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森敦作品の風景

森敦作品の風景


 森敦の作品は森敦自身の〈放浪〉と深い関連性を持っています。尾鷲や弥彦もそうですが、とくに庄内平野は、芥川賞受賞作「月山」をはじめ「われ逝くもののごとく」などの作品の舞台として非常に重要な地となっています。
 これらの地は実際に訪れることができます。森敦自身〈放浪〉の際実際にそこに暮らしていました。したがって、森敦作品の多くは彼の実体験にもとづいて書かれていると捉えることができます。しかし、小説作品は本来的に虚構すなわちフィクションであり、その地を具体的に知らなくても読むことは可能です。その意味ではイメージで十分でしょう。同様に、作品の舞台になった地もまた、舞台になろうとなるまいと関係なく、その地自体がリアルであり、確実に存在します。としますと、作品の舞台という捉え方は、フィクションとリアルの両方を含んでいることになります。それぞれが独自に成立しつつも、フィクションがリアルを、リアルがフィクションを、と相互の関係を見出すことが必要になってきます。
 見方を換えますと、リアルである地がフィクションである作品の舞台として成立するのは、作品の本文が必要になります。どのように説明され、登場人物たちはそこでどのように暮らしているか。この問いを前提にして、実際にかの地を訪れたとき、リアルなその地は、本文によって、意味を帯びた見方がなされます。ただ観光で行き、その土地を愛でる見方とは明らかに違っています。したがって、その地を実際に踏みながら、見ようとしているのは、その地の固有性に感性を委ねつつも、フィクションである言語の意味であり、それは実はここだけれども、ここではないのです。いわば、言語風景です。
 ただし、現地に身を置くときの圧倒的なリアリティの体験によって、フィクションの意味だけが見えることはありません。圧倒的なリアリティは、フィクションとしてだけ受けとめていたイメージの粗描を、細部にいたるまで徹底的に埋め尽くしてしまいます。したがって、現地を訪れ、リアリティを得れば、リアルがあるからこそフィクションも成り立つということがはっきりします。少なくとも森敦作品の言語風景は、それが間違いなく指摘できます。
 森敦の文学理論「意味の変容」の内部+境界+外部=全体概念という論理式は、「森敦作品の地図」ページでも触れている通り、境界があって、内部・外部が同時に存在することを示しています。リアル/フィクションは本文を境界として成り立つと言ってもよいでしょう。
 森敦作品を読んだら、その舞台となった地を訪れてみたくなります。現地に行くこと、それは作品の舞台の体験ですが、同時に「意味の変容」理論の体験にもなります。それも全身を使って、リアリティに満ちながら、どこにも記していない論理を風景に感得します。研究会で行ってきた現地踏査は、その感得の体験でした。森敦は言っています。「現実を実現化する」と。現地踏査で得た知見によって作品の風景を描くこと、その「実現」を試みます。
 

「われ逝くもののごとく」の風景

 「われ逝くもののごとく」は庄内平野のほぼ全域を舞台とし、登場人物がその各地を訪れることで物語が展開していきます。その起点は加茂であり、北限は吹浦になります。物語の起点ということには、2つの意味があります。1つは、文字通り物語の最初の舞台であるということ、もう1つは、「意味の変容」理論に表れていた円周の中心ということです。

鳥海山

 「森敦作品の地図」ページで考察を試みましたように、加茂から吹浦までを半径とした円周内に、物語に登場する地はすべて収まっています。つまり、円周内に収まる庄内平野は、森敦の文学理論「意味の変容」によれば、内部となります。では、外部はと言うと、円周外に位置する鳥海山になります。物語内でサキは言っています。
「鳥海山はどこさ行ったんでろ。おらたしか、鳥海山はだんだん近寄って来ると思うたがの」
 この台詞の通り、「われ逝くもののごとく」では、鳥海山は遙か遠くに望む山であり、近づいたと思ってもたどり着けないのです。
 以上、2つの意味をもっているのが、起点としての加茂なのです。
 
※「われ逝くもののごとく」の「風景」については、取材資料の精査、「森敦作品の地図」ページとの整合性の検討を経て後、新しい「風景」を追加していく予定です。更新履歴でお知らせいたします。

起点としての加茂
羽越本線 ~時間という道路~
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