国学院大学法学部横山実ゼミ


山本譲司著『監窓記』を読んで受刑者の処遇を考える

 山本譲司氏は、国会議員の時に国から支給された秘書給与を詐取したとして、懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けて服役した。山本氏は、『監窓記』(ポプラ社)において、受刑者としての体験を描いている。この本を読んで、私は多くのことを学んだが、若干の読後感を述べておきたい。

 日本の刑務所における処遇は、細かい規則の下で、自由権を極めて厳しく制限した状態で行われている。それは、国際機関によって、人権侵害のおそれがあると警告されているほどである。その反面、日本の刑務所には、受刑者を平等に公平に処遇するという特徴がある。『監窓記』にも、その様相が如実に描かれている。

 山本氏の場合にも、前職が国会議員であったということで、刑務所当局は、原則として特別扱いしなかった。山本氏も罪の償いとして服役したのを自覚しており、特別扱いを望んでいなかった。これと対照的なのは、アメリカである。そこでは、有力な政治家が拘禁刑を宣告されると、通常、彼らは軍の刑務所で優遇された処遇を受けるという。知り合いのアメリカ人研究者は、政治家といった有力者が、通常の刑務所で服役しないので、アメリカの刑務所改革は進まないと嘆いていた。

 ところで、日本では、幕末から明治の始めにかけて、討幕運動や自由民権運動などにかかわった多くの人が、投獄されている。その時、彼らは、獄につながれた人々の悲惨な様子を知った。彼らは、後に社会で再び活躍できるようになった時、刑務所の改革や免囚事業などに従事したり、それらに理解を示したりしたのである。

 現在では厳罰化が進んだために、政・財界で活躍していた有力者が、スキャンダルで投獄されることが少なくない(以前は、刑の執行猶予を受けるのが普通であった)。明治時代と違って、今では、一度投獄されると、政・財界に復帰することは容易ではない。しかし、彼らの服役の体験は、受刑者の処遇や彼らの社会復帰について、一般の人々に理解を深めさせるのに寄与しうる。その観点から、山本氏が、黒羽刑務所での服役体験を包み隠さずに明らかにしたことは、高い評価に値する。

 山本氏は、執行刑期8年未満で26歳以上の初犯者を主として収容している黒羽刑務所で処遇を受けた。山本氏が配属された寮内工場は、多くの問題を抱えた受刑者が、刑務作業に従事していた。「痴呆症はもちろんのこと、自閉症、知的障害、精神障害、聴覚障害、視覚障害、肢体不自由など、収容者たちが抱える障害は、実に様々だった。それだけではない。寮内工場には、目に一丁字もない非識字者、覚醒剤後遺症で廃人同様の者、懲罰常習者、自殺未遂者といった人たち、それに、同性愛者もいた」(176頁)。このような寮内工場で、山本氏は、大小便の世話を初めとして、各人のニーズに応じた個別介護をおこなったのである。

 厳罰化が進められている現在では、以前よりも軽い罪で実刑の判決を受け、また、以前に比べて長い刑期を宣告されて、多くの人が刑務所に収容されるようになっている。そこで、刑務所は、過剰拘禁に悩まされている。受刑者総数の増大に伴って、上述のような問題を抱えた受刑者も増大しているのである。この傾向は、有期拘禁刑の最高を20年から30年に引き上げるという法務省案が実現したら、より一層ひどくなるであろう。長期拘禁によるストレスと老齢化の進行で、より多くの長期受刑者が、いわゆる痴呆状態に陥ることであろう。厳罰化というムードにへつらって拘禁刑の引き上げの案を作成した、法務省内のエリート検事は、自分たちの所管の一つである刑務所に出向き、長期の拘禁の中で廃人同様になっている受刑者がいることを目撃して、長期刑がもたらす弊害を十分に認識すべきである。

 社会の老齢化を反映して、受刑者の中でも老齢化が見られる。老齢者は、刑務所を出所した後、社会に復帰することが大変に困難である。特に累犯の老齢者の場合には、すでに家族や親戚から見放されており、出所後に帰る場所がない。そのような者は、無産飲食などを犯して、再び、自分が慣れ親しんできた刑務所に舞い戻っているのである。まして、老齢により病気や障害を持つようになった者は、老人ホームや病院でも引き受けてもらえない。このような悲惨な状況を招かないためにも、過度な長期刑の言い渡しを避け、刑務所内での社会復帰理念に基づく処遇を促進し、彼らの社会復帰を援助する更生保護の活動を充実することが望まれる。(2004年4月3日執筆)

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