おはらいの文化史 祓の歴史(概要)


ホーム » トピック解説 » 祓の歴史(概要)


祓の歴史(概要)

 古代では、「祓」というと、罪や穢を除く儀式を指すことが多い。祓はさまざまな人々が行っており、政治をつかさどる朝廷でも「大祓」おおはらえという祓を行っていた。これらの祓においては、人々が道具を用いて罪や穢を除去するしぐさをし、祓をつかさどる神々に願いを込めていたようである。この神々への祈願は、大祓でも重んじられ、祓の必要性や仕組みを説く「大祓詞」おおはらえのことばは参列した人々の前で読み上げられ、その文章も時の法制書に記された。そのため多くの人々が、祓が神道の神々によってなされるものであることを理解することができた。この大祓は、後の時代の祓に大きな影響を及ぼすことになる。

 中世には、僧侶・陰陽師おんみょうじ・神職を中心とする宗教者たちが、大祓詞と密接に関連する祭文である「中臣祓(中臣祭文)」なかとみのはらえ(なかとみのさいもん)を用いて祓を行っていた。僧侶は、陰陽師たちの行事をとり入れて祓を自らの行事に用い、「中臣祓」の意味を自分たちの知識を用いて解釈しようとした。神職たちも、他の宗教者の影響をうけながら、中臣祓を基本に、祓の詞や行い方の研究を進めた。その成果に基づき、彼らも独自の作法を作り出して人々の願いに応えるとともに、その知識をほかの神職に伝えたり、広めたりしていた。

 近世になると、多くの学者が、祓を神々のなせるわざととらえ、その効用や仕組みについて考えるようになる。彼らは祓を特に重要な儀式と見ていたようで、それぞれの祓の考え方には、そのもととなる神道自体のとらえ方が影響している。また、人々の祈願にも祓はよく用いられた。その祈願の内容は病気直しや先祖の供養など、身近なものであった。人々の生活に祓は根付いていたようである。

 近代、神社のまつりの制度を定めたときには、古代の大祓を強く意識しながらも、従来の祓の方法や効能にも配慮していた。つまるところ、祓が古代以来の形態や精神を受け継ぎつつも、人々のなかで多様なかたちで浸透していた結果が、近代のはらえのかたちだったのである。この祓については、神道の近代的な研究発信を推進していた皇典講究所こうてんこうきゅうしょ・國學院においては一貫した研究対象となっており、本学に関わった研究者が『大祓詞註釈大成』おおはらえのことばちゅうしゃくたいせい『吉田叢書 中臣秡・中臣秡抄』よしだそうしょ なかとみのはらえ・なかとみのはらえしょう、『神道大系 中臣祓註釈』を編纂するなど、その研究成果を世に問いつつ、現代にいたっているのである。

このページの冒頭へ

神道史・祓の歴史年表

神道史・祓の歴史年表

このページの冒頭へ


Copyright© Research Center for Traditional Culture, Kokugakuin University 2010-2011 All Rights Reserved.

お問い合わせ