国学院大学法学部横山実ゼミ


Martin Wrightの「修復司法」の理念(1)


(この随筆は、中央大学犯罪科学研究会の機関誌から転載しました。)

横 山 実

 私は、昭和38年から4年間、中央大学犯罪科学研究会に在籍した。入会した時、樫田先生は、病気療養中であったので、犯研の会長の座を、那須先生に譲られた。そこで、私が在籍した時の犯研は、犯罪学、刑事政策、刑法だけでなく、社会学的視点から犯罪現象を捉えたり、また、社会調査の手法を用いて、実態調査を行うようになったのである。

 当時の犯研では、機関誌「犯罪科学」と随筆集「朔風」を発行していた。それらは、いずれも、大学紛争の激化に伴って、発行されなくなってしまった。今回、久しぶりに機関誌「犯罪科学」を発行するという。「犯罪科学」には、犯研のゼミ活動や実態調査の成果を、掲載したものである。そこで、今回は、犯研で研究に励んでいる後輩の学生のために、Martin Wrightさんの論文に基づいて、「修復司法(restorative justice)」について書くことにする。

 私がライトさんと初めて会ったのは、1993年で、ブタペストで開かれた国際犯罪会議においてであった。ブタペストのエトワシュ・ローランド大学のヴィーグ教授を通して、ライトさんと知り合ったのである。彼とは、その後、文通を続け、論文を交換し合っている。彼は、当初、刑罰改革ハワード連盟のディレクターとして、刑事司法システムの改革のためにキャンペーン活動をしていた。私と会った1993年当時には、犯罪被害者救済の民間組織であるVictim Supportのために働いていた。私がロンドンを訪れた1996年には、既にVictim Supportを去り、犯罪の被害者と加害者との仲裁活動に関与するようになっていた。

 ライトさんは、今、自分が住んでいる南ロンドンで、犯罪の被害者と加害者のボランティア仲裁人として働いている。全英仲裁協会(Mediation UK)の執行委員会のメンバーであるとともに、Sussex大学の法研究センターで客員研究員として、研究にも携わっている。しばしば国際会議でも報告しており、イギリスにおける修復司法の代表的な推進者と見なされている。

イギリスの人形( Doll in England)

 ライトさんは、European Journal of Crime, Criminal Law and Criminal Justice6巻3号(1998年)に掲載された論文を私に送ってくれた。その論文のタイトルは、「修復司法:刑罰から修復へ・・ソーシャル・ワーカーの役割」である。ソーシャルワークの訓練を受けた実務家らしく、ライトさんは、その論文で、読者に修復司法を具体的に理解してもらうために、事例を二つ紹介している。その事例とは、以下のようなものである。

事例1 22歳の男性のケース

 被害者のリリアンさんは、一人暮らしの81歳の老人であった。加害者の男性が家に侵入したとき、彼女は家にいた。彼女は、ちょうど持ちあわせていた17ポンド(約3000円)を、取られないようにと、握りしめていた。加害者は、それを強奪したので、その時に、彼女の指の爪のいくつが傷ついた。その出来事は、リリアンさんの気持ちを動転させるものであった。なぜならば、2年前に彼女の夫が亡くなった直後に、同じような出来事に遭い、多額の金が盗まれていたからである。

 リリアンさんは、地方新聞を読んで、犯罪被害者・加害者仲裁サービスについて知っていた。そこで、22歳の男性が容疑者として逮捕されたと、警察から知らされた後、自分で犯罪被害者・加害者サービスと連絡をとった。彼女は、加害者と直接会って、自分が怒り、傷ついていることを話したいと思っていた。彼と会えば、事件からの悪夢を忘れることが出来ると思っていた。犯罪被害者・加害者仲裁サービスは、加害者との会合を、彼が拘禁されている拘置所の中で設定した。

会合で、リリアンさんは、二つの事件によって、自分が受刑者のように家に閉じこめられてしまったこと、つまり、扉や窓を開けたままに出来なくなってしまったことを、加害者に話した。加害者は詫びて、自分は薬物の影響の下で犯行に及んだと述べた。リリアンさんへの強奪事件の前に、彼の母親は、彼を助けようと試みていたが、それが気に入らず、母親の顔を手で殴ってしまっていた。加害者は、リリアンさんの話を聞いて、今では、母親を傷つけたのを遺憾に思っていると述べた。

彼は、リリアンさんに損害を償う金を持っていなかった。リリアンさんは、金銭的な償いを期待していなかった。その代わり、加害者に、薬物中毒者に対する矯正プログラムを受けるようにと、提案した。彼は、それに同意した。その後、加害者は、3年の拘禁刑を宣告されて服役した。刑務所の中で薬物矯正プログラムが提供されたかどうかは、わかっていない。しかし、彼が刑務所から慈善的な行いをしていることを、聞いている。加害者が語ったところによると、リリアンさんとの会合で得た経験は、自分の生活とこれから進むべき道を、見つめさせてくれたという。他方で、リリアンさんは、犯罪者一般の置かれている地位に同情を示し、機会の喪失と失業が、彼らの犯罪に寄与しているかもしれないと考えた。

事例2 16歳の男子のケース

 ペータは、16歳の高校生であった。彼は、学校の授業の後、店で受け取った金を数えて、それを銀行に持っていくことを任されていた。ある日、彼が縛られて床に寝かせられているのを、発見された。金を入れておく引き出しは、開かれており、金はなくなっていた。彼が語るところによると、4、5人の少年ギャングが店にやってきて、彼を縛り、金を奪ったという。

しかし、質問されると、彼は、その物語を変えてしまった。なぜならば、他の誰もが、事件が起きたとき、4、5人の少年が店に入ったのを見たと、記憶していなかったからである。また、引き出しには、他の誰の指紋も、見いだされなかったからである。結局、「強盗」は、自分とサム(17歳の彼の友人)で仕組んだものであることを、告白した。ペータは、自分がまだ使わずに手元に残していた金を、店の経営者の女性に返した。裁判所は、彼を保護観察に付し、被害者・加害者の仲裁会合を持つのが適切であるか、評価することにした。評価項目としては、「被害者の女性は、ペータと会うことを望んでいるか」「ペータは、よろこんで彼女に会うのか」「両者が仲裁の過程に入るのは、精神的、また、情緒的に可能であるか」が、挙げられる。

 被害者の女性は、ペータと話すことを望んだ。なぜならば、まだ、いくつかの疑問が、答えられていなかったからである。ペータの親は、会合を持つことに同意した。しかし、サムの親は、それを拒否した。

会合には、被害者、ペータ、彼の両親および2人の仲裁人が出席した。被害者は、自分の話を語った。ペータは、以前よりも一層詳しく、強盗の詳細について語った。盗んだ金の半分を彼が受け取っていたが、未返済の分を支払うために、彼は、貯金から金を引き出していた。それを渡す際に、彼は、もしサムが盗んだ半分の金を支払わないならば、それも自分が支払うつもりであると、被害者に述べた。被害者は、この事件で、困惑や裏切られたと感じていたので、金を返済するほかに、何かの償いをすることに、ペータは同意した。そこで、被害者は、ペータが16時間掃除の仕事をすべきと提案した。

ペータの父親は、この点について話をさせてほしいと、口を挟んだ。彼は、16時間では不十分であり、この事件の重大性を考慮すると、40時間が適切であると考えていた。しばらく議論した後、ペータは、掃除の仕事以外にも、地域社会のために格別な仕事をすることに、同意した。被害者は、その結論に満足した。ペータは、奉仕の仕事を終えた後、よりよい気分を味わったと述べていた。それから3年後でも、ペータは、再び犯罪を犯していない。それに対して、サムは、再犯を犯していたのである。

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