注連とは〆と同様結界を意味する。行者は麻糸や紙をより合わせてたたんだ注連縄を身につけて山中の魔障が憑かないようにした。境内には弘法大師がその下で修行したという七五三掛桜が植えられており、平成28年(2016)には日本遺産に認定された。
 江戸時代には出羽三山(→「出羽三山」参照)には「八方七口」と称される七か所の登拝口があった。七口とは、荒沢口、七五三掛口、大網口、岩根沢口、大井沢口、本道寺口、肘折口である。注連寺はそのうちの七五三掛口の宿坊であり、かつては多くの湯殿山行者が訪れ、繁栄を極めていた。
 注連寺の縁起である『亀鏡誌』によると、弘法大師が湯殿山権現を求めて落合(朝日村役場付近)まで来たところ、川が二つに分かれ梵字の流れ来るのを辿って湯殿山のご神体を発見したという伝説がある。
 昭和56年(1981)には境内に「すべての吹きの寄するところ これ月山なり」と森敦の揮毫による文学記念碑が建てられた。