図巻「隅田川」は、風景を実写しているのか?
鎌田氏は、浮世絵の風景画をたくさん所有しているので、それから判断して、図巻「隅田川」は江戸時代の実際の風景を描いてないと、次のように指摘しています。
この絵は嘘をついていると思いました。北斎や広重は多数の墨田川河岸の橋のある風景を数多く版画で残しています。その風景は、生活感や情緒が表現され、とくに江戸時代にタイムスリップさせてくれるような生の臨場感を描ききっています。これは、現場スケッチをもとに描いたからだと思います。この墨田区購入の作品は、特に、向こう岸の民家や林の風景は、架空の世界が描かれていると思いました。だから、ふざけないで---と思いました。あの広重が長年、描きためた[絵本江戸土産]のスケッチ帳などをもとに描いた[名所江戸百景]の版画シリーズなどの絵の特質は、現場の臨場感だと思います。だから、江戸情緒に郷愁さえ感じ、世界の人を魅了するのだと思います。
これに対して、日経記事において、宮川編集委員は、本図巻は実景を描いており、そこからは、北斎の「郷土への深い思いも見えてくる」と絶賛しています。鎌田氏と日経記事のどちらが説得力を持つでしょうか。浮世絵のいくつかを示しながら、私の疑問を提示しておきます。
本図巻では、両国橋の手前に帆船が描かれています。実際には、帆船は、永代橋より上流の隅田川をさかのぼれなかったのです。下記の絵は、春潮が天明期に描いたと思われる両国の絵です。その絵では、茶屋で休む女が描かれています。隅田川に浮かぶ船は、いずれも小舟か屋根が低い舟です。帆船が、両国橋の下を通って上流に向かうということはありえなかったのです。
日経記事は、北斎が郷土愛から描いた場面の例として、「魚売りの男が、てんびん棒を手に、馬を引く男と言葉を交わしている。てんびん棒の下のざるの中には、青々としたカツオらしき魚が見える」と指摘しています。江戸の魚売りは、早朝に、日本橋のたもとの魚市場で魚を仕入れていました。氷は貴重品でしたので、魚売りは、ざるの中に氷をいれることはできません。そこで、魚売りは、仕入れるとすぐに町中を駆けずり回り、鮮度が落ちないうちに、魚を売りさばいていたのです。それですから、本図巻で描かれているように、カツオを持った魚売りが、馬を引く男とのんびり立ち話をすることはありえないのです。
本図では、両国橋の手前の台東区側の土手道は、馬を引く男などが使う生活道路のように描いています。しかし、実際には、広重の夕涼みの絵で描かれているように、土手の道は人々の散歩道であり、春潮が描いているように、ところどころに茶屋があったのです。また、土手に沿って、料亭が立ち並んでいたのです。
ところで、隅田川の向かいの墨田区側の風景は、どうだったのでしょうか。本図巻では、両国橋の向こう側は、雲で隠していて、きちんと描いていません。日本画家は、近景と遠景を描き分けるとき、その間に、雲を描いています。本図は、その手法を用いたのかもしれません。しかし、隅田川の対岸は遠景ではありませんので、浮世絵師は、隅田川の対岸を雲で隠すようなことをしていません。隅田川対岸の景色をよく示しているのが、栄之の舟遊びの5枚続きの下の絵です。この絵でも、広重の夕涼みの絵でも、両国橋の近くに運河があり、その先には、林が描かれています。本図巻では、このような特徴的な景色を描いていないのです。
以上のように考えると、本図巻は、北斎が1805年に描いたというのではなく、酒井氏が指摘しているように、明治時代の絵師が、江戸時代を想像して、隅田川の沿岸の景色を描いたといえるでしょう。(2015年4月5日 記)
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