中国訪問の記録2(北京訪問)


中国訪問の記録2(北京訪問)

3月20日(水)

 バスで北京に向かう途中で、日本旅行の北京支店からガイドの劉さんに電話がかかってきました。予約していたホテルの給水装置が故障したので、別のホテルを手配したということでした。そのホテルは、天安門広場の近くであるというので、変更を了承して、そのホテルに向かいました。北京は、アメリカの都市のように高速道路網が張り巡らされていますが、マイカーの普及で渋滞はひどくなっているのです。午後6時過ぎにホテルに到着してチェックインしました。午後7時半にロビーに集合して、歩いて天安門に行きました。数日前まで中国政府の重大な会議が開催されていたときは、天安門広場に立ち入りが出来なかったと言うことですが、その会議の後での訪問で幸いでした。天安門の夜景を楽しんだ後、歩いて王府井に行きました。北京の最大の繁華街で、大きな店が建ち並んでました。そこで夕食をとったり、屋台で買い食いしたりして、ホテルに戻りました。その後で、横山は学生と共に、前門まで買い物に出かけましたが、その前門からの通りにあった庶民のための水餃子の食堂がすべて消え失せていることを目撃しました。北京オリンピックのための都市改造で、古い家や街が壊され、近代的なビルが建てられているのです。

3月21日(水)

 午前7時半に、古沢、茂木、ヘイヴンズ及び法学部の学生3名が、ロビーに集合しました。横山の案内で、ホテルを出て、歩いて前門に行きました。前門の近くには、バスから降りて天安門に行く人があふれていました。私達は、地下鉄に乗って、北京駅に行き、その近くの胡同を歩きました。そこでは、庶民の生活が残っていました。ガイドの申さんの話ですと、北京市では、20ほどの胡同を残すことにしたということですが、この場所は保存の対象に入っているのでしょうか。また対象に入ったとしても、観光施設化したら生活のにおいが消えてしまうことでしょう。写真を取りながら歩いて、東単駅に行きました。そこでは、ラッシュアワーで通勤の人々でごったがえしておりました。北京オリンピックに備えて、地下鉄網の整備を始めていますが、巨大な人口を考えると、地下鉄の混雑はますますひどくなっていくと思われます。9時には、ホテルに戻り、皆と合流しました。

 ホテルの近くのコンビニで、パンなどを買って、留学生の劉君が手配してくれたバスで出発しました。北にむかって、オリンピック施設の近くの道路を通りました。鳥の巣の形をしたメインスタジアムは、深い靄の中で霞んでいました。空気の悪さが、その原因の一つです。たくさんの農民工(農村からの出稼ぎの人)が、昼夜の突貫工事で働いていたのです。

 明の皇帝の13陵で見学できるのは2つということでしたが、今回は、定陵を訪れることにしました。建物や埋蔵品を見てから、地下の陵に入りました。次いで、八達嶺の万里の長城を訪れました。山の中腹には、オリンビックマークとともに「One World One Dream」という看板が掲げられていました。登り口からの左手は、傾斜がなだらかですので、世界各国から来た人々で混雑していました。他方、右手は急斜面で観光客はまばらでした。狼煙塔の近くでは、内モンゴルなどの人々が、いろいろな土産品を売っていました。午後3時半まで散策を楽しんで、バスで北京に戻りました。靄はさらにひどくなり、帰路では、鳥の巣の施設の輪郭がほどんど見えないほどでした。ホテルに戻ってからは、皆で、前門の近くの中華レストランに行き、北京ダックなどの美味の料理を楽しみました。そのあと、タクシーに乗って、王府井の屋台まで駆けつけた者もいました。

3月22日(水)

 午前5時半に起床して、チェックアウトの手続をしました。見送りの劉君に別れを告げて、バスで北京空港に行きました。北京空港では近代的な巨大施設を建設中で、オリンビックに備えていました。出国手続きをして、免税店で買い物を楽しんだ後、9時半発の飛行機に搭乗しました。しかし、機体にトラブルがあったために、おろされて、搭乗口に戻らなければなりませんでした。やっと、午後3時になって、代わりの飛行機に乗ることができました。この飛行機で、午後7時に無事に成田空港に到着して、そこで解散しました。

明朝時代の定陵の前

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