●投げかけられた問い
 私は、神戸の事件の容疑者として十四歳の少年が逮捕されるまで、このあまりに悲惨な事件からできるだけ目をそむけようとしていた。しかし、容疑者が逮捕され、それが十四歳の少年であるということが明らかになって、やりきれない思いが増すとともに、今度はその少年の心をなんとかしてとらえたいという思いが強くわいてくるようになってきた。深く重い問いが私自身に投げつけられているような気がしたからだ。
 自分が事件の当事者でない以上、私たちは、どこまでいっても傍観者でしかありえない。それでも事件について考えるのは、あるいはこのような場で語ることが許されるのは、それが自分自身の問題と深い関係をもつからである。私は、この事件で自分に問われていることを煮詰めると、つぎの二つのことになると考えた。一つは、この十四歳の少年は果たしてこれから変わりうるのかということであり、もう一つは、この少年の心の構造を、私たちの心と連続的なものと考えることができるのか、つまり彼を特異な存在としてわれわれの世界の外に置くことを否定できるかということだ。これらは、一見、事実はどちらかという問いの体裁をとってはいるが、結局は、価値的な判断を迫ってくる問いである。そして、この判断はこの事件そのものに関わる以上に、これからどのように思春期の入り口の少年たちに向かい合うかということに関わってくるはずだ。私たちは、もはや変わりようのない少年、理解を超えた少年が存在するという殺伐とした認識をすえながら、今後、少年たちに向かい合っていくことになってよいのだろうか。
●『兎の眼』の少年のこと
 いささか唐突だが、灰谷健次郎の小説『兎の眼』(新潮文庫)のことにふれるところから考えを始めてみたい。『兎の眼』は、新米の女教師・小谷先生が子どもたちとのかかわり合いのなかで遂げていく変貌を、個性あふれる子どもたちの姿とともに描きだした作品だが、その冒頭部分は、つぎのようなエピソードから始まる。新学期の初め、新任の女教師・小谷先生のまえで、鉄三は一匹のカエルをひきさく。「そのカエルはまだひくひく動いていた。ちらばった内臓は赤い花のようだった」。それは、鉄三の大切にしていたハエをクラスで飼っていたそのカエルが餌食にしたからだった。そして二か月後、鉄三のハエを持ち出した犯人がわかったとき、鉄三はその少年・文治におそいかかる。「かれの顔は血だらけになっていた。鉄三の爪で切りさかれた皮膚が、赤いえのぐをつけた布ぎれのように、びらびらしていた」。そして、「顔をかばった文治の手に、鉄三の歯がくいこんだ」。「文治の手から白い骨がのぞいて」いた。なんというすさまじい描写だろう。こんな激しい鉄三は、一方でハエ博士と呼ばれるほどにハエのことにひじょうに詳しい少年だった。
 私は、容疑者の少年が逮捕され、その少年に関する断片的な情報が伝えられてくるなかで、この鉄三のことをしきりに思い出していた。両親がおらず祖父と二人ぐらしの鉄三は小一、容疑者の少年は中流家庭の中三、年齢も、そして環境も大きく異なっている。それでも、この鉄三を思い起こしたのは、いったん関心をもったことには徹底的に取り組む探求心の旺盛な鉄三が、憎しみや怒りをいだいてしまうと徹底的に復讐しないではいられないほどの激しい情動を内にかかえこんでいるという心のあり方に、容疑者の少年にどこか通ずるものを感じたからだ。
 私はまた、学生時代に出会ったある一人の中学生の少年を思い出す。ある昆虫のことに並外れて詳しかった彼は、当時、親元を離れて集団生活をしていた。彼は激しやすい性格の少年とされ、感情をコントロールするための薬を精神科医に処方されていた。これ以上詳しく述べるわけにはいかないが、彼に出会ってから、私は、鉄三のような少年が実在することを実感するようになった。ひじょうに個性的な少年だった。ただし、残念ながら彼は、学校教育に関するかぎり、「小谷先生」のような存在に出会うことはなかった。
 
●変わっていく存在としての人間
 年齢や環境を越えて共通なものを語るということは、ほとんど「生来の素質」というものを語る立場に近いところに立っていることになる。そして、容疑者の少年が異常性格だという結論にかぎりなく近づいていく。もし鉄三少年や私の出会った少年を、この事件後のわれわれの周囲を満たしている一種異様な空気のなかに置けば、わけもなく危険な少年としてのレッテルを貼られてしまうのではないだろうか。しかし、年齢や環境を越えて共通する何かをここで認めたとしても、それはどのような方向にも発展しうる可能性を秘めたものであり、異常性格を語るところまでには、大きな隔たりがあると私は考える。
 私は、この事件に関して、主として心理学や精神医学を研究する立場の人間から異常性格や人格障害という言葉を聞くのをひじょうに不快に思った。私は、生まれたときに持ち合わせていたものを素質として語ることが、往々にして決定論や宿命論に流れていくことを容認できないだめ、そうした語り口は意図的に避けてきた。人間が出会いをとおして変わっていくということの豊かなイメージのまえに、そうした語り口は無意味なものであると思ったりもしてきた。しかも、この事件に関してまだそのような断定をするだけの情報はなんら得られていないのである。
 しかし、私が、鉄三たちを思い起こしたのは、何か生まれたときに持ち合わせていたものがあるということを私もまたなんらかのかたちで意識したからだ。描かれた鉄三の姿も私が出会った少年の姿もそれはけっして「素質」そのものを表しているわけではないことは断っておいて、それでも、ここでは、「素質」について語るところまで譲歩してもよい。
 そのうえで、声を大にして言いたいことは、鉄三もその少年もとても魅力的な少年だったということだ。容疑者の少年が関心のあることに徹底的に取り組んでいたらしいことと、いったん憤ると歯止めがきかなかったというところに認められる類縁性は、そのまま彼も魅力的な少年であったかもしれないという連想に私のなかではつながっていく。そして、鉄三も私の出会った少年も変わっていった。 
 たとえば、鉄三は、小谷先生をはじめとするクラスメートや地域の仲間たちとの関係のなかで、自分の閉ざされた世界のなかに他者を生きさせはじめていく。小一の、しかも物語のなかの鉄三の変化をここで論じても、十四歳の少年は変わりうるかという問いの答えの論拠にはならないだろう。しかし、「素質」ということを言うのであれば、人は何歳であれ変わっていくということをここで言えば一つの反論にはなりうるだろう。また、私の出会った少年は、その後、自力で、たくましく変貌を遂げていったということも述べておきたい。
 このように、私には、生まれたとき持ち合わせていたものを語ったとしても、それがむしろかえって容疑者の少年は変わりうるであろうという思いをもたらすことにつながっている。そして、彼の心の構造を連続的にとらえることの糸口を与えることになっていると言えるのだ。
 もちろん、容疑者の少年に出会っていない以上、鉄三たちを連想することの当否はわからない。異常性格や人格障害を語る人たちは、私が本当にそういう人間には出会っておらず、だから物語の登場人物を引き合いに出すことしかできないと、私の体験の甘さを批判するだろう。しかし、私は、この問いが私自身にのっぴきならないものである以上、自分の実感や体験にあえて固執したいと思う。自分自身の体験にこだわるというのは、いかにも幼稚に見えるかもしれない。しかし、性格の異常を言う論者も、どんな専門的見地にもとづいていようと、突きつめればやはり彼ら自身の体験にもとづいてのことだろう。そして、彼らもまた容疑者の少年には会っていない。
  
●岡真史君の残したものから
 私は、生まれたときに持ち合わせていたものにあえて言及することによって、容疑者の特殊な一面を結果的には強調してしまっているかもしれない。しかし、私は、この事件でもう一人の少年も連想した。そして、それは十四歳の容疑者の心の世界の普遍的な一面につながっていた。その少年は、岡真史君。『ぼくは12歳』(ちくま文庫)という詩集を残してみずから命を断った少年だ。
 彼の詩集の最後につぎの二編の詩がある。
 
ぼくはうちゅう人だ
   
   ぼくは
うちゅう人だ
また 
土のそこから 
じかんのながれに 
そって
ぼくを 
よぶこえがする
 
ぼくはしなない
ぼくは 
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは 
ぜったいにしなない
なぜならば 
ぼくは 
じぶんじしんだから
 
犯行声明文のなかでとりわけ衝撃的だった「透明の存在」という言葉や「国籍をもっていない」という言い方と、この詩のなかの「うちゅう人」という自己認識とが、私のなかで響きあった。私はいったい何者かという問いに答えられなくなれば、人は透明になってしまったり、自分の足場を根底から支えている国籍や地球を失ったりするのかもしれない。そしてそれでも自分を維持しつづけるためには、「ぼくはじぶんじしんだから」と言うことしか残されていなかったのだろう。そしてそこにとどまることのできなかったとき、岡少年は死を選んだ。
 一方、透明な存在であり国籍をもたないと感じるにいたった少年は、「もしボクが生まれた時からのボクのままであれば」という表現に見られるように、自分の根拠を生まれたときから変わらずにありつづける自分というものを仮定的におくことで自分を保とうと考えた。しかし、それはやはり仮定に過ぎず、そこに止まることはかなわない。そこで、存在の根拠を他者を傷つけることによって得られる現実感におくこととなる。すなわち、「人の痛みのみがボクの痛みを和らげる事ができる」のだ。
 一人は他者の命を奪うほうへと向かい、もう一人は自分の命を消すほうへと向かった。方向はまったく違っていながら、ともに自分の存在というものに深くこだわりながらも、自分の存在を「うちゅう人」、あるいは「透明な存在」としか呼ぶことができなくなっていったのである。そこに、思春期の入り口に立った少年の共通の心の世界を見ることはできないだろうか。 
●杉本治君の残したものから
 ここで、もう一人の少年のことにふれておこう。それは、岡真史君の死からちょうど十年後に、十一歳でみずから命を断ってしまった杉本治君である。私が岡君のことを思っていたとき、私の研究室の先輩、楠原彰さんは、杉本治君の残した言葉と犯行声明文との共通性に思いをこらしていたそうだ。
 最後に杉本治君の背中を押したものは担任の教師の叱責だったが、彼の残した言葉のなかには、彼の目に映った現代社会がいかに希望のないものであるかが痛切に描きだされていた(『マー先のバカ』青春出版社)。死の直前の作文にはつぎのような一節がある。
 
……略……昔は学校がなかった。その時、人は自由にくらせたんだ。進歩のためだ、学校がなければ進歩がしない。金もいらない。これぐらいで進歩を止めた方がいいと思う。……略……5年になって僕は変わった。それともみなが変わったのか? どちらかなのだ。それを考えているが本当の解答はえられそうもない。
 
ここには、進歩というものに対する疑いとともに、そう感じる自分自身の存在への不信が表現されている。また、彼はつぎのような詩も残していた。
 
重荷
重い重い荷物みな持っている
重い重い荷物休みたい
重い重い荷物おろしたい
重い重い荷物おろせない
 
自己を確定できない「透明な存在」であり、学校あるいは義務教育に激しい憎悪を向けた容疑者の少年も、重荷を背負っていたという。犯行声明文にはつぎのようにある。「復讐するだけなら今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない」と。杉本君も容疑者の少年も、いつのころからか、自分は重荷を背負った存在だという認識をもつようになっていたのだ。杉本君はみずからの命を断つことによって、容疑者の少年は復讐によって、背負った重荷を下ろそうとしたということになるのだろうか。
 学童期、子どもはその置かれた現実のなかで自分の像をいったん形成する。それはアイデンティティーという概念の提唱者エリクソンがこの時期に関して述べた生産性の感覚というのを敷衍すれば、仲間とともに何かを生み出すことのできる自分の発見だ。だが、現代の日本にあっては、子どもは、そのような感覚をうることができないままに、往々にして重荷を背負っている自分の姿を見てしまうのかもしれない。それが、学校や家庭、社会に遍在してしまった学校的なまなざしによるところが大きいということは、すでにくり返し論じられてきたところだ(たとえば、竹内常一『子どもの自分くずしと自分つくり』(東京大学出版会)。 
●自己の解体と懐疑のまなざし
 そして、いずれにしても、思春期の入り口でいったんその自己像は解体を始める。そして、そのとき、解体されるのは、自己だけではない。それまで、自明だと思っていたものがみな疑わしいものとなっていく。
 こうした自己の解体とすべてを懐疑するまなざしは、初めは、認識の自然な成長の結果として生まれてくるものだ。純粋に数学的な思考の発展によって、子どもは、時間や空間の無限というものに気づきはじめる。そして、無限に気づくということは、また、日々の暮らしが営まれている世界が相対化され、その限界が見えてくるということにもつながっていく。
 二人の詩には、出会いの一回性など、時間をテーマに・したものがいくつもある。それは、彼らがそうした時空の無限を発見することによって、反対に世界の限界というものを認識しはじめたことの表れであろう。そして、それと相関的に自己の限界というものも見えてくる。しかしそれはけっして不健康なものではない。それはまた未来に開かれた自己の可能性というものを夢想することをも可能にする。岡君にも杉本君にも、旅の詩をはじめとして未来へと開かれたいく編かの詩が存在していたのだ。
 しかし、可能性を夢見る想像力の飛翔に適切な着地点が現実の世界のなかに用意されていなければ、懐疑はどんどん膨張していくしかなくなるのだろう。そして、たとえば懐疑の極みとしての死は、つぎのように思い描かれるだろう。すなわち、無限の時間に対して人の一生である数十年の時間はあまりにちっぽけなものとしてイメージされ、それは到底、豊饒な生を包みこみうるものには見えなくなる。イメージはどこまでもイメージでしかなく、一種のフィクションに過ぎないのだが、その死のイメージを越えて、限られた生もまた豊かな生をはらみうるということを実感するためには、観念にもとづくのではなく体験にもとづかなければならないのである。
 もしかしたら、容疑者の少年も含めて、書き言葉の世界の突出は、他者や自然との関係と無縁なところで、必要以上に、自己の限界を描きだしてしまう両刃の剣なのかもしれない。
 お前は何者なんだと自分に向かって執拗にくり返される問いは、「透明な存在」「うちゅう人」「僕は変わった」という自己像へと帰着する。そして、すべてのものが疑いの対象となっていく。善悪にも学校にも社会にも疑いのまなざしは向けられ、そして人間という概念さえ、自明なものではなくなっていく。 
 私に、岡真史君の詩の意味を再認識させたのは村瀬学の『子ども体験』という本だったが、そのなかで村瀬は少年たちの殺人事件にふれ、「彼らは『人』を殺すようにして『殺人』をおかしたのではなく、『人でないようなもの』を殺すみたいにして『殺人』を犯したのである」とした。犯行メモのなかで少年は、命が消滅することを、くり返し「壊れる」という言葉で言い表していたが、それは、このことに符合するものだろう。
 何もかもが疑わしくなってしまったとき、人は、それでも信じられる世界、自分が何者かでありうる世界を希求する。そこに身を置けば自分というものをなまなましく実感することができるような現実性をもった世界。それは、通常の世界から見ればどれだけ非現実的な世界であっても、本人にとっての現実性こそがそこでは問題となる。そして、そこで新たな自分を作るための模索が始まるのだ。そのとき、どのような世界を選ぶのか、あるいは、どのような世界に出会うのか。おそらく、少年たちにとって、たくさんの世界への通路がなければならないだろう。そして、世界から世界へと渡り歩く自由が必要だろう。
 このとき、仲間とともに自分づくりを遂行できるものはさいわいだ。しかし、不幸なことに、容疑者の少年は、さまざまの悪条件が重なるなかで、きわめて特異な世界のなかに身を置くようになってしまったのではなかろうか。
 
●ふたたびもとの問いに立ち返って
 この特異な世界へと彼を追い込んでいったものを追求していけば.そこに社会・地域・学校・家庭といったさまざまの要因がどのように影響を及ぼしていったのかという問いが生まれてくることだろう。そして、まさにこの事件の特異性を解き明かすためには、彼をその世界へ追い込んでいったものをこそ問題にせねばならないだろう。
 しかし、まず、その問いは、私自身が最初に設定した問いを越えていく。しかも、私はそこに切り込んでいくだけの自分自身の体験に根差した視点を持ちあわせてはいない。私がこの文章をとおして確認しておきたかったのは、十四歳の少年は変わりうるのかという間いと、その心の世界を私たちのそれと連続的にとらえうるのかということだった。この基本的な問いに私は、こだわりつづけようと思う。
 この問いに答えていく試みが果たして成功したかどうか、いや、おそらく、私の問いに否と答える人たちを説得する力は備えていないだろう。しかし、あらゆる議論はこの問いを通過していなければならないと思う。
 十四歳の少年をもはや変わり得ないものとし、特異な存在として葬り去る視線は、おそらく、子どもたちの世界をさらに息苦しいものとし、子どもたちとのコミュニケーションの通路を狭めこそすれ、広げることはないだろう。この悲惨をきわめる事件の記憶の風化したあとに残ったものがそれだけだとするならば、この事件はさらにやりきれないものとなってしまうだろう。

 

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少年は特異な存在か
思春期の入り口に立った少年たちの心

柴田保之