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國學院大學特別推進研究

伊豆修験の考古学的研究−基礎的史資料の再検証と「伊豆峯」の踏査−


■ 研究の目的
 國學院大學では、かねてから伊豆を考古学的研究フィールドの一つとしており、大場磐雄による「神道考古学」の提唱や、考古学研究室・資料館による伊豆半島・諸島の中近世祭祀遺跡調査など、多様な活動を積み重ねている。
 これらの遺跡が展開した前近代の伊豆には、数多くの修験者たちがいた。彼らが拠った所は、明治の神仏分離によって伊豆山神社と改められるまで、「走湯権現」「伊豆山権現」などとして知られた霊場である。走湯山の歴史像については、既に様々な立場から研究が試みられており、中世以降の経塚や寺坊の実態については、考古学的な具体像が明らかになりつつある。しかし、拝所や峯中の状況については、一部の研究者が触れているのみであり、豊臣秀吉の北条攻めに伴う一山炎上もあってか、修行そのものに関する直接的史料も、宝暦11(1761)年の『伊豆峯次第』など、近世の事例に限られている憾みがある。
 とは言え、この『伊豆峯次第』が、年末年始に伊豆の行者が半島を一周する遍路行の行程と、その概略について触れた貴重な文書であることには異論がない。特に注目される点は、行中12月25日に訪ねる「井田ヶ崎」の「心檀堂之岩屋」、即ち下田市美穂ヶ崎の海蝕洞窟内に、宝徳元(1449)年から寛文2(1662)年にかけて行者たちが墨書を残した所にある。かかる考古学的事実は、墨書の中に12月25日の日付を持つ例が認められることと相俟って、18世紀の『伊豆峯次第』に記録された修験者の遍路行が、中世まで遡る可能性を強く示唆している。実際、称名寺長老を務めた釼阿(1261−1338)の手沢本と見られる『走湯権現当峯辺路本縁起集』は、その名の通り「伊豆峯辺路」に関する縁起譚であり、鎌倉時代まで伊豆修験の淵源を辿ることは不可能でない。
 そこで当研究では、『伊豆峯次第』『修験古実書上』等の関連文書を検証しつつ、入念な現地踏査を試み、拝所・行場の実態や、年代的位置付けに関する考古学的・地理学的情報を獲得していくことを目的とする。その上で、具体的な伊豆修験の構造・歴史像について、一定の見通しを立てていくことが本研究の特色である。

■ 研究期間
平成23年度・平成24年度(2期・各1ヵ年)

■ 研究組織
研究代表者
 深澤太郎(考古学):國學院大學研究開発推進機構学術資料館助教
研究分担者
 内川隆志(考古学):國學院大學研究開発推進機構学術資料館准教授(23年度)
 中山 郁(宗教学):國學院大學教育開発推進機構共通教育センター准教授(23年度)
研究協力者
 筒井 裕(文化地理学):國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター PD研究員(23年度)、同研究開発推進センターPD研究員(24年度)
 石井 匠(考古学):國學院大學研究開発推進機構学術資料館PD研究員(24年度)
調査員
 加藤 渉(総務):國學院大學研究開発推進機構学術資料館臨時雇員
 朝倉一貴(考古):國學院大學大学院文学研究科博士課程後期
 酒匂喜洋(考古):國學院大學文学部史学科考古学専攻(24年度)
 湯沢 丈(考古):國學院大學文学部史学科考古学専攻(24年度)
 吉野 亨(地理):國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター作業協力者(23年度)・大学院特別研究生(24年度)
 望月陽子(地理):國學院大學大学院 文学研究科博士課程前期(23年度)・同修了(24年度)
協力員
 波形早季子:元國學院大學研究開発推進機構伝統文化リサーチセンター嘱託学芸員(24年度)
 岩井優莉佳:國學院大學文学部史学科考古学専攻(24年度)

■ 調査・研究の方法
 本研究の中核は、近世文書・絵図等に描かれた伊豆修験の遍路ルートを踏査することで、修験者の活動した拝所・行場・修験窟を実地に確認し、その初源期から衰退期にかけての様子を考古学的に把握するところにある。具体的な研究の手順としては、関連史資料の集成・検討に基づき、拝所・行場等の現在地比定を行い、遍路ルートの踏査・測位等を実施する。このような研究事業を実施することによって、(@)伊豆修験に関する史資料の現状、(A)文書から見た遍路ルート、(B)遍路ルートの考古学的実態が明らかとなる。本研究事業では、その成果を公開するため、研究会やWEBページ作成を実施するとともに、調査・研究事業の成果を盛り込んだ報告書を刊行し、伊豆修験の具体像を提示する。

■研究成果
(1)深澤太郎編『伊豆修験の考古学的研究−基礎的史資料の再検証と「伊豆峯」の踏査−(國特推助46号)』平成23年度國學院大學特別推進研究助成金研究成果報告書 國學院大學:2012年3月11日刊行。
(2)深澤太郎編『伊豆修験の考古学的研究−基礎的史資料の再検証と「伊豆峯」の踏査−U(國特推助53号)』平成24年度國學院大學特別推進研究助成金研究成果報告書 國學院大學:2013年3月11日刊行。
(3)伊豆峯拝所マップ:2012年3月31日公開(ver.1)
 ← クリックして「伊豆峯拝所マップ」へ 各ポイントをクリックすると拝所のデータが表示されます

伊豆峯拝所マップ 凡 例
1.番号:拝所の整理番号 (出典『伊豆峯次第』『豆州志稿』)。枝番号を施したものは、参拝順が不明な事例を表している。
2.月日:伊豆修験が拝所を訪れた月日 (出典『伊豆峯次第』)。
3.近世の集落名:近世期における拝所の所在地 (出典『伊豆峯次第』)。
4.拝所の住所:平成24(2012)年現在の拝所所在地 (現地調査、および地形図の判読により把握)。
5.拝所の名称:近世期における拝所の呼称(出典『伊豆峯次第』)。
6.別称:近世期における拝所の別称(出典『伊豆峯次第』『豆州志稿』)。
7.祭神:近世期に各拝所で祀られていた神仏の名称 (出典『豆州志稿』)。
8.『伊豆峯次第』の記述:『伊豆峯次第』中の拝所に関する記述を引用。但し、現代仮名遣いに改変。
9.『豆州志稿』の記述:『豆州志稿』の各拝所に関する記述を引用。但し、現代仮名遣いに改変。
10.納符:『豆州志稿』で伊豆修験の訪問を確認できた拝所に「●」を、納符先であった可能性が高い地点に「▲」を施した。なお、これらの記号に( )を施したものは、「拝所の名称」に記載された宗教施設の敷地内、あるいは周辺にある祠・小堂などが納符の対象となっていたことを意味する。
11.参考文献:拝所を比定した際の典拠書籍の略称。参考文献の詳細は以下の通りである。
『亀戸資料』:亀戸天神社菅公一〇七五年大祭事務局、『亀戸天満宮史料集』、亀戸天神社、1977年。『河津寺院』:河津町史編纂委員会編、『河津町の寺院』資料編第4集、河津町教育委員会、1988年。『河津神社』:河津町史編纂委員会編『河津町の神社』資料編第2集、河津町教育委員会、1984年。『県史跡報告』13:静岡県編『静岡縣史蹟名勝天然記念物調査報告』第十三集、静岡県、1939年。『静岡県神社誌』:静岡県郷土研究協会編『静岡県神社誌』複製版、日本仏書センター、1980年。『静岡県の地名』:平凡社地方資料センター編『静岡県の地名』、平凡社、2000年。『下田市史』:下田市史編纂委員会編『下田市史』資料編1、下田市教育委員会、1990年。『下田民話』:下田市教育委員会編『下田市の民話と伝説』第1集、下田市教育委員会、1975年。『下田棟札』:下田市史編纂委員会編『下田市社寺棟札調査報告書』T、下田市教育委員会、1986年。下田市史編纂委員会編『下田市社寺棟札調査報告書』U、下田市教育委員会、1987年。下田市史編纂委員会編『下田市社寺棟札調査報告書』V、下田市教育委員会、1988年。『土肥の神社』:土肥町郷土誌編集委員会編『土肥の神社』、土肥町教育委員会、1982年。『南豆神祇誌』:足立鍬太郎『南豆神祇誌』復刻版、羽衣出版、2002年。『東伊豆神仏』:東伊豆町文化財審議委員会編『東伊豆町の神社・仏閣』、東伊豆町教育委員会、1980年。『仏谷山由来記』:原秀三郎編『佛谷山由来記』、仏谷山寶徳院、2009年。『平成「祭」データ』:神社本庁編『平成「祭」データ』全国神社祭祀祭礼総合調査(CD−ROM)、出版年月日不詳。
12.このマップは、深澤太郎(研究代表者)・筒井裕(研究協力者)による指導の下、吉野亨・望月陽子(調査員)が作製した伊豆峯拝所一覧表をベースとして、朝倉一貴(調査員)が編集・公開している。

連絡先:國學院大學考古学研究室 〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28 03-5466-0248