重度・重複障害児の教育に関する基礎的考察

─人間行動の成りたちの基礎に立ち返って─

 

Basic Consideration on Education for Severely- and Multi-handicapped Children

Returning to the Foundation of the Organization of Human Behaviour─

Yasuyuki SHIBATA

The state and the developmental process of the severely- and multi-handicapped children were described.  We divided them into two aspects; the function of the subject and the external world constructed by him. About the former, we investigated the system of the anticipation, the control and the confirmation of the behavior; about the latter, the construction of the postural space and the operational space.

 

はじめに

 近年、障害の重い人々が、広く教育の場に迎え入れられるようになり、そのことから、教育、あるいは人間存在の本質への間い直しが、少しずつ行われるようになってきた。しかし、それは、まだ緒についたばかりであり、今は、ていねいな蓄積が必要とされる時期である。性急な解答は避けねばならない。われわれは、盲聾二重障害児の教育(Umezu,1974他)に始まり、その他の様々な障害を持つ人々との教育的かかわりあいを深めてきた。本稿は、それらを通して得られてきたものを特に、発達の初期的な段階に焦点を定めて整理することが目的である。

 ところで、通常の実証的研究では看過されやすいことであるが、われわれが対象から知見を得る時、その知見は、対象へのはたらきかけの質に依存している。同じ対象に取り組んでいても、はたらきかけ方が異なれば、そこで生まれる事実は違ってくる。一般に、障害児教育をめぐっては、様々な立場があるが同一の対象に向かいながら、主張がくいちがうのは、生み出された事実が異なっていることが、その一因といえる。したがって、われわれは、はたらきかけ方を規定しているものを自覚せねばならない。

 われわれの基本的な大前提は、次のようにまとめられる。すなわち、どのような重い障害を持った人であれ、外界を受容し、外界にはたらきかけるという相互交渉の中で、外界を理解しており、さらに、その相互交渉を通して、自己を変えていく存在であるということである。ただし、外界は、そのようた相互交渉に適切な構造を備えたものであるとは限らない。そのため、われわれは、その人の相互交渉の水準や特質に応じた外界を、教材という形で構造化して提示するのである。

 われわれのはたらきかけが適切である時、どんな重い障害を持つ人であれ、外界の中に自ら課題を見出し、工夫することによって課題を解決し、自らを変えていくという自発的能動的な存在として、現われてくるのである。

こうした前提に基づいて、われわれは、次のような2つの目標を立てる。すなわち、第一は、その人が自発的に相互交渉を営むことによって、すでに獲得している潜在的な行動を、十分に顕在化することであり、第二は、外界へのはたらきかけを工夫する中で、自分自身の原則をより水準の高いものへと変えることである。

 そして、このような目標を実現するためにわれわれは、次のような課題を課せられることになる。すなわち、第一に、その人が、どのような受容やはたらきかけの原則に則って外界と相互交渉を行なっているかを知ることであり、第二に、その原則の水準が高まっていく道すじを知ることである。そして、これらの課題は、実際に、障害を持つ人々とかかわる中で、少しずつ果たされていかねばならない。その時、われわれは、真に、障害を持つ人々に学ぶこととなる。

 

 I 分析の基本的枠組み

 障害の重い人の相互交渉の原則と、その変化の道すじを分析するにあたって、先ず、その基本的な枠組みの提示から始めたい。

 われわれは、先ず、相互交渉の事実を、主体の機能と主体が構成する外界の2つの側面に分けて考える。

 

 A 主体の機能

 1 具体的な姿

 主体の機能の分析は、相互交渉をする主体の具体的な姿の記述から始まるが、単なる課題の成功失敗の記述ではなく、受容とはたらきかけが、どの器官のどんな状態で起こっているか、そして、その時の他の器官の状態などを細かく見ていかなげればならない。特に、発達の初期の段階では、後述するように、目や手以外の器官の果たす役割が大きい。

 2 予測と確認、及び調節

 主体の機能を過程として見ると、そこに、予測−開始−調節−終了−確認という流れがあると考えられる。すなわち、実際の運動が開始する前に結果の予測があり、調節を経て運動が終了した後、結果の確認が続くのである。

 a 予測と確認

 意図性や選択性の高い運動であるほど、予測と確認は明瞭であり、習慣化、機械化した運動は、それがあいまいとなる。予測は、運動に先立つちゅうちょ、確認は、運動の後のほほえみとして、表われる場合がある。

 予測は、過去の体験からの情報と現在の感覚からの情報の両者をもとにして起こるが、受容の水準が高まるにつれ、感覚の果たす役割が重要となり、しだいに空間的な理解にもとづいた予測となっていく。

 b 運動の調節

 運動の調節については、大別して、2種類の過程が考えられる。第一は、姿勢のバランスによる運動のコントロールであり、第二は感覚による運動のコントロールである。

 始めに、姿勢のバランスによる運動のコントロールについて述べたい。

 ある一つの運動が起こると、何らかの形で姿勢のバランスはくずれる。だが、そのままくずれてしまっては、運動を遂行することはできないので、運動の刻々の変化に応じて姿勢のバランスを調整することによって、運動を支え、コントロールしなればならない。

 姿勢のバランスは、実際の運動と、それと逆の運動方

向を持つ別の運動(目に見える場合も見えない場合もある)とによって保たれるが、運動が複雑化するにつれ、多方向の運動が交錯するようになる。例えば、座位で片手が運動を起こしている時、腰の重心を中心にして、もう一方の手や頭や足が逆の方向の運動を起こすことにより、バランスを保っているのである。

 なお、以上のことは、感覚に伴う運動(視覚に伴う眼球運動や頭部の運動、あるいは、触覚に伴う手の運動)にもあてはまるため、次に述べる感覚による運動のコントロールに姿勢のバランスが深く関与していることがわかる。

 次に、感覚による運動のコントロールについて述べたい。

 この過程は、いわゆる感覚と運動の協応に関連したものであるが、目と手の協応というような、異なる器官相互の協応以前に、先ず一つの器官内における感覚による運動のコントロールがある。すなわち、運動している器官の中で、運動とともに生ずる運動感覚などの自己受容性の感覚が運動をコントロールすることによって、瞬発的な運動が、無駄な力のぬけた持続的な運動になるのである。

 異なる器官相互の協応、すなわち、外受容性の感覚による運動のコントロールについては、例えば目と手の場合では、次のようになる。すなわち、目と手がバラバラな状態から目が手の運動を追うようになり、さらに、両者が同調し、さらに、目が手の運動に先行して、方向づけや位置づけを行うようになって「感覚による運動の先取り」(中島、1984)と呼ばれる事態が成立する。

 

 B 主体による外界の構成

 主体にとって外界とは、単なる刺激の寄せ集めではなく、何らかの基礎的なカテゴリーの上に体系づけられるものである。われわれは、先に、構造化された外界として、教材を提示すると述べた立場から、空間というカテゴリーに特に着目する。教材における外界の構造化は、何よりも先ず、空間的構造化であるからである。

 空間の構成については、2つの過程が考えられる。すなわち、姿勢形成に関する空間(以下、姿勢空間と呼ぶ)と、運動の操作性に関する空間(以下、操作空間と呼ぶ)の構成である。

 1 姿勢空間の構成

 姿勢空間の基本的な要素としては、面と垂直軸があげられる。

 面は、始め、仰向けでよりかかるものであるが、しだいに体を起こし立ち上がる中で、体重を重心として点に集約することによって小さな部分でよりかかるものとなる。したがって、面の形成については、重心の作られ方を通して、整理していくことができる。

 垂直軸は、上体の前後や左右の相反する2方向の運動が、つりあう中で形成され、さらに、身体の各部の運動が複雑になるにつれ、多方向の運動の交錯の中で形成されるようになる。また、垂直軸は、始めは、小さなバランスのくずれに対しても、柔軟性がなく、倒れてしまうが、しだいに、ある一定の幅の中を、揺れるように行き来できるようになり、柔軟性を増してくる。以上のことから、垂直軸の形成は、運動方向の交錯するあり方と、バランス保持の幅のあり方から整理することができる。

 2 操作空間の構成

 操作空間の基本的な要素としては、方向、位置、順序があげられる。操作空間は、静的な枠組みではなく、運動を方向づけ、位置づけ順序づけるための動的な枠組みである。

 また、操作空間は、運動の原点としての身体が、絶対的な位置を占めており、構成されていく過程の中で、その絶対性が、相対化(=脱中心化)されていく。

 

 U 人間行動の成りたちの道すじ

 

 A 仰向けから体を起こすまで

 1 主体の機能

 a 具体的な姿

 @ 仰向けで寝たきりの状態には、ほとんど身体運動を起こさない場合と、起こしている場合がある。ともに、外界の受容に関しては、背中や足を通した背面の触刺激・口による前面の触刺激、耳による聴覚刺戟どの受容が重要である。なお、目や手は、必ずしも重要な役割を果たしていない。

 運動の少ない寝たきりの人の場合、背中全体に生じている触覚を自ら変化させることはなく、さわられたりすることによる触刺激の変化をいやがることも多い。だが、首すじや腰、膝の裏、足の裏などに、軽くさわったりすることで、ほほえみや発声といった快の表出や、自発的な身体運動が引き出されることもある。また聴覚刺激や口の触刺激でも種類によって同様の反応が引き出せる。

 なお、刺激の提示の仕方は、一定のリズムを持たせるなどして、刺激の出現が、予測されやすいように工夫する必要がある。また、特に、口については、首の運動、口の開閉、舌の出し入れなど、積極的な外界へのはたらきかけにつながる可能性がある。

 一方、自発的な運動の起こっている寝たきりの人は腰を中心にして体をねじって、背中全体の触刺激を分化したり、足の裏を床にこすりつけて刺激の変化を楽しむなどが見られる。こうした運動を通して、面に密着していた体の一部が、面から離れるようになり、いわゆる寝返りなどへと発展する。耳や口については、前者と同様である。

 A 寝たきりの人が、自ら体を起こすための援助については、その人をいすに腰かけさせて前に机などを置いて、肘をそこに押しつけることによって、自分の体を起こし支えられるようなはたらきかけをする。机などの高さを調節して、うまくバランスの取れるところを見つけてあげることも必要である。直前にそのまま、うつぶせになったり、後ろにそっくり返ったりすることもあるが、しだいに上手に支えられるようになり、始めは、床にふれるだけだった足が、床を踏みしめるようになってくる。

 このような姿勢を形成しようとする活動は、それだけで、自発的な運動の始まりととらえられる。

 B からだを起こすことによって、体の前面に外界が開けてくることになるが、このとき、もっとも重要な相互交渉の拠点は、口である。口に風船だとの適切な刺激を提示すると、首を左右に振って唇でさわる、舌をつき出すなどの運動が起こったりする。また、首を振って口元や頬で簡単なスイッチを押し、チャイムを鳴らすことなども可能となる。このように、前面で相互交渉が起こることにより、後ろへのけぞるような背面への運動は減少し、座位の安定につながっていく。

 b 予測と確認、及び調節

 @ 運動の少ない寝たきりの状況で、触刺激や聴覚刺激の変化が、ほほえみや発声の快の表出を引き出すことについて述べたが、これは単なるくすぐりやゆさぶりなどの直接的な快感ではなく、刺激の出現の予測と、その確認であり、外界の理解の喜びの表出と解釈することができる。調節は、まだ、はっきりした形で起こってはいない。

 A 仰向けての体のねじりや足の運動、座位における口や首の運動について見ていくと、先ず、予測については、外受容性の感覚を使った空間関係の理解に基づくものとはなっておらず、過去の体験に基づくものである。外界の関与がうすい身体運動では、運動の始めや終わりも不明確になりやすく、習慣化機械化しやすくなるが、運動の結果が明確に確認されやすい対象が関与することによって、予測と確認が際立ち、意図性の高い運動となる。

姿勢のバランスによるコントロールについては、先ず、仰向けの状態で起こっている床面から離れる運動に対して、床面に接触した部分を押しつけるという逆の方向の運動を起こすことによって、コントロールが行われている。また、座位における口や首の運動の場合、その運動方向に対しての逆の方向の運動として、左右の肘の力を加減しながら机に押しづけることによって、コントロールが行われている。

感覚による運動のコントロールについては、まだ、外受容性の感覚は、ほとんど関与しておらず、運動と不可分に生ずる自己受容性の感覚によっている。すなわち、外界の事物との接触によって生ずる抵抗を受容することによって、運動の強弱をコントロールし、また運動を通して生ずるバランスの変化を受容し運動の強弱をコントロールする(これは、上述の姿勢のバランスの問題と重なっている)わけである。まだ、外界に対応した方向性は存在していない。

B 次に、机に肘をついて体を起こす座位について考えたい。

体を起こし始めの頃は、バランスをとれる場所がどこであり、どの辺まで体を倒すとバランスがくずれてしまうかについての予測が起こっておらず、そのため、急激にバランスがくずれたりする。しかし、バランスを保つことのできる一定の幅に関する予測が、前後や左右について起こり始めるようになり、姿勢は柔軟性を増す。そして、その予測に基づいて、わざとバランスをくずすことも起こったりする。

姿勢のバランスによるコントロールについては、体を起こすという運動自体が、姿勢形成そのものなので、まぎらわしいが、体を起こす運動を、他の身体部位が、どのようなバランスをとってコントロールしているかということで考えていくと次のようになる。すなわち、体を上に起こし、前後左右に体を微妙に動かしながら体を保つという運動に対して、肘や、背すじ、足の裏などが、逆の方向性を持つ運動を起こして、コントロールしているのである。逆の方向性が多様に交錯するようになるほど、姿勢は柔軟になる。

感覚による運動のコントロールについては、外受容性の感覚ではなく、自己受容性の感覚によって、体を起こす運動はコントロールされている。だが、重力の情報などが、単に受け身的に受容されているのではなく、姿勢のバランスについて述べたような様々な方向の運動を起こした結果として生ずる運動感覚や重力の刺激の変化などが、能動的に受容されていることに注目する必要がある。

2 外界の構成

a 姿勢空間の構成

@寝たきりで、運動がほとんど起こっていない状態では、底面は、よりかかる面としての性格を持っており、体重は、底面上に分散しており、重心としての分節化を持っていない。

 A 寝たきりであっても、体をねじるなどの運動を通して、底面は、よりかかる面から離脱する面へと性格が変わる。そして、それとともに、体重は、いくつかの支点に集約され始め、重心としての分節化が始まる。

 B 机に肘をついて体を起こすことによって、底面は、腰の面、足の面、手の面とに分化する。腰の面と足の面は、よりかかられる面であり、手の面は、よりかかるとともに離脱する面である。重心も、それぞれの面上に明確に分かれて形成され、腰の重心上に垂直軸が形成される。

 C 座位が安定し、姿勢保持に対する肘の役割が軽くなるにつれ、重心は、腰の面上にいったん集約され、手の面や足の面は、運動に応じて、重心を分散されるようになる。腰の重心の上に形成された垂直軸は、前後左右のバランスの幅の中での中央として形成されてくる。そして、手の面と足の面は、しだいに操作空間の場となっていく(なお、本稿では、足の運動については割愛してある)。

 b 操作空間の構成

 この段階において、対象に対する明確な運動は、口で物にさわる、首を動かしてスイッチを押すなどであると述べたが、こうした運動を通して構成されている操作空間は、点であり、相互に関係づけられることもなく、孤立した点である。

 

 B 手の運動の始まり

 1 主体の機能

 a 具体的な姿

 座位が確立し、肘で体を支える必要がなくなってくると、座位の姿勢における手の使用が始まる。

 @ 手は外界の対象に向かうより前に、自分の身体へ向かう。仰向けの場合も合わせて見てみると、口や頬、髪、足などをさわる、両手を組み合わせる、手を目の前に持っていくなどが、典型的な向かい方である。こうした運動は、何気なく外界に向かう運動とは違い、運動の結果が、さわられた部位や、目を通して直接的に確かめられることなどのため、本人にとって、わかりやすい運動であり、何度も繰り返し運動が起こることとなる。そのため固着を引き起こすやしく、常同的な運動につながりやすいといえるが、任意に動きすぎる手に、一つの安定した位置を与え、そのことから、身体のバランスをとることにもつながる。例えば、対象物に向かう手の反対の手を口にくわえ、運動のバランスをとったり、両手を前で組み合わせて、上体のバランスをとったりするのである。

 A 手は、身体に向かうことから、しだいに、外界の対象に向けられてくる。最初は、物を握らせてもすぐに放すなど、拒否的な手の使い方も見られるが、しだいに、握る、たたく、ひっかくというような手の使い方が始まる。

 物を握ると、それを確かめるために振ってみたり、口に持っていったりして、しだいに物を区別するようになる。また、ひっかく、たたくという運動は、その運動を通して得られる触刺激や音を受容し、外界を確かめるという外界へのはたらきかけである。しかし、これらは、まだ、方向性の未分化な運動であり、持続的調節の伴わない瞬発的運動である。

 B こうした、握る、たたく、ひっかくといった運動は、鉛直上に立っている棒にはまった輪をぬき取る、あるいは、溝にはまった木片を手前に引き寄せてスイッチを押しチャイムを鳴らすなどの運動を通して、しだいに持続的な調節による方向の分化が始まり、運動の始まりや終わりが、はっきりしてくるようになる。

 C 一方、こうした方向性の分化した運動が出現するとともに、運動している手とは、別の身体の部位が、運動のバランスを調節するために、様々な運動を起こす。例えば、空いている方の手の肺を机につく、その手を口にくわえる。頭を後ろに軽くそらす、足を踏んばるなどである。これらに共通なことは、実際の手の運動とは逆の方向性を持つ運動であることである。

 D 以上は、主として、片手の運動であったが、ここで、両手の運動について見ていくことにする直対象の関与していない運動としては、手を組む、手をたたき合わすなどが両手の運動の始まりであり、しだいに、一方の手に持っている物を他方の手でたたく、ひもなどを両手で引っ張り合うなどの対象を介在させた運動へと発展する。そして、さらに、鉛直に立っている棒にはまった輪を両手でぬき取る、物を両手で引き寄せるなど、机上での操作ができるようになる。そして、次に出現する運動は、机上の教材の一部を片手でつかみ、もう一方の手で操作する、シーンのような板を両手で操作する(片方の手で板の半分を押し下げるともう一方の手が板の半分と

ともに押し上げられる)、車の・ハンドルのような回転運動をする対象を両手で操作するなどができるようになる。なお、最後の3つの運動は、それ以前の運動が、両手が一体となった運動であるのに比べ、両手の動きが、独立的になっているといえる。

 b 予測と確認及び調節

 @ 自分の身体に向かう運動においては、その運動の成立当初の頃は、体験のくり返しの中から生まれた予測に基づいて運動が起こっているといえる。姿勢のバランスによるコントロールに関しては、座位の場合に限ってだが、体の前面で起こっている手の運動をコントロールするために、背すじを伸ばし、腰を中心に上体を少し後方に傾けるようにするなどが見られる。また、感覚による運動のコントロールについては、さわる手の自己受容性感覚と、さわられる部位の触覚(手を見る場合は視覚)を通して、さわる手の運動をコントロールしている。しかし、以上のような身体に向かう運動は、習慣化機械化しやすいため、予測もあいまいになり、コントロールも固定化する可能性がある。

 A 手の運動が外界の対象に向けられてくると、予測は、そのきっかけが、外受容性の感覚を通してもたらされるようになってくる。ただし、予測は、空間関係の理解に基づいたものではなく、過去の体験に強く支えられているものである。

 姿勢のバランスによる運動のコントロールについては、腰を中心にして背すじを伸ばし、後方に上体を少し倒すようにして、運動をコントロールするが、運動自体が瞬発的な段階では、上体も瞬発的に後方へ倒されるにすぎない。それが、運動に方向性が生まれ、持続的調節が加えられるようになると、姿勢のバランスによるコントロールも、より持続的なものとなる。すなわち、上体を後方へ少し倒すようにしつつ、さらに、刻々変化する手の運動に対応して、微妙に上体を調節していくのである。そして、運動していないもう一方の手や、床についた足、頭なども、コントロールに参加してくる。これらの身体部位は、実際の運動に対して、及びそれらの身体部位相互で、逆の方向性を持っており、多様な運動方向の交錯した姿勢のバランスによって、実際の運動の方向性が作られているのである。

一方、感覚による運動のコントロールに関しては、握る、たたく、ひっかくなどでは、運動と同時に生ずる自己受容性の感覚によって、その運動の強弱がコントロールされているが、ぬき取る、引き寄せるなどでは、運動の方向性のコントロールヘと高次化してくる。対象にはたらきかけてみて、抵抗の少ない方向を見出し、その方向性を持続するように、コントロールをするようになるわけである。

 B 両手の運動について見ていくと、予測については、基本的には、上に述べた片手の運動と変わらない。また、運動の調節については、感覚による運動のコントロールに関しては上と同様である。ところが、両手の運動が独立的になってくるにつれ、姿勢のバランスによる運動のコントロールの過程に変化が生じてくる。片手の運動や、両手の一体化した運動においては、体の前面での運動に対して、上体を後方にそらすというかたちでバランスがとられている。つまり、腰を中心にした前後のバランスの中で運動が起きていることとなる。

 ところが、上で例示した3つの独立的な両手の運動においては、異なるコントロールが行われている。例えば、左手から右手に向けて、溝に沿って物を押しやる場合であれば運動の開始時に腰より左に傾いている上体を右の方に傾けることによって運動をコントロールしているし、また、シーソーのような板の操作では、左手を押し下げ右手を引き上げる時は、上体を左に倒し、その逆の場合は、右に倒すことによって、運動をコントロールしているのである。すなわち、両手の運動がしだいに独立的になるにつれて、腰を中心にした左右のバランスによるコントロールが始まるのである。

 2 外界の構成

 a 姿勢空間の構成

 @ 自分の身体に向けられた手の運動や、瞬発的運動は、座位の安定の中で構成された姿勢空間(U-A-2-aC参照)に依存する中で起こっている。すなわち、身体に向けられた手の運動は、腰の面の上に作られた垂直軸を、バランスの幅の中で静止させることの中で起こっており、瞬発的運動は、その垂直軸を前後に揺らす中で起こっているのである。身体に向かう運動では、重心は、腰の面に、いっそう集約され、運動の固着に伴って、バランスを自由にくずすことが減り、柔軟性を失った空間になり、操作空間の構成の場につながりにくくなることがある。瞬発的運動では、その運動に応じて、腰に集約されている重心が手や足の面に分散され、操作空間の構成の糸口となる。

 A 運動が持続的に調節され、方向性を持つようになると、姿勢空間は次のように高次化する。すなわち、垂直軸が、単なる静止や前後の揺れから、多様な方向の交錯した静止とゆれの中にあるようになるのである。重心は、運動に応じて、腰の面から、足や手の面へも分散される。

 B 両手の独立的な使用を通して、左右のバランスによる運動のコントロールが行われるようになると、姿勢空間では、次のような高次化が起こる。すなわち、手の面の2点(手を置いている場所)のうちの1点に、腰の面から分散された重心を集約し、その重心を、他の1点に移しかえるということが起こるのである。重心の移動が、1方向の場合と往復的な2方向の場合とがある。その問題は、後述する操作空間の構成において、2点の役割が絶対的であるか互換的であるかという問題に関連する。

 b 操作空間の構成

 @ 身体に向かう手の運動から、座位の姿勢で外界に向かう運動が出現するとともに、手の面は、操作空間を構成する場となる。そして、最初に、瞬発的な運動を通して、点としての空間が構成される。この点は、相互に関係づけられることなく、また、身体との間にも、方向性などの関係づけを持っていない。

 A 持続的調節を伴なった運動を通して、運動の方向分化、運動の起点、終点の分化が起こるが、その結果、空間に、運動によってつながれる2点と、その間の方向が構成される。ただし、この2点は、起点終点としての役割と不可分に存在しており、その間の方向は、躯幹に対して絶対的に性格づけられており、遠心的方向か求心的方向に限定されている。

 B 一方の手から他方の手へ物を押しやるというような両手の独立した運動の出現とともに、躯幹に対して遠心的か求心的という性格づけから、一方の手から他方の手の方向へという絶対的な方向づけへと変化する。2点は、起点終点の役割と不可分に存在している。

 C 両手の運動の役割が、右手と左手の間で自由に入れかえられるようになると、運動の起点終点という2点の役割も互換的になり、一方の手から他方の手へという絶対的な方向づけも、互換的になる。ただし、このような2点とその間の方向性は、運動によってつながれており、運動と不可分に存在している。視覚や触覚などの外受容性の感覚によってつながれる点や方向は、これ以降の問題である。

 

 C 視覚による手の運動の統制の始まり

 1 主体の機能

 a 具体的な姿

 @ 視覚は、すでに述べたような寝たきりの状態(U-A参照)の時から、例えば、明暗や、光沢、輝きなどを受容している。だが、それらは、視覚的な実感を伴う刺激ではあるけれども、それ自体は運動を起こすきっかけにはなりにくく、注視や追視を起こす可能性があるにとどまり、受け身的な状況が強いといえる。

 それが、手が外界に向けられるようになる段階(U-B参照)と前後して、運動を引き起こすきっかけをもたらすようになる。つまり、視覚刺激を受容したことによって、口を近づけたり、手でさわろうとしたりする運動が引き起こされるわけである。だが、視覚は、まだ、運動の調節には参加することはない。

 ところで、以上述べた視覚の状況は、その時の姿勢のあり方に強く影響されていることに注意する必要がある。すなわち、目の運動は、首の運動に基づいており、首の運動は、それを支える姿勢に基づいているのである。したがって、寝たきりの状態の方が、視覚的受容は起こりやすく、また、注視や追視を可能にするためには、首の運動とそれを支える姿勢の問題から見ていかねばならない。座位で、注視や追視を可能にするためには、首が安定し、しかも、首の運動を可能にする座位のバランスの柔軟性が必要となるのである。

 A 視覚が運動のきっかけをもたらすようになっても、手の運動を見ないで、むしろ、あえて、手の運動から目を離す状態が起こる。例えば、目の前に物を提示すると、瞬間的にそれを見たあと、目をそらしてから手を伸ばしてくるのである。この時、目をそらすための首の運動は、手の運動のバランスに都合のいいように起こっている。ところが、運動が持続的になり、ぬき取る、引き寄せるなどの運動の力がぬけてくると、しだいに目がそれらの運動を追うようになる。最初は、運動の一部の追視にとどまるが、運動の始めから終わりまで追視でき、目と手の運動が同調的になる。なお、両手を体の前で同じように使う運動(例えば、両手で輪をぬき取るなど)が、姿勢のバランスの関係から頭を前に向けやすいため、このような追視も起こりやすい。

 B こうした状況が安定してきたところで、運動の終点になるところ、例えば、輪をぬき取る棒の先端などに、電球をつけて点滅させるなどの援助をすると、運動を起こす前に、視線が終点に向けられ、その終点の方向に向かって運動が起こされるようになる。さらに、終点に向けられていた視線は、いったん起点にもどってから、運動が開始されるようになり、起点と終点の間の見比べが始まる。

 C 以上の運動では、教材は、例えば、ぬく輪と棒、動かす木片と溝というように、2つの要素から構成されているのだが、両者は、独立した2つの対象であるよりも、いわば、図と地のような関係であった。だが、しだいに、ボールを缶に入れる、輪を棒にはめるといった運動が起こるようになり、独立した2つの対象に対するはたらきかけが始まる。入れる、はめるなどの運動では、その運動の終点への運動は、方向づけられるだけでは不十分であり、行きすぎたら戻すなどの位置づけが必要となる。この時、視線は、起点と終点の見比べだけでなく、運動と終点とを絶えず見比べて、位置の調節を行わなければならないのである。

 b 予測と確認及び調節

 @ 視覚が運動のコントロールに参加せず、また、運動のきっかけも与えない時、予測は、視覚以外の他の感覚によっているが、運動にきっかけを与えるようになると、視覚的な予測が始まる。しかし、始めは、空間関係に基づく予測ではなく、過去の体験によって支えられたものである。姿勢のバランスによるコントロールについては、もっぱら、手の運動のコントロールに関与しており、視線は、その姿勢のバランスに適合するような方向へ向けられるため、手の運動には向けられず、それてしまう。手と目が、協応せず、バラバラな状態である。この時、姿勢のバランスが、対象を注視する目の運動をコントロールするように作られると、今度は、手の運動をコントロールする姿勢のバランスが作られにくくなり、手の運動が起こりにくくなる。感覚による運動のコントロールについてはまだ、起こっていない。

 A 目が手の運動を遣う段階において、予測に関しては、顕著な変化はない。姿勢のバランスによるコントロールに関しては、手に関する姿勢と、目に関する姿勢とが、くいちがいやすいにもかかわらず、それぞれの姿勢のバランスが柔軟性を増し、両者を共に可能にしうる1つのバランスにまとまることによって、手の運動を目が追えるようになっているのである。感覚による運動のコントロールでは、目が手の運動をとらえようとすることが、上のような状況を生むため、結果的に、力をぬくなどのコントロールをすることになっている。

 B 運動の開始前に、視覚がその終点を見ること、さらに、起点と終点とを見比べることによって、予測は、空間的なものになる。ただし、この段階では、終点の方向の予測にとどまっており、位置の予測とはいえない。姿勢のバランスによるコン卜ロールについては、終点の方向を先取りした視覚の運動をコントロールする姿勢の中に含まれた方向性が媒介となって、手の運動に方向性をもたらすことになっている。例えば、右前方に終点がある時、右前方という方向を視覚がとらえることによって姿勢が右前方への構えを持つことになり、その姿勢のもとで、右前方への手の運動が起こるのである。感覚による運動のコントロールについては、上に述べたような姿勢の媒介を経て、視覚が手の運動の方向を先取りするようになる。

 C 2つの独立した対象に対するはたらきかけ(入れる、はめるなど)を通して、予測は、位置の予測となる。缶にボールがはいるというような物理的属性の予測については、過去の体験によるが、位置の予測は、現在の感覚情報であり、過去の体験に対する予測の依存度が減少し、それだけ、予測の自由度が増加している。

 姿勢のバランスによるコントロールについては、終点の位置というものが、終点の方向とその逆方向から規定されるものであることから、次のようなものになる。すなわち、終点の位置を先取りする視覚の運動をコントロールする姿勢は、2つの相互に逆の方向を持つ視覚の運動のバランスをとるため、2つの逆の方向を内在した安定した姿勢となる。そして、その姿勢のもとに、逆の方向を前提とした手の定位的運動が起こるのである。

 感覚による運動のコントロールは、視覚が終点の位置を先取りすることによって、手の運動を位置づけるようになり、いわゆる目と手の協応が、一応の完成を見る。

 2 外界の構成

 a 姿勢空間の構成

 @ 視覚が運動のコントロールに参加する以前は、その運動の水準に応じて、U-B-2-aで述べた姿勢空間が構成されている。

 A 視覚が手の運動を追い始め、互いに同調的になる段階では、@と同様、手の運動に応じた姿勢空間が構成されている。なお、この時視覚が目の運動として参加することにより、垂直軸の静止とゆれの中に、より多様な方向が交錯することとなる。

 B 視覚が手の運動の方向を先取りする段階になると、次のような姿勢空間が構成される。すなわち、視覚が運動の終点の方向を先取りする際、手の面の1点への方向を垂直軸が持ち、その垂直軸が持った方向にもとづいて、手の運動が起こるようになるのである。

 C視覚が手の運動の終点の位置を先取りする段階になると、次のような姿勢空間が構成される。すなわち、視覚が終点の位置を先取りする際、位置は、起点から終点への方向と、その逆の方向とによって規定されるため、垂直軸は、起点から終点への方向と、その逆の方向を持ち、その垂直軸が持った方向にもとづいて手の運動が起こる。

 b 操作空間の構成

 @ 視覚が手の運動のコントロールに参加していない段階では、その運動の水準に応じて、U-B-2-bで述べた操作空間が構成されている。

 A 視覚が、手の運動を追い始め、互いに同調的になる段階になると、空間上の2点が、実際の運動とともに、外受容性感覚によってもつながれることになる。ただし、この2点の性格は、V-B-2-bで述べたように、躯幹や手に対して絶対的な方向づけを持った2点であり、運動の起点と終点の役割が固定した2点である。

 B 視覚が、手の運動の終点の方向を先取りするようになると、空間上の2点が、実際の運動に先立って、外受容性の感覚によってつながれることとなる。起点と終点の間の見比べができるようになるにつれ、躯幹や手に対して絶対的な方向づけを持った2点が、しだいに相対的な方向づけに変化し、起点と終点の役割も互換的になってくる。

 C 視覚が、手の運動の位置を先取りするようになると、次のような空間が構成される。すなわち、終点が、起点から終点への方向と、その逆の方向の2つの方向から規定されることによって、起点からの方向と位置が生まれ、また、起点と終点の役割も互換的となることによって、等価な2点となってくる。こうして、運動を前提にしつつも、外受容性感覚によってつながれた等価な2点の間の方向とその位置が、空間にもたらされる。

 なお、操作空間を構成する上で、重要な順序性は、空間上の3点の問題に付随して出てくるものである。

 

 おわりに

 以上、障害の重い人々と、教育的だかかわりあいを進める上で不可避である問題すなわち、その人々の現状をどのように理解し、さらに、それを人間行動の成りたちの道すじの中に、どのように位置づけていくのか一について、現在の段階で、筆者が持っている仮説的な枠組みを、試論的にまとめてみた。論述にあたって、具体的な事例を、十分に提示することができなかったため、必要以上に、議論が抽象化し、空回りが目立つかもしれないが、これは、筆者の力量不足によるもので、ここに述べた事柄の背後には、数多くの重い障害を持った人々との実践的なかかわりがあるのであって、決して、いたずらに空論を重ねたものではないつもりである。なお、われわれは、従来より、T初期学習、U概念行動の基礎学習、V記号操作の基礎学習という3つの学習の段階を大まかに設定してきた(中島、1977他)が、本稿では、T初期学習と、U概念行動の基礎学習の一部にふれたにとどまっている。

 また、論じきれなかった問題として、先ず第一にあげなければならないのは、立つことと歩くことの問題である。姿勢のバランスの問題や,姿勢空間の問題を整理した中に,その問題への手がかりが存在するのであるが,別に,一節を立てて,整理する必要があった。

 また、視覚に劣らず重要な問題である触覚による運動のコントロールの問題も、残されたままになった。操作空間の構成において、両者は共通する点が多いが、両者の異同を明らかにしきれなかった。他にも、論じきれなかったことは多いが、本稿で論じたことの検討も含め、すべて今後の課題である。

(指導教官井上健治教授)

 

引用文献

中島昭美、1977、人間行動の成りたち─重複障害教育の基本的立場から─重複障害教育研究所研究紀要第1巻第2号。

中島昭美、1984、初期の学習、文部省編『視覚障害児の学習と発達』ぎょうせい。

Umezu, H. 1974  "Formation of verval behavior of deaf-blind children" 

 Proceedings of the 20th International Congress of Psychology.  Sciece Council of Japan.

 

(東京大学教育学部紀要第25巻;1985年)



戻る