2000年の少年法の改変の時に、5年後の見直しが付帯決議でうたわれていた。最高裁判所は、見直しのためのデータを公表してきたが、その見直しは十分に行われなかった(Minoru Yokoyama, “How has the Revised Juvenile Law functioned since 2001 in Japan?” この論文は、ポーランドで出版される本に掲載されます)。そこで、保護主義を堅持しようとする研究者や実務家たちが、刑罰化を実現した条文を元に戻すことは、絶望的な状況にある。それどころか、2007年には、触法少年の事件について警察に調査権を認めたり、保護観察に付された少年が遵守事項の違反を繰り返した場合には少年院収容の道を開いたりするような形で、少年法の新たな改変がなされた。
他方、犯罪被害者は、その運動の高まりの中で、例えば、犯罪被害者等給付金の増額など、多くの成果を獲得してきた。しかし、運動の常として、一つの標的が達成されたら、さらに新しい標的を立ててその運動を促進する。彼等は、どこまで自分たちの権利の主張として、運動を展開するつもりなのであろうか。それを、この度、問題になっている「少年審判での傍聴」について考えてみたい。
第1に、犯罪被害者とは、誰を指しているのであろうか。今、被害者運動に携わっているリーダーは、ほとんどが10年以上前に犯罪の被害にあった人、しかも、殺人、傷害、強姦などの重大な被害を受けた本人及び遺族である。彼等の運動があったからこそ、犯罪被害者の知る権利や刑事裁判での意見陳述権などが充実したのであり、その運動の成果は、高く評価できる。しかし、彼等は、10年以上前の自分の経験を普遍化して、過度の制度改革を要求するようになり、現在では、他の制度、例えば、少年司法制度の長所を破壊しようとしているのではないだろうか。
彼等は、犯罪被害者の全部を代表しているように振る舞っている。しかし、犯罪の被害者は、ささいな犯罪の被害まで視野に入れれば、日本国民のほとんどすべてなのである。彼等は、その全ての代弁者として、過度な要求をしてもよいのであろうか。
例えば、私の父は、交通事故で重傷を負い、その後遺症で歩行が困難になり、命を縮めることになった。後遺症に悩まされたにもかかわらず、父は、中小企業に勤めていた19歳の少年が、赤信号無視により交差点ではねたことについて、その少年の将来を考えて、一言も少年に非難の言葉を浴びせることがなかった(現在では、このような少年は、検察官に逆送されて、危険運転致傷罪として長期の懲役刑に科せられることになるであろうが、その当時には、単に交通事故として処理されていたに過ぎなかったのである)。犯罪被害者にも多様な人々がおり、また、同じ被害にあっても、加害者に対する考えに多様性があることを、今の被害者運動のリーダーには、是非、認識していただきたいのである。
それだからといって、私は、重大な犯罪の被害者、特に殺人の被害者の遺族の重い被害を軽視するわけではない。彼等の無念さは、決して、短期間で消えるものでないことは、保護観察官として無期懲役受刑者の仮釈放審査に当たった人から、十分に聞いているところである。
現在、被害者の声を受け止めるためとして、少年審判の傍聴の問題が、取り上げられている。法務省は、被害者運動のリーダーが重大な犯罪の被害者であることをふまえて、傍聴対象の審判を「重大事件に限る」という案を作成した。しかし、その案を検討した自由民主党の法務部会では、それでは不十分であると判断した。検討の結果、原則としてすべての審判で傍聴できるようする修正案が了承されたという(朝日新聞2007年11月10日)。その修正案は、法務大臣が11月29日に開かれる法制審議会に諮問し、その答申を受けて、来年度の通常国会に提出される予定という。現在の法制審議会の委員には、日本弁護士連合会出身の委員を除けば、政府案にクレームをつけるような勇気ある委員はいないので、この法務省案は、法制審議会で原案通り了承されることであろう。ところで、上述の修正案は妥当なのであろうか。
朝日新聞の上記の記事によれば、被害者の間には、「事件の真相を知りたい」と公開を求める声が強いことなどから、自由民主党法務部会は、対象を限定する規定を削除したという。この被害者とは、現在の犯罪被害者運動のリーダーの声であろう。彼等が被害にあったのは、2000年の少年法改変の前である。2000年の少年法改変で、被害者及び遺族は、希望すれば、家庭裁判所の裁判官や調査官に、被害に関する心情などを述べることができるようになった(第9条の2)。また、保護事件の記録のうち、非行事実にかかわる部分については、閲覧及び謄写ができるようになった(第5条の2)。この制度のもと意見陳述をしたり、記録の閲覧や謄写をしたりした被害者が、まだ不満であるからというので、被害者運動のリーダー達は、審判傍聴を要求しているのであろうか。もしそのように要求するならば、その実証的な根拠を提出すべきであろう。
第2に、2000年の少年法の改変により、重大な殺人などのケースは、16歳以上の場合には、原則逆送になった。逆送事件の場合には、家庭裁判所の審判に傍聴することに、どれだけの意味があるのであろうか。もし「事件の真相を知りたい」というのであれば、逆送後の刑事裁判で傍聴するだけで、十分でなかろうか。
最後に、軽微な事件までも、被害者の傍聴を認めることにどれだけの意味があるのであろうか。このような事件の被害者の場合で、加害少年に非行の事実を説明してもらいたいという要求があるならば、家庭裁判所の審判の傍聴ではなく、修復的司法の場に委ねるべきではないだろうか。たとえば、被害者が少年から事情を聞いてみたいという希望を持っているならば、試験観察処分にして、ケースワーカーの専門家である家庭裁判所調査官が、被害者と加害少年の関係の修復を試みた方がよいのではなかろうか。
私は、2007年8月にオーストラリア首都特別区の被害者のための修復的司法を調査してきた。Convenor (会合を招集する調停者)が設定した、被害者と加害少年との話し合いの場であるConference(会合)では、一方において、加害少年は、被害者から直接聞くことによって、自分が与えた被害について理解を深めて謝罪する。他方、加害者は、加害少年の反省の弁を聞き、謝罪の言葉を受け入れるとともに、加害少年の自発的な労働による損害賠償を受けることができる。軽微な事件については、家庭裁判所で単に傍聴するだけでなく、このような話し合いの場を設定することの方が、被害者にとっても加害少年にとっても意義深いのである。
法制審議会での議論或いは国会での討論に際しては、上述した事情を考慮して、賢明な解決策を打ち出していただきたい。
鳩山邦夫法務大臣は、2007年11月29日に、少年審判において犯罪被害者やその遺族に傍聴を認める制度を導入することなどの検討を、法制審議会に諮問した。その諮問においては、犯罪被害者すべてに希望すれば傍聴を認めるというのではなく、故意や過失によって人を死亡させた事件のみを対象として傍聴を認めるとしている。死亡事件は、犯罪被害者の遺族の悲しみや憤りが強いので、もし「加害少年が真実を語り、謝罪して欲しい」という願いで、彼等が傍聴を希望しているのであれば、犯行直後の審判の場ではなく、少年院や少年刑務所などでの少年の贖罪教育が済んだ時点で、ケースワーカー(例えば、保護観察官)が仲介するConferenceの場で会って、話し合うことの方が望ましいであろう。
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