陸へと広げ、夢と転生を取り込んだ『浜松中納言物語』。すべて『源氏』という優れた作品と対峙し、独自の世界を模索し、工夫した結果である。そうした工夫と創造に富む作品のみが、今日にまで伝わることを許されたのである。