国学院大学法学部横山実ゼミ


少年法適用年齢を18歳に引き下げるべきか(2)

引き下げに反対する理由

(この随筆は、横山実ゼミナール・ジャーナル第21号に掲載されました。)

4.少年法適用年齢の引き下げは必要なのでしょうか。

 2000年の少年法改正を議論していたときに、保守的な政治家たちは、少年法の適用年齢を18歳未満に引き下げるように主張していました。民主党も、前述のように、選挙権付与との対として、引き下げを主張していました。そこで、国会において改正少年法案を可決する際に、付帯決議がなされました。その決議では、8つの事項の検討を促すとしていましたが、その一つが少年法の適用年齢の検討だったのです。

 今の時代は、一つの重大事件がマスコミで大きく報道されると、そのような事件への対応として、刑罰化への方向での法改正がしばしば行われます。施行5年後の見直しの際には、少年法適用年齢が話題に上がりませんでした。その一因は、この間、18歳および19歳の年長少年による凶悪事件が、大きく報道されることがなかったことです。それは、少年法の保護主義を擁護する立場からは、きわめて幸運であったといえます。

* * * * *

 最近では、民主党が中心となって、成人年齢を18歳に引き下げて、選挙権などの権利を付与する見返りとして、18歳と19歳の若者にも責任を持たせるとして、少年法の適用年齢の引き下げが主張されています。この主張は、個人責任を強調する風潮の中で優勢になりつつあります民主党は、「18歳は経済的自立が可能な年齢であり、現に結婚や深夜労働・危険有害業務への従事、普通免許の取得、働いている場合は納税者であること等、社会生活の重要な部面で成人としての扱いを受けて」いることを強調し、そのような若者が罪を犯せば、少年法を適用せず、責任をとらせるために、刑罰を科すべきだとしています。

 それは、法制度の建前からの主張です。歴史的にみれば、18歳で自立している者の数は激減しています。つまり、ベビーブーマーが10代になった昭和40年頃は、中学を卒業したばかりの若者の多くが、就職していました。彼らは、家を離れて大都会において一人で生活し、厳しい労働に従事することにより、自立した社会人となり、20代半には結婚していたのです。

 しかし、今では、少子化や高学歴化のために、18歳で自立して働いている若者は、激減しています。18歳の若者の多くは、高校卒業後に就職したり、大学に進学したりしても、親掛かりで、真の意味で自立した社会人とはなっていないのです。若者は、とくに男子は、親離れが遅くなっており、20代後半になっても、フリーターやニートといわれる人々に見られるように、十分に自立していないのです。社会的未熟さが20歳を超えて蔓延していることを認めるようになったために、2003年に発表された青少年育成施策大綱では、30歳未満までを対象にして、自立を促すための施策を行うべきと提唱しているのです。

 このように未熟で社会人として自立できていない若者に対しては、責任を問うとして、刑罰を科すよりも、少年法のもとでの教育・保護の措置で、対処することの方が望ましいのです

5.諸外国に合わせる必要があるのでしょうか。

 民主党は、成年年齢については、「世界のすう勢も18歳以上」と指摘しています。しかし、それだからといって、日本がそれに合わせる必要性はありません。欧米では、1990年以降の保守化の傾向の中で、刑罰化が進行して、少年法の下の保護主義の制度が崩されてきています。日本は、2000年の少年法改正の前は、刑罰主義を排除して、ほぼ純粋な保護主義を貫いてきました

 私は、下記の本で、日本の少年司法システムを紹介しています
 1997 Juvenile Justice: An Overview of Japan. In Winterdyk, John (ed.), Juvenile Justice System. Toronto: Canadian Scholars' Press, Inc.: 1-28.

 編者のWinterdykは、日本の保護主義のモデルを高く評価して、この本の第1章に私の英文を掲載してくれたのです。Winterdykは、この本をテキストにして、自分のクラスの学生に、国際比較をさせたところ、学生は、20歳未満まで手厚く保護・教育的処遇をしている日本のモデルが、一番よいと答えたということです。

 日本は、1990年代の前半までは、加害少年については、社会的に劣悪な環境のために非行を犯した少年というイメージがあり、彼らに対する同情がありました。その典型的な例は、連続射殺ピストル事件で19歳のときに逮捕された永山則夫死刑囚に対する同情です。貧しい環境にいる加害少年に対する同情を反映して、彼らの社会復帰に対しては、多くの人が、たとえば、保護司や更生保護女性会の会員などが、援助の手を差し伸べていました

 Winterdykは、このような点に着目して、日本のモデルを、Participatory Model(参加モデル)及びWelfare Model(福祉モデル)として高く評価していました。なお、彼は、アメリカなどに見られるようになった、刑罰によるCrime Control Model(犯罪統制モデル)の対極概念として、参加モデルを挙げていたのです。

 今の日本人は、特に若者は、社会的関心を喪失して、個人的な生活領域に閉じこもるようになっています。そのような人々は、非行を行った少年を、自分たちと異質な危険な異常者とみなしています。そこで、彼らへの恐怖心から、彼らを社会的に排除しようとしています。彼らに重罰を科して、死刑によってこの世から抹殺したり、刑務所に長期間拘禁したりして、自分だけは安全な生活を楽しみたいと考えるようになっています。

 民主党の見解のように、少年法の適用年齢を18歳に引き下げることは、このような社会的排除の風潮を助長することになるのです

* * * * *

 法については、二つの考えがあります。一つは、法体系の論的な整合性を求める立場です。民主党の見解は、この立場から打ち出されています。もう一つの考えは、法の目的に応じて、法の適用の基準は複数存在してもよいという立場です。この立場からは、成人年齢を18歳にして選挙権を付与しても、少年法の「健全育成」という目的を考慮して、少年法の適用年齢は、20歳未満に据え置くべきと主張されます。私は、この立場ですので、少年法の適用年齢は、20歳未満に据え置くことを強く主張するのです。

 Winterdykが日本の少年司法システムを評価したもう一つの理由は、そのシステムのもとで、優秀な人々が、少年の最善の利益のために最善を尽くしている点です。少年係の警察官、家裁調査官、少年鑑別所技官、少年院教官、保護観察官、保護司など、多くの人々が、少年の非行防止や社会復帰のために熱心に働いています。もし少年法の適用年齢が18歳に引き下げられたならば、彼らが取り扱ってきた18歳と19歳のケースが消滅します。そうなると、保護・教育のために彼らが働きかけをする領域は、大きく減少します。その結果、経費削減の名前の下で、これらの人材や施設が、他に転用されてしまったら、実務における保護主義的実践活動は、大きく後退します

 民主党は、単に論理的整合性だけで、少年法の改正を考えるべきでありません、もし少年法適用年齢を18歳に引き下げたら、少年司法システムの実務において、どのように重大な損失がでるのかを、しっかりと事前に調査すべきなのです。そのような調査に基づいてこそ、欧米の社会学者が主張するEvidence-based Policyが、実現できるのです。(2009年7月26日に掲載しました)

6.法制審議会の報告と民主党のマニュフェスト

 法制審議会に民法成年年齢部会は、議論を重ねた結果、2009年7月29日に最終報告をまとめています。

Hungarian Doll

前に戻るトップに戻る次に進む