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科学研究費助成事業 若手研究A 課題番号:25704015
伊豆修験と「伊豆峯」辺路の考古学
■ 研究の目的
前近代の伊豆には、数多の修験者たちがいた。彼らが拠った所は、明治の神仏分離によって伊豆山神社と改められるまで、「走湯権現」「伊豆山権現」などとして知られた霊場である。その歴史像については、既に様々な立場から研究が試みられており、中世以降の経塚や寺坊の実態は、考古学的な具体像が明らかになりつつある。しかし、修験者が伊豆半島の外縁をめぐる「伊豆峯」辺路行に関しては、未だ一部の研究者が触れているのみであり、豊臣秀吉の北条攻めに伴う一山炎上もあってか、修行そのものに関する直接的史料が、宝暦11(1761)年の『伊豆峯次第』など、近世の事例に限られている憾みがある。
とは言え、この『伊豆峯次第』が、年末年始に伊豆の行者が半島を一周する遍路行の行程と、その概略について触れた貴重な文書であることには異論がない。特に注目される点は、行中12月25日に訪ねる「井田ヶ崎」の「心檀堂之岩屋」、即ち下田市美穂ヶ崎の海蝕洞窟内に、宝徳元(1449)年から寛文2(1662)年にかけて行者たちが墨書を残した所にある。かかる考古学的事実は、墨書の中に12月25日の日付を持つ例が認められることと相俟って、18世紀の『伊豆峯次第』に記録された修験者の辺路行が、中世まで遡る可能性を強く示唆している。実際、称名寺長老を務めた釼阿(1261-1338)の手沢本と見られる『走湯権現当峯辺路本縁起集』は、その名の通り「伊豆峯辺路」に関する縁起譚を含んでおり、鎌倉時代まで伊豆修験の淵源を辿ることは不可能でない。
そこで本研究では、これまで実施してきたパイロットスタディを踏まえて、『伊豆峯次第』『修験古実書上』等の関連文書を検証しつつ、『伊豆峯次第』所載拝所の現在地を特定した上で、入念な現地踏査を試みていく。勿論、それらの地点において得られた考古学的情報を、直ちに「伊豆峯」辺路行の痕跡と速断することはできないが、埋蔵文化財を含めた関連史資料の積み重ねによって、辺路ルート上にある拝所の形成過程を復元し、以て伊豆修験の実態を明らかにしていくことが本研究の目的となる。
■ 研究期間
平成25年度~平成26年度
■ 研究組織
研究代表者
深澤太郎:國學院大學研究開発推進機構助教
■ 調査の方法
1年次の前半は、主に基礎的な史資料・情報の整理を推進していく。
そのうち、考古学的情報の整理では、研究代表者が所属する國學院大學や、地元の教育委員会等による既往の考古学的調査研究成果を悉皆的に整理し、今後の研究基盤を提供するところから作業を開始する。これと併行して、関連史料の整理を開始する。そこでは、『伊豆峯次第』〔『神道大系』所収〕、『伊豆権現領略絵図』〔箱根神社『二所詣』〕、『伊豆権現縁起大略』に附せられた「伊豆山神社四系図」〔『神道大系』所収〕などの修験関連史料・絵図面から、近世段階における辺路ルートや、拝所・行場の状況を把握することから始める。辺路ルートについては、『伊豆峯次第』の記述に従って、『熱海市史』〔熱海市『熱海市史』〕に提示されているが、本研究では行場や参籠する地点を詳細に特定して、遺跡踏査のための研究基盤を提供したい。
そして、年度後半からは、具体的な遺跡踏査を開始する。辺路ルートの全てを入念に踏査したいところではあるが、『伊豆峯次第』に見える拝所・参籠地点だけでも約250ヶ所を越えている。そこで、文書に特記事項のある地点や、参籠する宿所、修験窟といった、考古学的な踏査成果の有望な地点を優先しつつ調査を進めていきたい。
2年次は、それまでの調査・研究成果を基盤として、補足的な現地調査と、研究成果の総括に向けた活動に軸足を移していく。また、このような活動を通して得られた(ⅰ)伊豆修験に関する史資料と研究の現状把握、(ⅱ)伊豆修験の構造・歴史像、(ⅲ)他の霊場との比較に関する総括研究成果を報告する。また、これと同時に、研究成果の一部を國學院大學博物館にて展示することも企画したい。
更に、年度後半には、公開系事業(WEB公開も含む)を推進し、調査成果報告書を刊行する。
■研究成果
(1)伊豆峯拝所マップ:2017年3月31日公開(ver.5)
(2)展示 國學院大學博物館テーマ展示「伊豆修験の道をゆく」
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