人は研究会に何を期待するのであろうか。一般的にいうと、若い人は研究会に学びを求め、年長者は、研究活動の指導を担うことになろう。私にとっても、研究会は学びの場であったのが、何時の間にか、そこで指導する役割を担うようになっていったのである。まずは、私の経験を述べておきたい。
私が社会学専攻の中央大学大学院生の時に、学びの場として活用したのは、犯罪社会学会の前身である犯罪社会学研究会であった。その研究会には、後に犯罪社会学会設立の中心となった方々が、常連として、毎回のように顔を出して議論していた。その中に、犯罪や少年非行の問題に関心がある、社会学専攻の大学院生が、数名参加していた。私も、指導教官の那須宗一先生に誘われて、御茶ノ水の中央大学大学会館で2ヶ月に1回程度開かれた研究会に参加するようになった。その時は、世話人の那須先生の下働きとして、会場の設営、報告要旨の作成、研究会ニュースの発行といった仕事に携わった。特に、ニュース原稿にするために、研究者の報告をまとめることは、自分がどれだけその報告内容を理解できたかを確認するのに役立った。この活動を通して、犯罪社会学を専攻する主要な研究者や実務家と知り合い、後には、彼らが実施する共同調査に参加させてもらったり、彼らが編集する本のために論文執筆の機会を与えてもらったりしたのである。
1982年の春に、澤登俊雄先生から、少年法研究会の立ち上げを相談された。その時は、研究会の指導者の役割が、先生から期待されたのである。私は、当時、国学院大学法学部に就職して2年目であり、刑事法の勉強を学び直しているところであった。だから、指導者というよりも世話役の一人として、少年法についての理論や問題点を専門家から学ぶつもりで、研究会に参加したのである。しかし、そのうちに、少年法研究会に参加している刑事法専攻者には、社会学的な視点を提示し、他方、社会学や行動科学を専攻する者には法学的議論の解説をするという役回りを演じることになった。
澤登先生は、その後、少年事件研究会や比較少年法研究会など、多くの研究会を立ち上げ、その世話役をされた。先生からはそれらの研究会への入会を勧められたが、自分の研究会活動を少年法研究会一本に絞ると決めていたので、すべてお断りした。(ただし、5年程前に、東京犯罪社会学研究会を立ち上げて、いまでも、その世話役をしている)
研究会では、報告や議論を聞くことによって、多方面の情報や最新の情報を得ることができる。また、自分が報告したり、発言したことに対して、他の人から反論されたり、コメントが加えられたりすることによって、自分の考えを固めてゆくことができる。しかし、多くの研究会を渡り歩くようなことをすると、断片的な情報をつまみ食いするだけで終わる危険性がある。それゆえに、自分の時間とエネルギーが限られていることも考慮して、私は、多くの研究会に顔を出すのを控えてきたのである。
少年法研究会は、私にとってやり甲斐のある研究会であった。ある時期には、若手の養成を目指して、基本的な本をテキストとして講読した。多彩な分野の会員が、自分の専門とする視点から議論するので、単なる本の読み合わせ以上の意味合いがあった。本や資料の講読を通して、会員が問題意識を共有するようになると、一つの研究テーマを設定して、調査を実施した。時期によって会員の入れ替わりはあったが、数人の研究者は、一貫して、報告、議論および調査に携わってきたので、少年法研究会は20年も持続できたのである。
現代の社会は、専門分化が進んでいる。そのために、研究者は専門ごとに学会や研究会を組織するようになっている。また、助成金を得て調査を実施するために、一時的な研究会がたくさん作られている。時事的なテーマを取り上げて、多くのシンポジュウムも開かれている。そのために、東京のような大都市に住んでいると、研究会やシンポジュームに次々と参加できるのである。もし、そうすれば、席が温まる暇はなくなるであろう。
研究基盤を固めた研究者にとっては、研究会やシンポジュウムを掛け持ちして、そこで報告したり、議論に加わったりすることは、有意義であろう。しかし、大学院生や若手研究者にとっては、それが望ましいであろうか。研究会やシンポジュウムで議論を聞くことによって、あるいは、報告者に質問することによって、文献を読んでもわからなかったことを、理解できることはある。しかし、多くの研究会やシンポジュームに、漫然と出席しているだけでは、机上で勉強するのに比べて、得るところが少ないであろう。
社会科学者が独自の研究領域や研究方法を確立できるのは、40歳までであると、私は思っていた。そこで、30歳代の半ばまでは、研究の基礎固めに心がけた。その頃のレイベリング論との出会いは、研究の視座を確立するのに、大変に役立った。
私の大学院時代と比較すると、今の大学院生や若手研究者は、ある研究会に一貫して参加することが減少したように思われる。これは、忙しすぎるためなのであろうか、あるいは、関心が多様化しているためなのであろうか。若手研究者がそのような状況にいるならば、これまで蓄積されてきたものの継承が十分にできず、社会科学は衰退してゆくであろう。
20年も存続してきた少年法研究会には、たくさんの学問的蓄積がある。長く続いてきた組織に見られがちな権威主義的な色彩は無く、若手研究者が自由に議論に参加している。このような研究会に魅力を感じて、少年法に関心を持つ大学院生や若手研究者が、積極的に参加してくれることを願っている。
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