韓国京畿大学校訪問の記録(2)


韓国京畿大学校訪問の記録(2)

3月28日(水)

 ホテルで朝食を済ませて、9時半にチェックアウトしました。鄭君は約束の時刻に迎えに来てくれたのですが、大学からのバスは10時半になってやっと到着しました。京畿大学校では、国際交流センターの副所長のHyun Soo Kim准教授、朴善述教授及び日本語を学んでいる学生達が待っておりました。彼等がバスに乗って、Kim准教授の案内で、Yongin 市の電気製品ゴミ(E-waste)リサイクルセンターに行きました。会議室で、Hyo Teak Song氏から、センターの説明をしていただきました。その説明の内容については、下記のページをご覧下さい。

電気製品ゴミ・リサイクルセンターの活動

 説明の後、Song氏及び所長のChi Hun Kim氏の案内で、工場の中を見学しました。電気冷蔵庫などが、ベルトコンベアーで運ばれて、機械によって裁断され、資源が分別されておりました。見学の後、職員食堂で昼食をご馳走していただきました。

 京畿大学校で朴善述教授に別れを告げて、私達はバスでソウルに向かいました。漢江を渡る直前になって、大雨が降りました。梨泰院クラウンホテルに到着して、部屋割りして、4時にロビーに集合しました。小雨になったので、地下鉄に乗って、ソウル中心部の光化門駅に行きました。そして、歩いて、清渓川に行きました。

 清渓川は、高速道路を取り壊して、道路の下の暗渠となっていた川を復元したものです。山から流れてくる自然の水では、水量が足りないので、漢江の水を水道水と同程度に浄化して(ただし、殺菌のための塩素ガスは用いておりません)、それをソウルの中心部の清渓広場で、噴水の水として流して、川の水量を確保しているのです。ところで、私達が訪れたときは、大雨で増水したために、噴水の水を止めておりました。川沿いの遊歩道は、水浸しとなり、歩行禁止となっておりました。

 私達は、雨の中を川に沿って歩きました。広通橋を通り、正祖班次図を横目で見ながら、ベルリンの壁まで歩きました。広通橋は、1958年の清渓川覆蓋工事によって地中に埋められてしまったものを、場所を移動して復元した石の橋なのです。正祖班次図は、幅2.4m、長さ192mで世界一長い陶磁器の壁画ということです。この図は、1795年に正祖の母親が還暦を迎えたとき、夫である思悼世子の墓参りをするために、現在の水原市にある華城に向かう行列を描いたものです。その図には、行列の随行員1,779名と779頭の馬が描かれているのです。ベルリンの壁は、ソウルの姉妹都市であるベルリンから運ばれてきたものです。東側は壁がむき出しになっているのに、西側には、ペンキで華やかな絵が描かれておりました。

 その後、タクシーに分乗して、明洞に行きました。鄭君の案内で、サムゲタン(参鶏湯)の専門店に入り、夕食をとりました。その後は、1時間ほど、買い物のために自由時間としました。明洞の町には、購買力のある若い人がたくさん来ていて、日本の町以上に活気がありました。一時期、明洞の町には、日本からの買い物客であふれていたのですが、現在では、円に対してウオンが強くなっており、日本と物価が変わらなくなっているので、日本人の買い物客の姿は少なくなっていました。

 京畿大学校で日本語を学んでいる学生が、授業を終えて、ソウルに来てくれたので、皆で居酒屋に入り、コンパを楽しみました。学生達は、交流を続けておりましたが、横山と菅井は、清水氏、中條君及び陳さんとともに、10時頃に居酒屋を抜け出しました。ソウル広場から清渓広場に行きましたら、川の増水がおさまり、噴水から水が流れておりました。清渓川沿いの散歩道を散策してから、タクシーに乗ってホテルに戻りました。

電気製品リサイクルセンターとソウルの写真

3月29日(木)

 チェックアウトして、9時半にホテルのロビーに集合しました。鄭君と4名の男子学生は、部屋で休息をとっていて、その後、仁寺洞に買い物に出かけました。他に、清水氏と陳さんが別行動をとりましたが、残りは、ソウル中心部に行きました。まずは、徳寿宮に行きました。この宮殿は、1590年に李朝によって建てられたものです。ソウル市庁舎の前の広場に面しており、周りには近代的なビルが立ち並んでおりました。宮殿の中を散策してから、清渓広場に行きました。そこで、二つのグループに分かれました。一つのグループは、古沢および加藤達で、タクシーに乗って、南大門の市場に行きました。残りの人々は、快晴の空の下で清渓川を散策しました。そして、ロッテデパートに行って、免税店で土産の買い物をしました。

午後1時にホテルのロビーに集合して、地下鉄で金浦空港に行きました。そこで、見送りに来てくれた鄭君との再会を約束して、3時55分発のアシアナ航空の飛行機に搭乗したのです。機内では、疲れのために、皆、熟睡しておりました。6時に無事に羽田空港に到着し、そこで解散となりました。

ソウルの徳寿宮と清渓川の写真

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