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千人針の腹巻き
女性達が一枚の布に赤糸で一針ずつ縫って千個の結び目を拵えたもの。これを肌身につけて戦争に赴けば、戦苦を免れ無事に帰還することができると信じられていた。日清(→「日清戦争」参照)・日露戦争(→「日露戦争」参照)のころ始まり、日中戦争以降盛んになった。
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日章旗
日の丸の旗のこと。明治3年(1870)の太政官布告で制定された。太政官布告では日本の商船が掲げるべき旗とされ、のち国旗として用いられるようになるのは、平成11年(1999)、「国旗及び国家に関する法律」が成立による。
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上海
秋野庸太郎と推定。鶴岡市(→「鶴岡」参照)加茂(→「加茂」参照)の生まれ。秋野家は庄内地方の大地主として「所得税一覧」などの資料にも名が見られる。 (→「庄内の富豪五人」参照) (→「「われ逝くもののごとく」の風景ページ参照)
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ゲッパオジ
庄内方言で、末っ子の男児を指す。「ゲッパ」は最下位、「オジ」は次男以下の弟の意。
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陸軍少佐
軍隊階級の一つ。陸軍で中佐の下、大尉の上に値する最下級の佐官であり、定限年齢は50歳であった。しかし、日清戦争後(→「日清戦争」参照)の増員、大正軍縮が原因で定限までいた軍人は少数であり、多くは定限前に退役した。 (→以下の図表も参照。)
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バタ臭い
西洋を思わせる雰囲気やイメージのこと。バターの風味、匂いに由来するという。
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真っ黒な苦い液体
コーヒーのこと。コーヒーは、20世紀前半まで都市文化とともに結びついた飲み物であり、西洋料理店やホテルといった公の施設でモダンさを強調するものとして普及した。
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軍帽
軍人が軍服着用の際にかぶる帽子。明治39年(1906)から陸軍は主にキャップ型を着用していた。儀礼用(正帽)と戦闘用(略帽)がある。正帽を着用する際には、胸に勲章・徽章をつける。
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カイゼル髭
ドイツ皇帝ウィルヘルム二世(在位1888─1918)の口髭の両端が上へはねあがっていたところから、日本ではドイツ皇帝の称号である「カイゼル」にちなんで、この格好の口髭を「カイゼル髭」といった。大正時代に流行した。
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ハンチング
鳥打帽。スポーツ・キャップの一種。素材はツイードやフェルト、レザーなど各種のものが使われている。上流階級のスポーツ用から労働者の日常、普段用として、とくに1930年ごろに盛んに用いられた。
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チェックの服
直角に交差する何本もの線によって作られた格子柄の服。明治初期からヨーロッパの中でもとくにイギリスの服飾が輸入され日本で流行した。
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軍服
正規軍人の着用する制服。敵味方や非戦闘員との識別、軍隊団結の象徴などを目的とし、機能性、耐久性を重視する。
階級身分、兵科、季節、地域などによってそれぞれ区分される。近代正規軍では儀礼用(正装)、日常用(軍装)、訓練・演習・戦闘に着用する戦闘用(略装)と区別するようになった。儀礼用の場合には、勲章・徽章を胸につけ、正帽をかぶる。 -
荒又甚左衛門
サキのじさまの本名。(→「じさま」参照)
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荒又加代
サキのばさまの本名。(→「ばさま」参照)
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荒又信江
サキのががの本名。(→「がが」参照)
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荒又恒太
サキのだだの本名。(→「サキのだだ」参照)
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戦闘帽
第二次世界大戦中、国民服(→「国民服」参照)着用の際にかぶったカーキ色の帽子。もとは日本陸軍が実戦・訓練時に用いる略式の帽子を指した。昭和15年(1940)11月に国民服令が施行された後、民間でもこの型が用いられるようになった。
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国民服
第二次世界大戦中に着用された男子の服装。昭和15年(1940)11月1日公布施行の国民服令で制定された。甲号と乙号の二種がある。色は国防色のカーキ色で、上衣、中衣(シャツ)、袴(ズボン)、帽子(→「戦闘帽」参照)、外套、手套、靴で構成されている。ネクタイを排除し、中衣でワイシャツ、チョッキを兼ねた点が特徴とされる。戦時中は官吏や教員を手始めに広く普及したが、敗戦後は着られなくなった。
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奉公袋
召集の際に兵士が持参する木綿製の袋。在郷軍人が召集された時にあわてないように準備した袋で、常日頃からこれを用意しておくのがたしなみとされていた。内容は、軍隊手帳、召集令状、勲章、記章、適正証書、貯金通帳、名札、印鑑など。「奉公袋」とは陸軍の呼称で、海軍では「応召袋」といった。
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羅紗
羊毛で厚手の紡毛織物の一種。室町末期頃から江戸時代を通じてオランダや中国の貿易船から輸入された。当時は陣羽織などの武家装束に使われ、庶民は着用を禁止された。明治以降は国内生産が始まり、官服や軍服に利用された。
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スフ
ステープル・ファイバーの略。化学繊維でつくった紡績用の短繊維。人造絹糸(レーヨン)が、そのままですでに長い連続した糸の形をとっているのに対し、ステープル・ファイバーは短く切断された形の繊維で、これを紡績してはじめて長い糸を構成する。そのため、木綿や羊毛と混紡して糸にできる特徴がある。日本では、満州事変や国際連盟の脱退によって原料自給の必要性が痛感されたことから、輸入に頼っていた綿や羊毛の代用として生産が本格化した。
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サーベル
オランダ語で洋式刀のこと。片刃で先が尖り、刀身にややそりがある細身のもの。原型はサラセンの海賊の武器で、それが変形した長剣が、14世紀以来ドイツ地方で用いられていた。1670年にフランスで騎兵用の武器として採用されてから、ヨーロッパ各国に普及し、騎兵隊の武器、および高級軍人の礼装用などで使われるようになった。日本では、日本刀より軽量で片手で扱えるという理由で、明治時代に指揮刀・騎兵刀として採用された。明治15年(1882)からは警察官も携帯していたが、第二次世界対戦後廃止された。現在では自衛隊の礼式用に使われている。
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拍車のついた長靴
乗馬用の軍靴と推定。日本軍では、黒や茶の革製で硬い筒型の頑丈なものが多く着用された。かかとに取りつけられた拍車は、先端に歯車がついた金具で、馬のわき腹に刺激を与え、馬の速度などを操るのに用いられた。
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国防婦人会
軍国主義的婦人団体。昭和7年(1932)大阪で結成された。割烹着を着て集合した。同年末、大日本国防婦人会として全国組織に発展する。出征兵士の送迎、傷病兵・遺骨の出迎えなどを行った。以後、昭和17年(1942)に愛国婦人会、大日本連合婦人会とともに、大日本婦人会に統合された。
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勝ってくるぞと勇ましく 誓って家を出たからにゃ
軍歌「露営の歌」の歌いだしの一節。作詞藪内喜一郎、作曲古関裕而。昭和12年(1937)に「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」(現「毎日新聞」)が「進軍の歌」の歌詞を公募し、二等に入選した藪内喜一郎の歌詞作品に、古関裕而が曲を付け、北原白秋や菊池寛らが「露営の歌」と題した。発売から僅か半年で60万枚のレコードを売り上げ、大ヒット曲となった。
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女が乙まけ男が喜ぶ
現地調査では未詳。「乙まける(おづまげる)」は庄内地方の方言で、「利いた風なことをする」「おしゃれをする」「ちょっといいふりをする」の意。
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セー(清蔵)さん
「親方」の名前、呼び名。(→「親方」参照)
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お玉
加茂(→「加茂」参照)の吉川屋にいたお駒と推定。
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モンペ
袴の形をした下衣、作業着のこと。東北地方などでは防寒着を兼ねて用いられた。
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龍神様のお札
善宝寺で祈祷を受けた後に授与される龍神様の御尊体。
(→「善宝寺」参照)
(→「龍神」参照) -
加茂坂トンネル
加茂坂に敷設されている隧道のこと。(→「加茂坂」参照)
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柏手
神を拝する時に手を打ち鳴らすこと。「平手(ひらで)」「開手(ひらで)」「拍手(はくしゅ)」ともいう。古来は日常生活の中で感激、歓喜などの感情を表現する行為であったのが、儀礼にまで高まったとされる。