湯殿山(→「湯殿山」参照)の仙人沢(→「仙人沢」参照)で修行を行い、木食行者として各地で衆生救済を行った。文化9年(1812)、加茂の商人たちのために加茂坂の新道を開削した。(→「加茂坂」参照)その後も、入滅までの約40年間東日本各地で社会事業に尽くし、奥羽一帯から江戸や越後、蝦夷地まで布教活動を行った。71歳にて入滅。