太田純平君の文章

 太田純平君は、中学3年生。はじめ手を支えられながらパソコンで文章を綴り始め、途中から手を支えられながら50音の文字盤で文章を綴るようになりました。詳しくは、「深く秘められた思いとの出会い」という論文をご覧ください。

 


パソコンで綴った文章


 いうきさせちかたなあえかまし^たたおかあさたうあかあしえこあおいすくつくもいまりけあき(1998年7月13日)

 

8月4日くもりかくれよんしんちゃん  (1998年8月4日)

 

くもり8月18日キャンデー  (1998年8月18日)

 

くもり9月15日せんしゅをかんとく (1998年9月15日)

 

9月21日あめ11月28日ねこ2年 (1998年9月21日)

 

10年10月13日くもりターメリックライスエビソースかけいぬちいさい

                                               (1998年10月13日)

 

いあーながやまはれケーキキャンディカタイつたほドライカレーチーズトースト

                                                (1998年10月19日)

 

11月2日まちだすあ (1998年11月2日)

 

11月16日はれいぬかうかいえゆきたいペットショップいく

                                                (1998年11月16日)

 

いぬペットショップいく。いぬかいたい。いあだいついく?きょういきたいよ。

                                                (1998年11月23日)

 

いあだすわいぬかうダックスフンドかういつかかう (1998年12月20日)

 

しにたくなかったと○○○わおもったとじゅんぺいわおもう。しわいやだ。いきたいとおもう。                    (1999年1月19日)

 

いきたいとじゅんぺいがおもうのは○○○がしんだからです。からだがうごかなくてもいきていくとかんがえた。            (1999年2月2日)

 

「パソコン」

パソコンかいにいく

がっこうはパソコンが、ないけど、あいうえおボードあることで、せんせいたちとコミュニケーションできるから―ST―のときつかいたい。おかあさんがいないでくんれんしたいから、あいうえおボードいやだ。     (1999年2月22日)

 

 

きょういあくびを8うかきいえられそうになって、ゆるさないといいたい。こうりをはっこ ○○○くん1ねん3くみ1じかんたいいそくてい

 

リハビリがあせってきんちょうし、いあ。なぜこえがでにくくせリハビリさせるの。

(1999年3月31日)

 

さんすうむずかしい

4×7=28 26−2 7−4がっこうでやってせんせいいじわるした。くくわからないのでいや。くくおかあさんかいてください! (1999年5月11日)

 

1]1U11]2U21]3U3

01]4U41]5U51]6U6

1]7U71]8U81]9U9 (1999年6月8日)

 

3]1U33]2U63]3U9

3]4U123]5U153]6U18

3]7U213]8U243]9U27

4]1U44]2U84]3U12

4]4U164]5U204]6U24

4]7U284]8U324]9U36 (1999年7月6日)

 

STへいくために病院の先生にはやくあいたいといいたい。

5]1U55]2U105]3U15

5]4U205]5U255]6U30

5]7U355]8U405]9U45 (1999年8月3日)

 

えこかわいい

6]1U66]2U126]3U18

6]4U246]5U306]6U36

えこちゃんかわいい。あえてうれしい。

6]7U426]8U486]9U54 (1999年9月1日)

 

 

4日にいくリハビリ

看護婦さんきらいよ。いじわるするよ。いやなことがいっぱいある。なかなかわかってくれないよ。つらいきもちお医者さんにいったのに、いわないでにげた。しらんぷりした。看護婦さんつたえてほしいね。STの先生にあいにいかせてお母さん。もっとわかりやすくはなしがしたいからやってみたい。ー4日にいきたいー

(1999年9月28日)

 

けんり

なやんでたべられなくなった。学校なぜさべつするのか。みんなとおなじにしたい。ちがうのはいやだから。せきがでてもいきたかったのにしゃべらせてくれなかった。ぼくのけんりはみとめてくれなかった。(1999年10月12日)

 

STのせんせいへ

えこちゃんかわいいから。いいせんせいとおもったよ。がんばってやります。またいきたいとおもいます。(1999年10月26日)

 

じぶんできめたい

やだ。かあさんきめさしてくれないからいやだ。にんげんとしていきたいよ。学校えらびたいよ。ちゅうがっこうはかないちゅうにしたい。(1999年11月16日)

 

いなお先生にいいたいこと

いなお先生にいいたいことは、あいボードしたいのでてつだってください。お母さんとなかよくしてください。あさにゆっくりはなしてほしいとおもいます。

(1999年11月30日)

 

かわさき先生うれしい

かわさき先生てつだってください。わあぷろのれんしゅうにきてください。またきてください。ばいとのひかえてください。(1999年12月14日)

 

かたいのでおかゆにしたい

かあさんがいやだ。先生にあてとてもきびしすぎるとおもいます。てがみをだしたのではらがたつよ。いやです。学校にいきたいけどすきな先生のことわるくいわないでほしいです。きゅうしょくがかたいのでおかゆをもっていきたいです。先生にいいたいよーじぶんであいうえおボードで。(1999年12月21日)

 

お医者さんとはなしができた

あいさつがお医者さんにいえたのでうれしかったです。ばいばいというとお医者さんがわかったといいました。やっとお医者さんとはなせるようになりました。

(2000年1月25日)

 

えこすきだよ

えこおおきくなったらあいしてるいいたいえこたしかにぼくはこどもだけどあいしてるいいたい。(20000年2月22日)

 

かわさき先生になって下さい。

かわさき先生先生になってぼくたちとほんとにいっしょにべんきょうしてください。やまばとにきてください。(2000年3月28日)

 

しつもん

はたや先生がなぜいさやま先生になったのですかおしえて下さい。ひぐち先生がどこいったかおしえて下さい。あじと先生いんどはどうだったかおしえて下さい。

(2000年4月11日)

 

 

可能性を信じてほしい。川崎先生すぐに先生になってやまばとに来てください。

(2000年5月23日)

 

なんでもっとぼくやりたいのがやれないか、かきたかったよ。

                       (2004年5月28日)

 

 



 文字盤で綴った言葉

                                                   

手と手さがして

 

ぼくの手と友だちの手

まぜたら気持ち伝わるよ

伝えたい言葉 みんな知ってほしい

楽しさ倍増

手と手で伝えるよ

世界中の人と さがして

友だちを増やそう

ぼくの願いです

 

(平成13年12月12日)

 

はなすときはどうやってこえがでるの? とてもぼくのこえはでにくいのはなぜ?)

ぼくはてでしかはなせないの? のんちゃんとぼくのちがいどこ?

おとなになったらはなすことできるの ?

 

今年はぼくののぼる年だ。そとのせかいにでていく。ぼくはひとりでいきるやりかたをかんがえる。

 

 

 

今日、僕は車椅子ができた。ミッキーのタイヤがついているのがうれしかった。ハンドルを握ると動くのが楽しい。僕はもっと練習してたくさん動けるようになりたい。ぼくはカバンも新しいのをつけた。ミッキーの柄です。楽しくなってきました。とても乗り心地はいいです。他の人も見れたら、ほしくなるよ。僕は大満足。ヤッター!

太田純平

(平成1年5月8日)

 

「星野富弘さんの詩を読んで」

愛されていたのはさびしいときのよろこびです。ふつうの人にもぼくのハンディのさびしさをわかってもらえる詩です。生きていくのも大変はもっともだ! ぼくも苦しいと何もできないときがある。でもぼくはみんなに愛されているからつよくもっとやさしくなりたいと思う。何も手を動かすのもむずかしい。人の手もぼくのよろこびになる手をもってください。ぼくもたくさん話したい。手をもってくれないとぼくの話は伝わらない。手をもって! ぼくの話をつたえたい。ぼくふつうの子どもになりたい。ゆっくりとふつうの子どもになるゆめをもっていたい。話が伝わったらぼくはうれしい。詩はみんなの心へぼくたちの気持ちを伝えてくれる。むずかしいことはなにもない。
 へんけんとたたかうのははかない! ぼくはたたかわない。愛していきます。ぼくの願いだ!

(2002年7月21日)


 おしえてほしい。ぼくどうしてはなしがつたえられるか。おとうさんとおなじとしのせんせいとあいたい。ぼくはほかのつたえかたをならいたい。

 おおきくなったとき、ぼくのじゆうにぶんしょうかきたい。せんせいはどうやっているの。おなじほうほうはとてもむずかしい。ほうほうはとてもいろいろあるけどぼくにはどれがいいのかききたい。

(平成14年8月9日)

 


─山梨のゆうきくんの文章と写真を見て─
ふつうのこどもにはわからないたいへんさを ぼくもけいけんしています
でものりこえていけば ともだちもふえるよ
とてもすてきなおかあさんといっしょでいいね
ぼくのおかあさんはおしゃべりで とてもせわずきです
ぼくのいちばんのりかいしゃです
がっこうのともだちもせんせいもすてきです
ぼくのまわりにもたくさんのすてきなひとがいて ぼくはしあわせです。
ゆうきくんもぼくとともだちになりましょう

(平成14年10月29日)

 

 
 ぼくてをつかえるとにんげんらしくなるの。なぜ? ともだちはみんなつかえる。
(手つかえたら)おかあさんのかたをもむ。(担任の)先生とはなしができる。
いのちってなに?
すきなひとといきていいくのはたいせつなことです。
ぼくはてをつかえてともだちとはなしをするのがゆめです。
とてもむずかしいことですか?
先生、ぼくをはなせるようにして。
おぜき先生とぼくはきもちがつうじた。よかったのでもっとはなしがしたい。


─平川くんへ─
ねてるだけではいけないの。ぼくたちはほかにもやらなくてはいけないことがある。そとのせかいにめをむけてぼくたちのかんがえやせいかつをおしえていくのもたいせつなつとめです。おもっていることがすばやくみんなつたえられないといけない。

(平成14年11月12日)

 

 

先生、いのちはいつなくなるの。ぼくはいつもあるの。おしえて。つきにいくの。ぼくは、つきのししゃです。つゆになってなくなるからだできついです。先生いのちはかたちですか。ぼくはいや。しぬときつたえられない。ことばがでない。いつはなせるの。先生なおして。
 おひさまおなじになくなるのえいえんというのはないの。ぼくはえいえんのなかまになれない。

 先生、あいのあるひとはえいえんがあるの。こどものときはどうなの。先生おしえて。えのなかにはじかんはない。たかせ先生は、ひとはいつかはしぬといった。いのちはひとつといった。

 ぼくのしぬとき、いつ。くるしいのはいつ。うちでしぬの。たかせ先生ぼくのいのちをあずかってるの。ぼく、へん。もっとじかんをくれるといい。

(平成14年11月28日)

 



ぼくの ちいさな ともだちが なくなりました。やまき かんなちゃんです。ぼくは いままでに なくなった ひとへ ぜんこうせいとで あつまって、ごめいふくを いのるほうが みんなに しってもらえて やまきさんは うれしいと おもいます。

ぼくらの しは いつも たいへんな ことです。かなしむべき ことです。やはり せいとたちも しって とうぜんで みんなで かんじて いきる いみを かんがえる とき だと おもいます。

 たくさんの ともだちに めいふくをいのって もらいたかったと おもいます。きのうまで いっしょに べんきょうした ともだちだから いっしゅんにして わすれさられるのは つらかったと おもいます。せいとの なかにも ぼくと おなじ きもちの ひとも いると おもいます。もっと せいとにも きもちを あらわす きかいを ください。もっと やまきさんの ことを しって ください。やまきさんは じぶんの ことばを もってたのに みんなに しって もらえなかったです。やっと こえが でた やまきさんに てんごくでは いっぱい じゆうに はなせよと みんなで いのる きかいを ください。(2005225日)

 

はやとくんへ

ごぶさたしてましす。はやちゃんにあいたいです。ぼくのけんこうなすがたをしたのわずかだけど、しゅうがくりょこうもいきました。ぷーるもいったよ。たかせせんせいとこんどいきます。げんきでね。(平成17年7月23日)

 

 

―大学の授業のレジュメの前書きとして―

 目立たない いのち 咲かせたいから 生きたいと 願っています。 手が 動かないけど がんばっています。 いのちの 木に 花が 咲いてほしいから 大変だけど がんばっています。 しあわせ 少ないと 思っていますが 小さな しあわせ 今 ありがたいと 思えて がんばっています。 人と 重ねて 愚は したくないです。 残された 時間 先が 限られているので 旅が したいです。 人間 花ある 人生 探したいものですね。

 

(2006年6月23日)


障害は個性か?

 

都立町田養護学校高等部1年A組 太田純平

 

障害を個性といったのは障害者からです。それは皮肉った言葉でした。社会とたたかうための言葉でした。でもその言葉が障害者から離れて社会の定説になった時から、社会が障害者に対する都合のいい言葉になった気がします。

障害者はもう治りません。ぼくは中途障害ですがもう治りません。でも、みんなと同じように話もしたいしデートもしたいです。普通の命に帰りたいです。日に日に弱る自分を見つめるのは、大変な勇気と悲しみが混沌とした世界を作り上げていきます。

障害とは命にも関わるほどの重い枷です。それを個性というのは、どう思いますか。ぼくは個性とは、たとえ障害者でも一人一人感じが違うように、性格の違いとか考え方の違いとか体格の違いとか、そういうものを個性というと思います。それは障害者も同じです。麻痺になって、速く過去へさかのぼり、家で起こった悲惨な病をなくしたいと今でも思います。前向きに生きたいと思うけど、いつもくじけてしまいます。

もし、あなたが、明日から、しゃべれないし動けないしトイレにオムツになったらどうしますか。僕のようになってもあなたは簡単に個性だと言いますか?

校長先生が卒業式の時に、障害を個性とするには皆さんの理解と努力が必要ですと言ってたけど、話は簡単ではないと思います。これは、同席した役人や他の学校の校長先生に言った言葉です。この言葉の中にも皮肉とお願いと半ばあきらめの感情が入り混じっている気がしました。きっと昔の障害者も障害は個性だと言って強がって言ったのでしょう?

戦い続けてもぼくは仕方がないと思います。皆さんの理解と同じ人間だという気持ちが定着したら個性だという言葉も消えると思います。






僕は0になりたい

 

 

ぼくは、すみれで他の障害児と過ごしていました。すみれの時は、みんな似たり寄ったりだと思って飛び抜けてすごい子もいなくて、みんなこんなもんだと思っていました。保育の先生もわけへだてなく一人一人に向き合って遊んでくれて、自分の順番を楽しみにしていました。

ぼくは小学校を自分で選びました。養護には行きませんでした。そこで差別ということを学びました。試験のようなものがあって、ぼくは手も足も動かないのに、自分の名前のところへかばんをかけなさいと言われました。そんなの無理に決まっているじゃんよ。それから、おもちゃのなすといちごとりんごの入っている籠から先生の言ったものを取り出せと言われました。物をつかめない僕は、条件を変えてもらいたかったのに、先生はそんなことにも気づきませんでした。絶対はいってくるなとはっきり言われました。運動会も出さないし、校外宿泊にも連れてかないし、もちろん、校内宿泊にも出さないと言われました。それでも入るのかと言われました。

運動会に参加させない理由は、鉄砲の音で発作になるからだそうです。でもそんな音は毎日ある音と同じくらいのものなのにね。本当に途中で帰されました。ぼくはお兄ちゃんの学校の運動会にそのあと行ってお兄ちゃんを応援しました。

校外宿泊も校医の先生がだめといって行かれませんでした。前の日に高瀬先生に見てもらって、この程度の胸の音なら絶対いいよと言われるよと言ったのに、変だよ。

これってさ、なぜ僕は差別の対象になるんでしょうか。いじめなのでしょうか。みんなこんなことをされたら、どうしますか。それからはあきらめるということを学びました。

僕にも楽しいことができました。川崎先生の出現です。川崎先生は、僕の言葉をくれました。柴田先生がぼくにあいうえおを教えてくれてるのを知って、僕にボードを作ってくれました。うれしかったです。先生にも僕を信じてくれる人がいたからです。柴田先生以外で、僕の言葉を信じてくれた初めての人でした。学校でいっぱい話しました。楽しかったです。でもやっぱり行事には参加できませんでした。川崎先生の次は早川先生がぼくのボードを引き継いでくれました。ぼくはいっぱいその時から勉強が始まりました。九九も時計の勉強も、ものの単位の勉強もいっぱいしました。日記も書きました。これが勉強なんだと初めて知りました。こんなことがとてもうれしかったです。

僕には、何人かの理解者とたくさんの信じてくれない人とたくさんの友だちに支えられてきました。尾関先生がボードで僕にむつかしい本の感想をたくさん書かせました。生きる意味とか、人のやさしさなどのことを、いっぱい尾関先生と話しました。会いたいです。

僕は本当は、地元の中学に進みたかったのに、お母さんが勝手に養護に決めました。それは、僕が吐血をするようになって、無理をさせたくないと思ったからです。でも、ぼくはいやでした。障害児ばかりの区切られた世界にこんなに早い時期から何ではいらなければいけないんだよ、もっとたくさんの友だちがほしいです。案の定、ぼくは高校2年生ですが、メンバーは中学からあまり変わっていませんです。

障害児のことをみんなどのように考えていますか。僕たちは、なぜ普通の教育を受けるのが難しいのでしょうか。僕らの権利は、みんななぜ耳を傾けてくれないのでしょうか。春を待ち遠しく思った入学なんてひとつもなかったです。忘れないでよ。僕らもこの世界に生きているんだよ。世の中は普通の人にもきついですか。僕らが普通に生きていくのは、とても大変なのに、それ以上に摩擦がたいへんです。17歳の夏にみんなと僕の生きざまを話せることに僕はとても有意義な時間を見つけたと思います。みんな養護のことを知ってますか。普通に勉強ができる子もいれば、病気が重くて生きるだけでもたいへんな子がいます。ろくに話せないとね、先生にさえ気持ちが伝わらなくて、とてもつらいときがあります。やっぱり話せるっていいよね。僕も声がほしいです。たくさんの人がこのことを考えてください。たくさんの障害者がみんなと友達になりたいと思っているよ。20歳になったら、僕は大学生になっているものだと子供のときは思っていたけどね、この間、療育園というところへ実習に行って、ああここが僕のついのすみかと思ってまた限られた世界に死ぬまでほうりこまれるのだと悲しくなりました。僕はもっと勉強して世界中の人と障害者の生活を考える旅に出るのが夢です。それにはたくさんの人の力を借りなければなりません。みんなも貸してください。

0ってね!何にもないんじゃないんだよ。これから始まる意味さ。どんなことも受け入れることができる数字だよ。僕は、0でいたいです。                             

町田養護学校2年A組 太田純平

 



教育とは

 

                     都立町田の丘学園 高等部3年 太田純平

 

 僕は、学びたいといつも思います。教育とは、なんでしょうか。僕のように障害を持っていると、学びたいということさえなかなか伝わりません。僕は普通に教科の勉強がしたいだけです。大人になってもいらない知識でしょうか。皆さんはどんなことを考えながら勉強をしてきましたか?仕方なくですか?それとも、何かやりたいものがあってそれをするための基礎ですか?僕は、ただ、知りたい、得たい、と思う貪欲な意欲だけです。

僕のように養護に行き、将来は施設に入れられるだけの人生でも、今、知識を学びたいです。たったそれだけの思いでも、なかなかかなえるには苦労がいりました。どうしてだか想像がつきますか?少し考えてみて下さい。僕は、声も出ません。ボードも決まった人としかできません。そして、体が安定した時とか、体調がいい時にしか、目線も合わせられません。さて、みんなは、僕を見てどう思いますか。意識のある子に見えますか。本当の意見を言ってください。そして、それが教師の意見でもあります。

一握りの理解者との勉強です。本を読んでもらい、質問をしてもらうしか、僕は、自ら学習する術を持っていません。

皆さんは教師になりたいのですか。僕をどうやって教育しますか?

僕は普通の勉強法では、文字を書くこともできないし、数字を書いて、計算もできません。だから、教材に工夫が必要です。タイルの数を増やすとか、減らすとかして計算するとか、写真を提示してもらい選ぶとか・・・!

きっと、先生達はたくさんの引き出しを持っていて、それを活用しながら、僕に勉強を教えてくれると思います。

でも、それは、行き詰ることがあります。ルートの計算とか、自分の言葉の表現方法とかを増やすには、もっとたくさんの工夫が必要です。僕にものを教えるとは、普通の子供の何十倍もの時間と工夫が必要です。それでも、教えてほしいです。

知りたいことは、はてしなくあります。僕を信じてくれている担任から今は、天体の勉強を教えてもらっています。木星を作っている元素は、水素とヘリウムとか、太陽は酸素が無いのに何故燃えるのかとか、この年になって初めて知りました。いらない知識でしょうか?でも、こんな知識の積み重ねが、僕の言葉の表現に豊かな情景と感情を表すのに役だちます。たぶん!!

僕は外国へ行きたいです。世界中の人と話しがしたいです。景色も見たいです。そして、そのことを本にしたいです。

今の勉強が僕のこれから書くであろう本の種になれば、素敵だと思います。

何故とか、不思議とか、みんなは僕の年齢の頃にはどう感じていましたか?

障害とは、自らの勉強すら取り上げるけど、みんなの助けがあれば、夢もかないます。

僕らのことを、理解してください。勉強をしたいと思うこの気持ちを汲み取ってください。教育とは夢をかなえる魔法の言葉!・・・です。僕はそう信じています。