大阪地検特捜部の不祥事
郵便不正事件に絡んで、大阪地検特捜部の主任検事が、2010年9月21日に証拠隠滅の嫌疑で逮捕されました。その後、彼の上司であった前特捜部長と前特捜副部長が、彼のデータ改ざん行為を隠蔽したとして、同年10月1日に犯人隠避の嫌疑で逮捕されました。この事件は、検察の信頼を根底から失墜させるものとされ、現在、検察の在り方についての議論が沸騰しています。
人権意識の希薄化
この事態を招いた根幹には、検事たちの人権意識の希薄化があります。第二次大戦の後に、新しい憲法や刑事訴訟法が制定されて、刑事被告人の人権尊重の思想が強調されるようになりました。大学の法学部でも、民主化の息吹の中で、教員はその思想を学生に熱心に教えていました。このような教育を受けて法曹界に入った人は、強い人権意識を持つようになったのです。しかし、最近では、世界的な保守化の風潮の中で、日本でも人権尊重を揶揄する人々が現れています。また、1990年後半以降は、犯罪被害者が「加害者の人権は保障されすぎているのに対して、自分たちは刑事司法において権利が保障されていない」と主張するようになって、被疑者や被告人の人権を尊重することへの批判が出るようになっています。
このような風潮の中で、大学の法学部の教員たちも、人権尊重思想に重きを置かないようになっています。彼らは、法体系や判例の論理的整合性の研究に没頭するようになっているのです。また、法曹界を目指す若者は、最高裁の判例が正解であるとして、それを鵜呑みにするようになっています。以前のように、人権という価値観に基づいて判例を批判するようなことは、見られなくなっているのです。
人権尊重思想を教育されなかった検事の仕事ぶり
このような教育を受けた若者が、司法修習時代に優秀な成績を収めたとして検事に任官されたらどうなるでしょうか。彼らは、被疑者や被告人の人権尊重という視点を欠落して、治安維持という職責を合目的に追求することになります。そして、目的追求のためには、手段を選ばずということになり、極端な場合には、違法な行為までも行うことになるのです。つまり、今回の事件の主任検事に見られるように、入手した証拠を偽造してまでも、被告人を有罪に追い込むことになるのです。主任検事が、データ改ざんという違法行為を行ったのは、このような合目的思考のためだったのではかないでしょうか。もしそうであるならば、被疑者や被告人の人権を尊重したうえで、治安維持という職責を果たすよう、検事を教育しなおすことが必要でしょう。
疑いをかけた人を有罪に追い込む仕組み
日本の捜査機関は、疑わしい人は絶対に逃がさないという姿勢で、捜査を行っています。そのために、筋読みをして、裁判官に納得してもらえるような物語を作成することを心がけます。被疑者を尋問する際には、自分たちで筋書きを作って、それに沿う自白を引き出そうとするのです。きちんと収集して分析した証拠に基づいて尋問するというよりも、長時間の厳しい尋問を行うことになります。それは、精神的拷問といえるものです。
捜査を担当する検察官は、警察の捜査結果をチェックするために、再度、被疑者を取り調べますが、その際、警察からの調べの内容に疑問を提起することは少なく、その筋書きを単に引き継ぐ傾向にあります(特捜の場合には、自らの筋書きに沿って捜査した結果は、高検や最高検によってチェックされるだけです。今回の事件では、このシステムの問題点が浮き彫りにされたのです)。
調書裁判と裁判員制度
裁判官は、員面調書(司法警察員の面前で作成された調書)と検面調書(検察官の面前で作成された調書)との二つで同じような内容が書かれていると、法廷の場で、被告人が取り調べのときと違う証言をしても、裁判官は、その証言よりも、検面調書を信用してしまうのです。裁判員制度は、調書裁判のこのような弊害を是正する機能を担うことが期待されています。
取調べの可視化の問題
捜査の在り方については、自白への依存をどう克服するかが、問題となっています。強引な尋問や誘導による尋問による冤罪を防止するために、取り調べの可視化が提唱されるようになっています。それに対して、警察や検察の側からは、可視化が行われれば、自白がとりづらくなり、犯罪を犯した人を見逃すことになると主張されています。見逃すという弊害を克服するには、アメリカのように、おとり捜査、傍聴による捜査、司法取引といった手法の導入が必要になるかもしれません。
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