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逝くものかくのごときかな 昼夜を舎かず
『論語』子罕第九。孔子の言葉。「子在川上日、逝者如斯夫。不舎昼夜」に依る。
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羽越本線
新潟県新津駅から鶴岡(→「鶴岡」参照)、酒田(→「酒田」参照)を経由して秋田駅に至るJRの幹線。大正13年(1924)7月に全線が開通した。
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庄内平野
山形県北西部の沖積平野で、平坦地としては県内最大。近世初期から水田化が進み、日本有数の米作地帯となる。
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荒倉山
鶴岡市(→「鶴岡」参照)の南西部にある山。標高307m。東麓には荒倉神社がある。
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高館山
鶴岡市(→「鶴岡」参照)中心部から加茂港に向かう国道112号(加茂街道)沿いにある山。標高273.2m。
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西目
庄内平野(→「庄内平野」参照)の西端に位置する地域。明治9年(1878)、上京田・金山・山口・竹野浦・草井谷の五村が合併して西目村となる。
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大山
庄内平野(→「庄内平野」参照)の西部、高館山(→「高館山」参照)の東南山麓に位置する地域。江戸中期から酒造業が発達し、加茂港から沖出しされた。
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西の羽黒
鶴岡市(→「鶴岡」参照)上郷山口地区、あるいは荒倉山(荒倉神社)(→「荒倉山」参照)一帯のこと。
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武藤家
鎌倉時代から戦国時代まで庄内一円を治めていた一族。大宝寺氏ともいう。羽黒山別当を兼務していた。
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羽黒
庄内平野(→「庄内平野」参照)の南東に位置する地域。羽黒町の東北部には出羽神社を有する羽黒山がある。
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月山
山形県のほぼ中央にある霊峰。標高1979.5m。臥牛山・犂牛山とも称した。
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鳥海山
山形と秋田県境に位置する火山。標高2237m。出羽富士とも呼ばれる。
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鶴岡
庄内平野(→「庄内平野」参照)の南部を占める地域。北は最上川を挟んで酒田市(→「酒田」参照)に面する。江戸時代、酒井氏の城下町となった。現在でも、城跡周辺には市役所などの重要施設が集まり、市政の中心となっている。
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酒田
庄内平野(→「庄内平野」参照)の北部を占める地域。南は最上川を挟んで鶴岡市(→「鶴岡」参照)に面する。江戸時代に北前船(→「北前船」参照)の寄港地として大きく発展し、本間家等の多くの豪商が誕生した。
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加茂
高館山(→「高館山」参照)の西麓に位置する地域。南東の加茂丘陵を越えて加茂街道が大山(→「大山」参照)に通ずる。商業港・漁港として発展した加茂港を有する。
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北前船
北国船の上方での呼び名。(→「北国船」参照)
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北国船
中世から近世にかけて日本海海運の主力として活躍した船。(→「北前船」参照)
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庄内平野の富豪五人
本間光彌、風間幸右衛門、秋野光江、本間光次、佐藤善兵衛。(明治36年(1903)当時)。
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加茂坂
加茂(→「加茂」参照)と大山(→「大山」参照)との間の約3㎞を最短距離で結ぶ道。標高約150m。明治4年(1871)に完成した。
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由良
庄内平野(→「庄内平野」参照)の西部、日本海に面した地域。羽黒山の開祖蜂子皇子が上陸したとされる八乙女の巌窟がある。漁港の他、海水浴場としても知られている。
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湯野浜
庄内平野(→「庄内平野」参照)の西部、日本海に面した温泉地。庄内三湯の一つ。明治22年(1889)、加茂(→「加茂」参照)に通じる海岸道路が開通し、活況を呈した。
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鉄門海上人
(1759(1768)〜1830)。江戸後期の僧。俗名、砂田鉄。20代の頃、人を殺した後、出羽の真言宗注連寺(→「注連寺」参照)の一世行人となった。即身仏として注連寺に祀られている。
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鉄龍海上人
(?〜1881)。江戸後期から明治前期の僧。俗名、進藤勇吉。16歳のとき人を殺した後、放浪のすえ出羽の真言宗南岳寺の一世行人となった。鉄門海が行った加茂坂(→「加茂坂」参照)の改修工事を引き継ぎ、近道の開削を行った。即身仏として南岳寺に祀られている。
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三島通庸
(1835〜1888)。明治時代の官僚。もと薩摩藩士。享年54歳。酒田(→「酒田」参照)、鶴岡(→「鶴岡」参照)、山形、福島、栃木の県令をつとめた。各地で道路、学校、庁舎などの建設を時に強行に推進したため「鬼県令」といわれた。
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あねま屋
遊女屋。遊女屋は遊女を抱えおき、客と遊ばせる店のこと。多くの遊女屋が集まっている地域を遊廓という。江戸時代の遊廓は公家、武家、町人の有力者が集まる高級な社交場でもあり、多くの新しい文化が創造される源泉ともなった。しかし明治以降になると、そうした側面は失われていった。(→「われ逝くもののごとく」の風景ページ参照)
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花柳病に特効のある漢方薬
梅毒などの性感染症の治療薬。主に山帰来、黄茯、三ツ星等が用いられた。
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サキ
モデル不明。
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木端葺
屋根に木の切れ端でおおいを作ること。
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じさま
モデル不明。森敦のエッセイや書翰等からも推定不能。(→「荒又甚左衛門」参照)
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ばさま
モデル不明。森敦のエッセイや書翰等からも推定不能。(→「荒又加代」参照)
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サキのだだ
モデル不明。森敦のエッセイや書翰等からも推定不能。(→「荒又恒太」参照)
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がが
モデル不明。森敦のエッセイや書翰等からも推定不能。(→「荒又信江」参照)
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背負い商い
港で揚がった魚を女性たちが売り歩くこと。加茂(→「加茂」参照)辺りでは「ガンガラ部隊」と呼ばれた。
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浜のあば
魚を得意先などに売り歩く行商の女性のこと。昭和19年(1944)5月、鮮魚類を統制物資とするため「山形県海産物配給統制組合」が発足した。それにともない、あばは行商をやめ「鮮魚配給担当員」となり、沿岸の魚取扱所から平野部の農協などの指定された場所に届ける役割を担った。
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竈
煮炊きをする設備。周りを土などで囲み、下から火を焚き、上に鍋や釜をかける。
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框
玄関の上がり口、床の間、縁側など床の高さが変わるところにわたす化粧材。
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地下足袋
指が親指と残りの二股に分かれている作業労働用の足袋のこと。ゴム底でできている。
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ハゼ
庄内方言で、小鉤・鞐のこと。足袋などの合わせ目につける爪形の留具。
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横座
囲炉裡に沿って横長に敷物が敷いてある奥正面。家長の座る場所。
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アブラコ
アイナメ科の魚、クジメのこと。岩礁域に生息し、庄内浜での磯釣りでは一年を通して釣れる魚の一つ。
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赤い鳥居を立てた祠
鉄門海上人(→「鉄門海上人」参照)が開削した新道口にある稲荷神社。鳥居の脇には、鉄門海上人の碑がある。
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験
仏道の修行によって現れたしるし。修験者の行う加持祈禱の効果。
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真言
特に密教における仏の真実の言葉。あるいは真言宗の略。
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貫
尺貫法の目方の単位。一貫は3.75kg。
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搔い巻き
上掛けにする寝具の一種。袖と衿がついているため、布団と比べ肩先や首筋が温かく、保温性に優れている。
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ベンケイ縄
藁束に細縄の網をかぶせた道具。焼き魚などを串刺し保存食を作るために、囲炉裏の上につるした。衣川の合戦で、弁慶が義経をかばうために敵の攻撃を全身で受けて立ったまま死んだという伝説が由来ともいう。
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北洋
一般に北の海をさし、狭義には太平洋の北西部のベーリング海とオホーツク海とをさす。
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学校
昭和10年代後半、太平洋戦争末期の国民学校。義務教育年限は8年、初等科6年、高等科2年。当時、教育が総力戦体制に組み込まれていくなかで、軍事主義的な教材が増加し、日本が他国より優越しているという観念や、神国観念が強調された。