一般家庭の食糧不足は深刻で、鶴岡市(→「鶴岡」参照)内の国民学校(→「学校」参照)児童全員を調査したところ、三食とも普通食を食べていたのは25%、一食は粥か雑炊が50%、三食とも粥または一食抜きが10%だったという例がある。終戦直後の昭和21年(1946)には、米の生産地である庄内に関東、関西から闇米の買い出しが殺到した。横光利一「夜の靴」にもその状況が描かれている。7月1日から5日にかけてヤミ米の一斉取り締まりが行われ、2200俵分の米が押収された。